生きていくことに、もう何も期待が持てない」というある囚人の絶望の言葉に対して、フランクルは次のように言います。
「私たちが<生きる意味があるか>と問うのは、はじめから誤っている、人生こそが問いを出し私たちに問いを提起しているのだから」、と。
その囚人には、彼のことを愛し待ちこがれている異国に住む一人娘がいました。そして、娘の存在によって彼は生きることのかけがえのなさと責任に気づき、生きる勇気を与えられたのです。
ここでは、人生に対して何かを期待するのではなく、「自分は人生から何を期待されているか」ということへと、生きる意味への問いに180度の方向転換が生じています。
この転換によって、人生はいかなる状況においても決して無意味にはなりえないことが明らかになるとフランクルは言うのです。
強制収容所という極限状況のなかで、一人一人生きることは、不断の問いかけ、呼びかけへの応答であると、フランクルは確信したのでした。このことをもう少しわかりやすく説明してほしい