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映画『くちびるに歌を』感想

映画『くちびるに歌を』(2015年。三木孝浩監督)観た。TUTAYAレンタルDVDおよび Amazon Prime Video にて。原作小説は未読。物語のベースとなったドキュメンタリーも未視聴。アンジェラ・アキの歌「手紙~拝啓 十五の君へ~」が物語のモチーフとなっている。

くちびるに歌を 映画.com
https://eiga.com/movie/80626/

アンジェラ・アキ『手紙~拝啓 十五の君へ~』MV 映画ver
https://youtu.be/vqiFAU_1KQg

Wikipediaの情報を参照すると、この作品の前年秋から『トワイライトささらさや』、年が明けて『くちびるに歌を』、夏に『S -最後の警官- 奪還 RECOVERY OF OUR FUTURE』と、映画が充実している時期の作品。ゆうばり国際ファンタスティック映画祭2015にてゆうばりファンタランド大賞(観客賞)とイベント賞受賞。第8回東京新聞映画賞(2016年)受賞。

以下ネタバレ満載です。これから鑑賞される方はご注意ください。

このノートを書いているのが2020年11月。現時点でガッキーが出演した映画はすべて観賞済だが、その中ではこの作品がいちばん好きだ。

冒頭でも述べたが、アンジェラ・アキの歌「手紙~拝啓 十五の君へ~」をモチーフにして、五島列島にある中学校の合唱部の生徒たちと、産休を取る教師の代わりに臨時で赴任してきた音楽の教師の交流を描く。島の美しい景色も見もの。

中学生たちの中にはいろんな事情を抱えている子がいるのだが、新垣結衣演じる赴任してくる教師柏木ユリも訳ありで、ピアニストなのに心に傷を負ってピアノが弾けなくなってしまっている(ちなみに、ユリが乗る不自然なまでにオンボロなトラックは過去から逃れられないユリを表しているように思われる)。そんな生徒たちと教師が交流を深めていくことで、お互いに悩みを乗り越える力を得ていく。

この映画で良いなと思うのが、別に誰の状況もそれほど変わらないところ。そもそも描かれる問題は解決するようなものではない。周囲の状況なんてそうそう変わらないし、過去に起こったことは変えようがない。それらが悩みの種であるならば、解決するのはそれらを受け入れてなお前に進もうとする気持ちだけだ。ユリや生徒たちは合唱を通じてお互いに励ましたり、家族や友達の応援や気遣いから力を得て、自分の力で前に進み始めて乗り越える。甘くない話だが、とても正直だと思う。

中学生の中ではサトルとなずなを中心に描かれる。

下田翔大演じるサトルには自閉症の兄がいるのだが、自分は親がいなくなった後もその兄の面倒をみていくために生まれてきたと思っていて、そのため生きている理由がはっきりしているので将来に不安がないと言う。本人はそう言ってもつらい時もあるだろう、私ならそう思ってしまうしおそらくユリもそう思って車で家まで送ろうとするのだが、サトルは「兄と一緒に歩くとが、好きなんです」と言って断る。この時の気負わない感じが実に良い。そしてこの後夕日を浴びながら2人で帰るシーンの神々しいこと。サトルはいつもはかなげな感じがうまく出ていて、ボーイソプラノがきれいで、ああ、この子は天使なんだなと得心がいった。

恒松祐里演じるなずなは、自分は生まれてこなかったほうが良かったんじゃないかという思いとか、どうしようもないひどい父親のことをやっぱり信じ始めてしまったりとか(そしてまた裏切られてしまう。本当に最悪な人だよこの親父)、そんなことを抱えながら、でもたぶん「うまくやっていかないといけないんだ」と思って合唱に一生懸命取り組んだりしてるのだろう。そういうふうに生真面目に戦えてる時と落ち込んでしまう時の揺れが切実に感じられた。特に印象に残ったのが、突然父親が帰ってきて戸惑いを隠せないときの「おばあちゃん?おじいちゃん?」ていうセリフ。いろんな気持ちが混ざった感じ、すごく迫真だった。また、クライマックスの合唱コンクール終了後のロビーで、サトルの兄ととても大事な思い出を共有していることがわかっていく時の表情の変化もすばらしかった。

話が逸れるが、このコンクール終了後のロビーの雰囲気、開放感と高揚感に包まれている感じがリアル。大会前夜のホテルのロビーの雰囲気もすごく掴んでいて、演出がとてもうまいなと思う。

ところで、生徒たちの中ではなずながいちばんユリに当たりがきついのだが、それはなずなが過去のユリだからだろう。ユリから見れば、15歳の自分に本当にそれでいいのかと叱咤されているのだ。ユリは、まずサトルの天使に癒されて、次に過去の自分に背中を押されて立ち直るのだ。

さて、そのユリを演じるガッキー。「ガッキーの映画の中でいちばん好き」と言うほどにどこがこの映画の魅力かと問われたら、それは、ガッキーの魅力がとてもよく出てるから。

私が思うガッキーの魅力の一つに、演技に「ゆるさ」を込められることがある。ゆるさというと若干語弊があるのだけれど、極めすぎないというか、「あそび」があるというか、演技がふくよかというか。言えば言うほどわからなくなりそうだがかといって例もあげにくい。でも全般に渡ってそういう空気があることが多い。

言い方はさておき、ユリが教会でなずなと出会うシーンや、学校で松山先生から合唱の指導を任されて始めるまでのシーンでは愛想も悪いし、ピアノは弾かないと言い切っているし、教師としてやる気があるようにも見えないのだけれど、映画のわりと早い段階で合唱の指導をするシーンもあるし、男子部員の入部について「入部の理由なんてなんでもいいよ。なにがきっかけでも、音楽と出会ったんだからそれでいいんじゃない?」と言って表情と裏腹に歓迎する風を見せるし、早々に方針転換を示す。「あれれ?」と思わなくもないんだけれど、最初から愛想が悪いときも言い切っているときも「ゆるさ」があるから「そういう余地もあったよな」と思って納得できるのだ。

その後も、例えばピアノを弾くようになってからも、名ピアニストといえどもまだまだ万全の自信ではないまま進んでいるはず。コンクールのステージの上で皆に言う「笑って」のひかえめな感じ、自分だって心配だったりするのを奮い立たせているのだ。うるっとくる。

映画のラスト、ユリが東京へ帰るとき、今度は生徒たちがユリに「笑って〜!」と屈託のない声援を送る。まだまだ成長過程の中学生は大会も糧として成長して、先生を思いやる心の余裕を身につけたのだろう。朗らかだなあ。

ところで、合唱コンクールを観に来ていた事情を知らない人たちはユリを見て驚いただろうなと思うとちょっとおかしい。1年前に突如活動しなくなった有名ピアニストが中五島中学校の伴奏弾いてるぞ!って。またネットニュースになって、東京へ帰ったらリサイタル開きませんかって話も来るだろうし、うちの学校に来てください!っていう依頼もいっぱい来そう。

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