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TXT vol.2「ID」から感じたデジャヴ

皆様こんばんは〜
久しぶりにnoteを開きました、焼き塩です。

先日崎山つばささん主演の舞台 TXT vol.2「ID」の円盤を購入したので舞台の感想やら感じたデジャヴについてつらつらと書き連ねていこうと思います。
正直語彙力が無さすぎて日本語になるかすら危ういですが見ていただけたら嬉しいです。

以外ネタバレを沢山含みます

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世界は不可思議なデザインで溢れている。

六面体の結晶。
幾何学的な原子配列。
螺旋状の遺伝子。
まるで精密に計算された方程式に基づいて
プログラムされたかのように。

彼らも然り。
とある委員会の極秘実験にて、
意図的にデザインされた男女。
身長と体重が設計され、思考回路が組み込まれた。

人格や感情がコード化され、
自在にインストール・デリートされる。
彼らはまるで人間のように
社会に紛れ込んで生きる為に作られた
アバターだった。

委員会の都合によって
一方的に人格が書き換えられていく
不条理な実験の中で、
彼らは狂おしくも美しく生きようとする。

彼らに与えられた存在意義とは何か?
いきすぎた科学の実験体か?
それとも己として生きる自由か?

いずれにせよ、彼らには
社会で自由に生きるためのIDが存在しない。
ただ与えられ、試され、奪われる。
絶望的なルーチンを繰り返すだけだ。

自分を証明する術を持たないまま……。
自分らしく生きる意味を知らないまま……。

この世界は誰かに開発デザインされている──。

私たちは、
本当に自分の意志で
生きているのだろうか?

公式HPより

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生徒会長、学級委員、図書委員、美化委員、広報委員、保健委員、風紀委員

これら8人により結成された「委員会」という組織が「アバター」を使って感情についての実験を行うのがこの舞台の流れです。

俗に言うマウス実験のようなもの、委員会はアバターに8つの感情「喜び、期待、怒り、嫌悪、悲しみ、驚き、恐れ、信頼」を振り分けそれぞれがどんな行動を起こすのか観察していくものの、アバター自身が目的を持ちアイデンティティを持とうとする。そして委員会もまたデジャヴに抗いながら知性を超えた感情を持とうとする、そんなお話でした。

正直言葉で説明するには難しいので1度見て頂きたい所ではあります...

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以下ひたすら感想です

まず最初見た時の感想

いや面白すぎん????

しょうもない感想で非常に申し訳ないです。
いや本当に面白かった、今まで1番スッキリと終われた上でもう一度見たくなる作品だったなと。
舞台上であの実験をすることに意味があったのだと初日と千秋楽公演を通して見て思いました。

舞台って毎公演少しずつ変化があって、役者側も見る側もその日によって感じ方、考え方が変わる、いわばナマモノなわけで。
それこそ崎山さんはそういった変化を求めながら板の上に立っていると思うんです。
その舞台上での変化を実験を繰り返した故の変化と捉える辺り、いや凄いな...と思いました。

例えば、初日と千秋楽とでは生徒会長の声の厚みが違うんですよね。もちろん崎山さんの中で公演を重ねる事に演じ方が変わった、なんて考えるのが妥当なんですけども...
アバターである委員会に、人工知能の彼らに徐々に感情が芽生えているものだとしたら…?
公演を重ねる毎に彼らは人間らしくなっていく、実験に対する想いが少しづつではあるが変わっている、実験は成功に近づいているのだと考えると辻褄が合うなと思いました。
初日公演のラストと千秋楽公演の最初
「デザインを開始しよう」の言い方、というか声のだし方が似ていたように思えたんですよね、それって回を重ねる事に変化が生まれてる証拠という...???
クゥーーずるい、ずるいです崎山さん。

さて、委員会が作り出したアバターが脱獄した死刑囚だった話。そしてアバターを作り実験をするようプログラムされた人工知能集団「委員会」について。

大前提このIDの世界っていつ頃の話なんでしょう...
二十一世紀とかそんなレベルじゃないくらい先の未来の話?でも殺人の罪で死刑囚にされるような世界ならそこまで未来では無いのでは?考えていたらキリが無くなるので考えるのを辞めます。もう少し頭が冴えてる時に考えます()

まず作られた8種類のアバター
ジョー、ホープ、アンジ、ヘイト、サッド、ワンダ、テラ、ビリーは記憶を消されているものの元は人間。(恐らく美化委員によって)記憶を消され、それぞれの感情をインストールされた彼らは自らを実験に使われているアバターだと認識していた。
そして彼らは殺人罪などで死刑判決を下された死刑囚であること。

一方委員会は
人間やアバターを創り出し実験を行う組織だが、彼ら自身が教授によってプログラムされたアバター、人工知能という事実。

元々見始めた時に委員会は人間なのか?この人たちこそがアバターなのでは?なんて疑問を抱いた記憶がありますがその通りでしたね...

