団地
「大阪から出てきた」と言うと大概の人が、「大阪も結構都会なのに、なんで東京に出てきたの?」と聞かれることが多い。
ぼんやりと、私の生まれ育った団地や、その周りの景色を思い出すと、そこにみんなが思い描くような、なんばや梅田のような都会の空気は全くと言っていいほどなく、寂しくてたまらないくすんだ風景が広がる。
最近は、そのイメージの差や齟齬がないように「大阪のめちゃくちゃ田舎から出てきたんです」と言うようになった。
私が生まれ育った場所は大阪狭山市というところで、the田舎、山の中で〜す!というわけでもないのだが、近くのコンビニまで徒歩で行こうとすれば30分はかかってしまうような場所だった。
スーパーも遠く、車がないと不便だ。強いて言うなら100円バスの停留所が近くにあったが、40分くらい乗らなければ駅に辿り着けない。子供からすればかなり閉鎖的な街だったように思う。
話は変わる。
まだ「Eテレ」が「教育テレビ」だった頃、わたしは天才てれびくんという番組が大好きだった。月曜から木曜にかけて物語が更新される。毎週毎週、てれび戦士という子役たちが謎の敵に立ち向かったり、それとは別に歌を歌うコーナーなどもあった。さすがに子供すぎたので、物語の内容などはあんまり覚えていない。
でも、てれび戦士になりたいなぁ。とぼんやり思っていたことは覚えている。
舞台やテレビなどで、人前で歌っているてれび戦士がなによりも羨ましかった。
そして、このてれび戦士たちの物語の舞台が主に「東京」という場所で進行しているということに気が付いた。
言葉にしようのないさみしさと悔しさで漠然と、将来は東京に出ようと思っていた。五歳くらいのことだったと思う。
ずっと、自分の頭の中にうっすらあったのは、まるで、団地の立ち並ぶこの一帯の空気が、わたしを捕まえているのではないかという感覚だった。大人になって、自分の力でこの場所から出ていくようになれるまで、一体どれくらいの時間が必要なのだろうと思うと、二度とここから出られないような、果てしなさを感じて、怖かった。
坂の多い狭山は山を切り拓いてつくられた街で、そのなかでもかなり坂の高い位置にある団地の公園は、狭山から隣の富田林市までの風景を見渡すことができた。
小さい私は、こんな広くて寂しい、誰もしらないような所に、テレビにも映らないような場所に、
物語の主人公にもなることもなく、ここに居続けるのが、怖くて仕方かったのだ。
その感覚を音楽にしようとしたのが、団地ノ宮だった。
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