公民館


胃腸炎になってしまった。
最初は、もうなにを食べようが、即、身体から出て行ってしまうので、普段なら3分で食べるようなゼリーを朝から夕方にかけてゆっくり食べたりしていた。
今はやっと白米にありつけるほどに回復し、お米のおいしさに感動しながら食べている。

前回の話にも繋がるが、
子供の頃、体調を崩して学校を休むとなれば、NHK教育を見ていたと思う。マテマティカ、えいごリアン、がんこちゃん、おはなしのくに等を観て「学校を休んでいる感」を堪能していた。
学校を休んだ日あるあるとしても、よく聞く話だ。
今の子供は、もしかしたら、YouTubeを見ているのかもしれないけれど。

この間、何の気なしに開いたスペースで、音楽について真剣に語り合う時間が生まれた。
(たまにそういう時間が生まれると楽しい)
その時に話したことは、やりたいことは、「わかりやすいダークファンタジー」みたいなものではないという話だった。
団地ノ宮は色んなものに形容されることがよくある。
「神聖な感じ」「ジブリっぽい」など。
私は、それは人が感じたことで、本人が口を出すことではなく、貴重なありがたい意見としてニコニコ見させて頂いている。
「暗い音楽」という意見もよく見かける。
でも、確実に、団地ノ宮はファンタジーではない。
ファンタジーをやろうとすると、キリのない表現ができてしまう。物語のような歌を作りたいと思ったこともない。
きっともうそれは、色んな人が既に手をつけているからである。

きっと、私が表現したいものは、

子供の頃に、虫を飼おうとして殺してしまったこと、それを親に黙っていたこと。

夢の世界で空を飛んでいた感覚が、目覚めてもまだ、脚に残っていること。

大人が見ていなくても、神様には見られているかもしれないと思って怖くなったこと。

目を覚ましたら空がとても晴れていて、綺麗で、
でも出かけるのは、親のバンドの練習をしている公民館で、それがとても退屈でさみしかったこと。

ごっこ遊びで、空に飛び立つ設定になっただけなのに、親と離れることを想像したら泣いてしまったこと。

いつか、どこか遠くへ、一人で行けないかずっと考えていたこと。

多分それが、一番音楽にしたい世界なんだろうと思う。ノスタルジックといえば済んでしまうかもしれない。
でも、ただ、もっと遠くて、寂しい
もう手が届かない、何かなのだ。

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