King Gnu 初の映像作品&付録CD「マスカラ」感想(からかなり脱線してます)
ども、やきこいもです。
俺は札幌公演に参加したので東京公演は初見。当時、椎名林檎が出てきたという情報を聞いた時はマジか~という感じでした。東京公演も行こうか迷ってたので…東京は一人で行けば良かったなと思いながらBlu-rayを視聴。最近、音源ではスピッツとThe 1975ばかり聴いていたので久しぶりにKing Gnuの音を聴きました。やっぱりバンドの総合的なパワーや魅力でKing Gnu以上に持っていかれる集団は俺にとってはないだろうなと、改めて思わされるような映像だった。
常田大希と井口理という対称的なフロントマン二人。そして勢喜遊と新井和輝。ぶっちゃけ言うと、King Gnuを知る前はベースという楽器が存在してること自体知らないくらいに音楽に関して興味がなく、「音楽」といえば所謂J-POPと呼ばれるようなものが自分にとっての全てだった。音楽を好きになってから色んなアーティストを聴いてきたけど、この過程を経ても俺にとってのKing Gnuは未だ強烈な個性を保ち続けている。King Gnuほど音楽の多様性を表現できるバンドはいないし、その多様性は現在進行形でリスナーの耳を徐々に、徐々に肥えさせている。そして彼らの表現はLIVEで更に先鋭化し、よりダイレクトに音楽の可能性を伝えている。
正直、King Gnuのファンダムがあまり得意ではない。彼らの作品やその意図に対してあまりにも浅慮に感じられることが多いからだ。色々なことも重なり俺はTwitterをやめることにした。だが、今にして思えば言葉で表現したり考えることだけが音楽に対するリアクションとして正しいのかというとそれもまた違うという気がしている。
良く捉えれば音楽に対してより感覚的に、パッションで聴いている人達がKing Gnuのファン層には多いのだろう。勿論、俺個人としてはそれに対して異論を挟みたくなる気持ちは多いにある。しかし、そういった歌詞や作品の考察ばかりがファンダムの中で重要になっていくと音楽そのものへの視点や感覚が鈍化してしまうのではないかという懸念もある。そもそもBUMP以降、ファンの興味が歌詞ばかりに注視しすぎているような気もしている。この流れに米津玄師もいる。
King Gnuはそのカウンターとして出てきたのだと思う。比較的歌詞に対する拘りが見られる「Tokyo RendezーVous」からメジャーデビュー以降、常田大希のリリックは明らかに分かりやすいものへと変化している。本人が「歌詞に興味がない」というのは、恐らくケンドリック、親交のある米津玄師や中野裕太などのリリシストと比べたらの話であり、常田大希なりに歌詞に対する拘りは当然あるだろう。常田大希はリスナーの視点を「歌詞」から「音」に動かすために、敢えて歌詞はおざなりにしたのだ。まあそういう判断ができること自体本人のいう興味のなさに起因しているともいえるのだが、そこで自我を出さないのが日本の音楽業界きっての異才たる所以なのである。
マスカラ感想
SixTONESへ提供した「マスカラ」のセルフカバーだが、才気煥発な常田大希のアレンジと新境地を見せる井口理のボーカル表現で見事に生まれ変わっている。原曲は正に「色気」といったような様相だが、井口理のボーカルは機械的でもあり、妖艶にも思えるというような不思議な感覚を覚える。今までの井口理のボーカルの中でも「異質な色気」だ。アウトロで米津玄師+野田洋次郎の「PLACEBO」を想起した。
これが特典に終わるのは少し勿体ない気もする程の出来である(リリースしたらヒットしそうだ)しかし、これからのKing Gnuはヒットするとかしないとかのタームではなくなる。この曲を特典で消化するところに彼らの決意表明が見えてくるのではないだろうか?
(追記 普通に配信される模様)
今回はこんなところです。暫くKing Gnuから離れていたもののやはり最高のバンドだと思います。しかし、もっと最高になって欲しい。期待!