自らの知性こそが美学と考える生徒会長
実験を通して己の考えが右往左往し、最終的にはアバターの彼らのように革命を起こすと言い放す彼ですが、誰よりも人間らしく変化した人工知能だったなと改めて思いますね...いや生徒会長良すぎる。

さて、生徒会長が話していた知性と感情についても色々考えが出てきますね。
委員会は知性の集まり、なんて表現もありましたが...結局は感情に支配されかけたという事実を踏まえて考えると、知性と感情は隣合わせで片方が欠ければ発展も崩壊も起きない、もしくは欠けたとしてもまた生まれるものだと私は感じました。
8つの感情についても恐らく同じことが言えます。

対になっている感情
喜び⇄悲しみ
信頼⇄嫌悪
恐れ⇄怒り
驚き⇄期待

人間特有の二次感情
期待+喜び=楽観
喜び+信頼=愛
信頼+恐れ=服従
恐れ+驚き=畏怖
驚き+悲しみ=拒絶
悲しみ+嫌悪=後悔
嫌悪+怒り=攻撃
(これ図書委員が言ってましたね)

8つの感情はどれも欠けてはならないものであり、どれかが欠けたとしても対になっている感情によって引き起こされるもの。
これらを上手くコントロールする為に必要なのが私達にも存在する自我というものなんですね。

最終的には人工知能にも自我が存在するようになる。彼らも何億回もの経験から少しづつ自我が宿り、それぞれが感情をコントロールしようと抗い始めている。彼らにもアイデンティティが生まれてきたということでしょうか...


実はこれについて1つデジャヴを感じる作品がありまして。

ディズニー映画のベイマックスって言うんですけど...
(以下オタクと映画のネタバレ出ます)

ベイマックスってタダシが作り出したロボットで元々自我は持ってないんですよね。
ヘルスケアチップにインストールされたデータからしか動かないロボット、すなわち普通の人工知能なはずなんです。
でも映画終盤でタダシのヘルスケアチップが無いのにも関わらずヒロを助けて自らを犠牲にする判断をしたんです。ベイマックスは。

これって委員会のように人工知能にも自我が生まれたと解釈するしか考えられないんですよね。
もちろん映画だからとか物語だからと考えるのが妥当なんですけど、最初はインストールされたデータ通りの動き(いわゆるロボットらしい動き)しかしてなかったベイマックスがヒロと会話をするうちに徐々に人間、というか生物らしくなっていくのを思い出して完全にデジャヴを感じました。

委員会ほど人間らしくは無いけど、ベイマックス自身が思考を巡らせて己で判断をするようになる事。そしてその判断には元々インストールされている知性にプラスして経験から得た感情が使われていること。
ヒロが暴走してキャラハン教授を殺そうと怒りや嫌悪で溢れかえっていた時、ベイマックスは自らの意思で「タダシはここにいます」と映像を見せましたし、アビゲイル(キャラハン教授の娘)を助けに行く時も「私は空飛ぶケアロボットです」と自らが沢山の人を救うケアロボットである事を自覚した上でアビゲイルを救いたいという意志を見せた...などなど

正直ベイマックスオタクの語りが止まらなくなりそうなのでこの辺にしておきますが、とにかくデジャヴを感じたんです。
そりゃこの舞台好きに決まってるという話。


まぁ私も常日頃思うんですよね、自分ってなんだろうみたいな。
テンションが高ぶっている時の喜びに満ち溢れた自分と何もかも手放したくなるような放心状態の時の自分、どちらも自分だけど人格が違うともはや自分では無いのでは?なんて考えたり。
自我が分からなくなる時は決まって精神状態が不安定な時なので、やはり脳みそこそがアイデンティティを考える上で重要な役割なのか...いや精神が不安定なら心の問題なのでは…?などなど

そして何回か見返す中でまたデジャヴを感じたんですが...
私自身がジョーにすごく似てるんですよね
これは個人的な話なのでどうでもいいわって感じなんですけど。

ジョーって喜びの感情のみを宿したアバターなのでどんな時も喜んでいるし、楽しそうにしているのがパッと見の印象
でも喜びの中には争いをせず平和でありたいという期待や周りへの信頼なんかも混じって来るんですよね。(隣同士ですし)

私自身ゴリゴリの平和主義で、できるだけ表立った争いをしたくないタイプなのでそもそも思考がジョー寄りだなぁと思ったのと...
喜びの感情が強くなった時「恍惚」という感情になるそうで、これって物事に心を奪われてうっとりする事と、意識がはっきりしないことを指す言葉らしいんです。
もう身に覚えしかなかったですよね。
ひとつの物に目が行くとその一点集中で心が奪われる事なんて日常茶飯事な上、頭がフワフワしている意識がはっきりしてない時って極端にハッピーな時か眠すぎる時かしかないんですよ。(眠すぎる時はそりゃ眠いから意識ぼやけますよね)

アバターとして、人間として生きていくジョーの姿を見る度デジャヴを感じ、似てるなぁ、思考が一緒だなぁと感じる始末ですよ、私は感情コントロールなどされてない普通の人間なのに。

思考回路が似ている=喜びの感情の割合が高い
なのかなぁなんて思ったりもしました

感情をコントロールするのは自我だと言いましたが、そのコントロールの仕方は人それぞれな訳で。人によってコントロールの度合いが違うからこそ自我と呼ばれるのだなと。

ID鑑賞会をしたお友達からも似てるねと言われる始末、そして演じているのは推しの崎山さん。
もう刺さらない訳が無いですって。(遺言)

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沢山話したいこと喋りました。
ぶっちゃけベイマックスのこと話せたので満足ではあります。
恐らくまだ喋り足りてないとは思うのですが語彙力と思考が追いついていないのでひとまず感想述べnoteは終わりにします...

ちなみにこの舞台の円盤は東映さんの公式サイトから買えるようなので気になった方は是非...
↓↓↓↓↓↓


また気まぐれで感想述べnote上げると思いますのでよろしくお願いします〜
ご拝読ありがとうございました!

P.S.生徒会長のビジュめっっっっっっっちゃ好きなのでまたああいうメイクの役やって欲しいです。

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