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【エッセイ】 自信


自信:自分の才能・価値を信ずること。自分自身を信ずる心。(Weblio辞書)

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いっしょに暮らす連れ合いに、不満を口にした。このごろ始めたnote というサイトのおかげで、私がまた詩を書くようになったことを話した時だ。おもしろいように、言葉がどんどんあふれてくること。連れ合いは、ふん、とも言わず、黙って聞いている。

あなたはいつもそうなんだ。どうして、言葉にケチなの。私は連れ合いを責める。私が子供の時、父や母もそうだった。この人もまた、ほめ言葉を聞かせてくれない。はじめて一緒に海外に行ったとき、クロアチア語の単語が読めるようになったと誇らしげに発音する私に、彼が言ってくれたひとことは、「それはイタリア語では、、」。

連れ合いは、感情の起伏がゆるい人だが、眉間に浅くシワをよせる。私が同じことばかり繰り返すのに辟易すると。だったら、ひとこと何か言ってくれればいいのに。いいよ、note で、あなたから聞けない言葉はもらえるから、今は。

そのnoteで、コメント欄のほめ言葉を通して、言葉の力というものを、体感した。酔うような気持ちになった。自分がかけた言葉が、誰かの感情を動かしたと感じたこともある。そして、その言葉の応酬がないとき、いつしか、それを不満に思うようにさえなった。でも、その、ひとりよがりな不満は、ある人の書いた記事のおかげで、1日半で消えてくれた。そして、それからずっと、言葉に動かされることについて、特に自分に関して、考えていた。

私は、それを詩に書いた。それまで曖昧だった、考えやら気持ちやらが、見える形になった。自分の書く言葉に手を引かれるような気持ち。そして、たどりついたのは、私がおそらく、ずっと若い時から、またはずっと若い時には、知っていたことだった。

自分への戒め、自分への再宣戦布告、ともいえる詩を書き上げてから、私は、閉塞感にまだ苛まれていた、20代半ばの自分が、強く衝撃を受けた時のことを思い出した。

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同じ地方大学を卒業して4年。小学校からいっしょの同級生が、天下の司法試験に合格した。たいしてつきあいがあったわけではないが、地元にまだ住んでいる同級生として、私にも声がかかり、お祝いに飲みに行った。みんなで、彼の快挙に乾杯した。

彼が言う。近所の人が、手のひらを返したようだと。親を泣かせるバカ息子、と陰であざ笑われていたのが、日本一の親孝行、になったと。人の評価は、そんなもんだと彼は笑う。その年、お母さんが、一年だけ、職につかずに試験勉強することだけを許し、協力してくれた。そういう形でぜいたくな応援をもらったと。彼の家には、部活の事故で、半身不随になっているお兄さんがいると聞いたことがある。

4年も、よくがんばれたね。私だったら、途中で、もうダメかと思いそう。

彼は、前年の2回目のチャレンジがだめだった時、いろいろなことを考えたと言う。司法試験をめざす人は、当時は5、6%とも言われる合格率を知りながら、人によっては一生かけて挑戦する。ほかに職を持ちながら、10年、20年、という人の話は、聞かないことではないと言う。

うん、運がよかった。自分も、弱気になったし、もしかしたら、10年も20年もかかるのかとも思った。10年も20年もかかっていたら、途中でやめていたかもしれない。だから、こんなに早く受かって、ありがたいと思う。自分が特に、すぐれているというのではないのに。すぐれていたとしても、ほかの受験者も、みなそうなのに。

私は、彼の話を聞きながら、自分の心臓が音をたて出すのが、聞こえそうだった。

たとえ、彼の母が、期限付きで応援してくれているとは言え、自分を信じ続ける4年は長い。周りの人には、東大でもあるまいに、こんな地方大卒でなれるはずがない、と笑われている。ほかの人は誰も信じていない。

彼の、自分を信じる力。もしかしたら、その努力した年月を無駄だと思うことになるかもしれないのに、そっちを選んで走ったこと。4年もの間、その気持ちを、なんとかであっても、持続したこと。検察官や弁護士としての将来にでなく、彼の自分を信じる力に、私は体が熱くなるほど感動していた。

彼とは、笑ってお祝いした。帰り道までは、泣くのはがまんした。また一緒に杯をあげるのは、いつになるのかもわからない人の、門出を祝っているのだから。

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自信というのは、人に何を言われても、何を言われなくても、自分を信じることができること。そして、言葉は、ただの言葉。他人の言葉は、他人の言葉。私をつくるのは、私が選ぶこと。美辞も、悪口も。なにが私を形作ると決めるのは、私自身。

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(これが、文中でふれた詩です。)


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