【お礼】 すっきり! 明快な回答に救われた 子供の性欲への動揺と コミュニケーションについてのモヤモヤ
きのう子どものことを書いた詩を投稿しました。
私は、この詩を、自分の十代の子どもが、新型ウィルスがニュースになり始めた頃にできたガールフレンドと、親が思うより深い関係になっていることに気づいた時に書きました。自粛で、あまり会えなかったのですが、おさまってからは、よくお互いの家も行き来していました。もちろん、本当に、というところは100%はわかりません。でも、かなり確かなんです。で、事情や状況、真否のほどはともかく、私は、かなり動揺しました。
私は、二人の子供がいて、わりとあけすけなコミュニケーションをしてきたと思っています。性的なことも、年令的に恥ずかしくなる前に、女親がここまで言うか、というくらい口にしていました。放任では全然ありません。でも、比較的、子どもの判断にまかせて、失敗するのも、見守ってきたつもりでした。
私が一番ショックだったのは、自分自身の反応でした。動揺して、胸が痛くなるほどの。自分は、話せる親を気取っていただけなのか。偽善的?それとも、性的なことが許せない、実は?今まで、ほかのうちの子どもに関しては、なんでも大らかな反応をしてきたくせに。そして、動揺している自分の気持ちを、どうしたらいいのかわからない。
連れ合いに話しても、男親に話してしまったら、話がめんどうになりそうな気がする。おかあさん友達に話そうかとも思いましたが、いっしょに落ち込むだけかも。または、子どものことが噂になるかも。
ちょうどそうして悩んでいる頃、ブラボー先生という方を通して、フランソア•サマンサ•ダベサ(現、FsDabesa)さんという方のサイトに行くことがありました。辛口の、もう、それは強烈な物言いで、つぶやきだけでも笑える、力強いサイトでした。私が訪れた日、目の前に、サマンサさんからの、悩み事募集が出たのです。匿名で質問が送れ、サマンサねえさまが答えをくれる。140字まで。1字でも越えると、質問は破棄する、とありました。私は、本当に悩んでいることがあったので、書いて送りました。送ったときは、まさに、藁をもすがる気持ち、でした。
突きつめたところの私の質問は、心配してしまう自分の気持ちをどうしたらいいのか、ということ。2日くらいして、回答をもらいました。そして、私は、本気で救われました。サマンサさんは、私が悩んでいることを、すごくすっぱりとまとめてくれ、私が聞きたいことに、明快な答えをくれました。そのことは、ここで私がまとめて書いたりしませんので、ぜひ、下に添付した、ご本人の文章で読んでください。
サマンサさんのコメント欄にも、お礼とともに書いたように、私は、この相談に、正直それほどの期待はしていませんでした。サイトを見たのも1日かそこらの人でしたし、本気で人生相談しているつもりではありませんでした。それが、彼女の言葉を読んで、いっきに悩み解決、となったのです。スピリチュアルなことにふれての回答でした。そういうことに興味があるにはありましたが、そこまで全般的に入れこんでもいませんでした。でも、サマンサさんの答えを読んで、スピリチュアルを少しでも疑問に思う気持ちはふっとびました。
私の対極の気持ちのうち、子どもを信じたいという思い。そっちを信じよう。その気持ちの方が、何より強いから。それが私の気持ちを乱す、彼に裏切られるかもという不安を、鎮めました。自分が一番ショックを受けていた自身の反応、つまり、一番どうにかしたかった自分の苦しさ、それがすうっと、おさまりました。
そして、サマンサさんの回答を読んで、もうひとつ、目からウロコが落ちる気がしたことがありました。
サマンサさんの口調は、私がnote で見かけた人の中では、たぶん一番強烈です。恫喝するような口調。選ばない、というか、なんでそのよけいな一言を、とつっこみたくなるような表現満載。突き放すような書き方。私の周りで、言葉で、自分のも人から受けたのも含めて、悩んでしまった人に、ぜひ読んでもらいたいような、歯に衣着せぬしゃべり。
自分の投稿でこんなことを書いてしまったとしたら、自分も入れて、私が今まで知っているnote参加者のみなさんは、おそらく、あとでめちゃくちゃ気にして、自己嫌悪におちいって、詫びをいれる投稿やコメントをしてしまいそうな。実際、その頃に、私が参加する範囲でのnote のコミュニティーで、人の言葉で傷ついたり、自分の使う言葉に忖度して疲れたり、自分を責めたり、ということを吐露する投稿を見ることが、何度かありました。
私は、サマンサさんに、やさしい口調で言われたわけではありません。どっちかと言うと、質問選べよ、バカ、(あきやま、翻訳)、と聞こえる言い方で。なのに、私は、ものすごく優しいメッセージをもらいました。サマンサさんは、私はそんなつもりはなかったとか言って、うそぶかれるような気もします。でも、受け手の私は確かにそう思ったし、回答を考えて書いてくれている時のサマンサさんは、きっと優しい気持ちだったと思います。
その頃、私がなんとなく考えていたのは、「話す」とか「伝える」というのは、文字や発せられる言葉だけではないということ。私は、何週間か前に、音楽についての投稿をしました。音楽の種類にもよるのでしょうが、私にとって、曲とか歌は、歌詞だけではありません。音であり、演奏形態であり、アレンジです。間のとりかたであり、または、演奏者がだれかであったり、その人たちの見た目です。誰に向けられたものか。そして、受け取るほうの、状況。1日のいつごろか。調子がいいか。聞く気でいるか。
サマンサさんの回答は、メッセージや文章や発話は、文字や言葉だけではないことを、はっきり示してくれました。
思春期の子供の性への動揺。コミュニケーションに感じるモヤモヤした気持ち。私を悩ませていたこと、ふたつが、文字どおり、すっきり、となくなりました。(とはいえ、また、時々グジグジしだすような気も、自分の性格を考えると。ありませんように。)
私が感謝していることのどちらに興味があっても、サマンサさんの答えを見てみてください。または、ほかの人の質問への回答でも。
サマンサねえさま、ありがとう❤️💋
(これが、相談と、いただいた回答です。もうひと月以上も前なんですね。なんか、しみじみ。)
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