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「野宿をしながら自転車で日本を横断した話」 6/14 長崎市内観光 番外編

一泊二日・自転車フリーの旅!

最初朝起きたのは5時半ごろ。やはり夏至に近づいているこの時期は日が上るのも早いので、早朝の明るさで自然と目が覚める。

蛇口をひねって水で顔を洗う。朝から気温が高くてジメジメしているのでとても爽快。昨日の夜に買っておいたレーズンスティックパンを食べる。

公園から見える学校からは、早朝から野球部の掛け声や吹奏楽の音が聞こえてくる。大きな大会を控えているのだろうか。朝練に勤しむあたり、やっぱり日本の学校の部活動に対する熱心さには驚かされる。

今日と明日は少し旅の趣向を変えてみる。佐賀県から特急に乗り、1泊2日で長崎市まで電車の旅をすることに。明日の夕方にはまた佐賀県に戻ってきて、そこから自転車旅を再開させる予定だ。

午前中の特急に乗って早めに長崎市へ向かいたいので、早速佐賀駅へ。駅から近い公園で寝泊りをしていたので、数分で駅前に到着。

駅に隣接する駐輪場へ自転車を停め、後輪に付けてあるバッグに明日まで必要なさそうな物を置いていく。

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駅構内へ向かうと、スーツを来た人や学生が外へぞろぞろと出てくる。やはり県庁所在地ということもあって、通学や通勤の目的地がこの駅周辺なのだろう。

朝ごはんを少し買い足したいと思っていたが、そもそもまだ朝8時なので薬局やコンビニしか開いていない。仕方ないので、改札近くのファミマでチョコのパンとスパイシーチキンを購入。車窓からの景色を楽しみながら食べたいので、今は手をつけずに我慢する。

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オンラインで購入した特急券を受け取り、ホームへ向かう。

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数分もしないうちに特急かもめ7号が到着。昨日福岡から佐賀まで移動しているときにも見たこの車両。白と黒の2種類があるらしいが、何が違うのだろう。福岡から長崎までの3県にまたがって走っているらしい。

指定の席に座り、電車が走り出したところでパンとチキンをいただく。席にはテーブルがついていて、リクライニングも可能。いつも新幹線ばかりで特急は全くと言っていいほど乗車する機会がないが、こういうも楽しい。

天気が良いと山と海が両方見れて綺麗な景色になるのだろうが、今日はあいにくの曇り空。こればかりはコントロールでできる事ではないのでしょうがない。

しばらく海沿いの景色を眺める。道中何駅か止まった後、「諫早」に到着。あまり何が有名ということは知らないが、真っ先に「諫早湾」という言葉は思い浮かぶ。長崎県に面しているとは知らなかったので、また自分の中の「日本地図」が広がって嬉しい。

結局電車に乗っていたのは1時間20分。佐賀駅で貰った観光情報が掲載されているフリーペーパーを読んだり昼寝をしていたりしているとあっという間だ。


江戸時代にタイムスリップ!?

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その後「浦上駅」に停まったと思ったら、数分後には終点の「長崎駅」。長崎県は今回の旅でも特に訪れたかった場所。歴史が豊かなことと、一時期推していた欅坂46の長濱ねるの出身地だということからだと思う。

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駅を降りてすぐ、「長崎くんち」と書かれた自販機が。この旅を始めるまで九州の祭りに関する知識はなかったが、実際にその新しい土地に行ってみるとこういう発見がたくさんある。

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駅前には短期のイベントなのか、ビールの看板と主にテーブルと椅子がずらっと並んでいる。

雨が降り出してきたのでとりあえず西友でビニール傘を買うことに。僕が好きな「長崎は今日も雨だった」という曲の通りの天気で少し嬉しい。

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まず10、15分歩いて「出島」へ向かう。

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三方を海に囲まれて独立した島のような地形だと思いきや、意外と街中に位置している。

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(なかなか説明しにくいが、Google Mapsの画像を見てもらえればわかるかもしれない。)

