「お母さんも大変やったなあ」

長女6才ぐらいの時のこと。みんなで朝食を食べながら、長女に

「長女ちゃんも、次女ちゃんくらい(3歳)の時、幼稚園に頑張って行ってたなあ。元気のない日は、もう大きいのにベビーカー乗ってたなー笑」

と昔話をしていたら、

「幼稚園、遠かったもんねえ。お母さんも大変やったなあ

と労ってくれて、危うく朝から涙腺結果するところだった。


というのも、この長女が幼稚園に通っていた一年間は、本当に大変だったのだ。

次女が生まれたのは、長女2歳10ヶ月の時。次女出産の直前に、私の実家の近くまで県を移動する引っ越しをして、長女はそれまで在籍していた保育園を退園。

引っ越し先では、育休中は「保育に欠ける状態ではない」とされ保育園に入れなかった(そういう自治体も多いようだが、当時は知らなかった)ため、やむなく2才と新生児を自宅保育することに。

しかし、自分も絶賛睡眠不足で、産後のダメージは未回復、旦那も職場が遠く平日完全ワンオペ、そんな中生まれたばかりの次女をお世話しながらでは元気いっぱいの長女をとてもケアしきれず、鬱になりかけたので、やむなく最寄りの幼稚園に長女を預けた。

とはいえ、当時の長女はまだ3歳になったばかり。母べったりの時期で、人見知りもあって長女はかなり渋々通っていた。最初の半年は、先生に朝の「おはよう」すら言えなかった。(暖かく見守ってくださった先生には感謝したい)毎朝、次女を抱っこ紐に入れて、歩ける距離なのに歩きたがらない長女をベビーカーに乗せて、できるだけ歌を歌ったり楽しい話をしながら、文字通り幼稚園まで運んでいた。

幼稚園だからお迎えは14時と早い。しかし、あの数時間に赤ちゃんと睡眠を取れることで、どれほど救われたか・・・。次女が1歳をすぎ、職場の復帰が決まって2人して保育園に転園するまで、本当に生き延びるのがやっとの日々だった。長女には申し訳なかったけど、幼稚園にいってもらってなければ確実に私は潰れていたと今でも思う。


そんな必死だった日々を共に生き抜いた長女。もはや戦友に近い。

旦那に「当時は大変だったね」と言われても「おまえが実際何を知っとるんじゃ」と皿でも投げつけたくなるが、長女に「大変だったねえ」と言ってもらえることは、何より救われた気がした。

三姉妹にハーゲンダッツを買ってやりたいと思います。いつもはバニラバー。