見出し画像

私に詩人の自信を持たせる最初のきっかけを作ってくれた恩人へ (縦読み文)

を書く私が出あった しめじ企画で

をかけてくれ おだててくれた

ぶんでは ご本人はきっとそんなふうに

ほどもおもってはないのだろうけど

ー、でもほんとうのこと 私にとっては

きやまやすこが今の私になれて

っぱに「詩人」を名乗れるまでにしてくれた

んばったもの もちろん私も 毎日書いて

んでもないものもいっぱい作った

ん でもそのこと全部が あなたのおかげ


ーーーーー
今日は、言いたいことは全部書けたと思ったので、後付けを書くつもりはありませんでした。でも、せっかくなので、やっぱり。(すっかり饒舌になってしまっているので。)

タイトルに、「最初のきっかけ」と書きましたが、しめじさんが、私にもたらしてくれた大きな転換点は、実際は、3回あります。

1回目は、縦読み文企画。私が、note を始めてまだ10日くらいの頃でした。しめじさんは、私がそれこそ始めたばっかりの時に、フォロワーになってくれた人です。たとえそれだけでも、まったく知らない人ではなかったので、おずおずと、その企画に参加しました。

その頃、ためていた詩を持っていたとは言え、毎日投稿することがいつまでできるのだろうかと心配になりかけていました。新しいものは、毎日書こうと思って書けるものではないのかも、と。与えられたお題への参加、は、とりあえず、違った形で書くことができる。そう思って参加しました。

そして、お題があると、かえって、書きやすいのだと実感しました。しめじさんに、もっとお題を出してほしいと言いたいくらいだったけど、その頃の私は、スキマークを押してのコミュニケーションが精一杯で、コメント欄に、そんなことは書きませんでした

2回目が、私の大きな転換期になった、理昭(zep0814 i理昭)さん提唱の3行短文を広める呼びかけです。私は、あれから、もうかなりの数の3行短文作品を投稿しています。あのフレームをもらってから、私は書くことが楽しくなり、書くことに困らなくなりました。(今のところは。)

それで、もう十分なくらい恩恵を受けました。それは、上の縦読み文に書いた通りです。

で、最近もう一つ。

ある日の、コメント欄で、しめじさんから、岡山弁で書いてみたらと提案されました。私が、岡山弁を母国語として持つことを、ある投稿の中で明かしたときのことです。

私はそのコメントを読んで、すぐに岡山弁の3行短文を書きました。すぐ書けました。その時、初めてのエッセイを書き上げたところで、その中で、私は、会話文で岡山弁を少し使っていました。まだ投稿はしていませんでしたが、その経験があったので、すべてを岡山弁で書いてみることには抵抗を感じませんでした。そして、今、あれほどうざったかった地元が、その割には強い方言愛とまじりあい、私の書くテーマのひとつになってきています。

しめじさんは、いつも、私が受けた恩恵を、なんでもないことのように言われます。もちろん、しめじさんに会っていなくても、note上で、私に詩人と名乗るほどの自信をつけさせるきっかけを作ってくれる人は、遅かれ早かれ、現れていたのかもしれません。

でも、偶然出会ったしめじさんがいなかったら、あの縦読み企画がなかったら、あの3行短文企画がなかったら、今の私は、こんなに早く(今年の6月参加です。)、今のかたちで、いないと思います。私は、今では自分でも思い出せないくらい、それこそ、おびえたガキみたいだったんですから。

書くことはできないのかもしれないと本当は思っていた私に、自信をくれてありがとうございました。自信がつけられるような、しくみや、くふうや、おもちゃを、示してくれたこと。

種をくれた、しめじさんに、ただ感謝。ありがとう。

受精を促してくれた理昭さんにも。産婆のように、最初からつきそってくれた、こばやしきたるさんにも。ふくらんでいく腹をさすって励ましてくれたみなさんにも。(冗談みたいになってきてますが、本気で書いてます。)わざわざお名前をあげてのお礼にしていないご無礼、お許しください。


(蛇足:こうしてプロフィールの言葉を見ると、お三方とも、ゆる〜い方たちばかりの印象😌。)

まだまだ、3行短文熱は続きます。それもヨロシク。


(*しめじ企画に参加した時の、私の作品です。今日のが今ひとつ物足りなければ、どうぞ。初々しい、まだムケてない頃の私が見られます。でも、これらが、それこそ物足りないかも。私自身にも、ほんの1、2ヶ月前のことなのに、隔世の感があります。懐かしい、しば漬け。画像もついていません。その頃は、そこまで、毎日は、、、)



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?