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見学料を入り口で払って早速出島の中へ入る。

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そこはまるで江戸時代のような風景画広がる。ただ純和風の建物だけではなく、所々和洋館のような建物もあるので、栃木県の日光江戸村とはまた違った雰囲気。

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とりあえず順々に建物内を見学。畳の書院造りの部屋に、壁紙が洋風のものが使われているのはなんだか不思議な光景。

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畳の部屋なのにも関わらず、オランダ製の家具が設置されている。和と蘭が融合した様子で、そのユニークさにとても惹かれる。

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展示や復元された蔵なども見学。鎖国中の日本で、唯一海外と繋がっていたこの場所にいると、なんだかタイムスリップしたような気分。

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出島でもあじさいの花は彩り豊か咲いている。

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昔のオランダ人が持ち込んで遊んでいたというビリヤード台を再現したものも。至る所に穴が空いてあるので遊び方が全くわからない。

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出島には「神学校」も設立されていたそうで、日本で最初のプロテスタントの学校だったんだとか。


長崎名物といったらこれ!

出島の中にもカフェやレストランはあったが、今回1番楽しみにしているのはあくまで中華街のちゃんぽんなので、早速「新地中華街」へ。

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目の前を通り過ぎていく路面電車に視線を奪われながら歩いていると、あっという間に中華街の門が見えてくる。相変わらず、どこの中華街に行っても入り口に派手な門がある。

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お店のレビューなどは全く調べてきていないので、直感のままに目の前に飛び込んできたお店に入ることに。

席についてメニューを開いてみると、長崎の名物である「ちゃんぽん」や「皿うどん」の他にもたくさんの選択肢。ここで迷わずちゃんぽんを単品で注文。

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あさり、いか、お肉、野菜にもちもちの太麺。まろやかでありながらあっさりのスープ。文句のつけようがない。

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食べ終わった後、少し中華街を歩いてみることに。


脅威から平和へ

その後、食休みも兼ねて中国や九州地方でよく見かけるゆめタウンで少し休憩。

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30分ほど滞在し、路面電車で平和公園、原爆資料館へ向かう。駅から少し坂を登った辺りで「資料館」という文字が。

資料館では、大阪の中学校からの修学旅行生と混じって展示を閲覧する。規模としては広島で見学した資料館よりもこぢんまりとした様子。

ミニシアターでビデオも観賞する。人々の目の前でピカッと何かが光り、その瞬間訳もわからぬまま熱と放射線であたり一面が廃墟になってしまう。

映像や写真で見ているだけでもおぞましいが、仮にこの原爆投下が自分の目の前で起きたら...全く想像ができない。というか起きてほしくもない。

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長崎に投下された「ファットマン」と呼ばれる原子爆弾。模型なのにも関わらずかなりの迫力。

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原爆の熱で変形してしまったサイダー瓶。こういった物からも被曝のリアルさを感じる。

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資料館の出口の辺りには「NO WAR」と描かれた千羽鶴。世界の国々が、自分たちの利害を越えた協力関係を築ける日は来るのだろうか。

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資料館からすぐの場所にある祈念館で犠牲者を追悼。外に出ると、被爆後の爆心地を撮影したものが。完全に何もかも消えてしまっている。

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その後、丘を登って「平和の泉」を通り過ぎ、ついにあの有名な「平和祈念像」を見学。垂直に伸びた右手は「原爆の脅威」、水平な左手は「平和」という意味を込めている。ここでも手を合わせる。

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角煮まんじゅうが売っているお店を見つけたが、夕食まで我慢ということでここはパス。

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祈念像を後にして階段を降りる。そこから少し歩くことに。

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最後に「浦上天主堂」へ行ってみたが、どうやら既に一般見学は受け付けていない模様。ということで、周りからその建物を眺めるだけ。


○○○○○系の宿泊所?

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今日も野宿...と思っていたが、浦上天主堂の目の前に「カトリックセンター」という宿泊ができる場所を見つける。

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おそらく今回の旅、いや、人生で初であろうカトリック系のユースホステルだ。

早速チェックインして受付の方と話していると、なんでも「ローマ法王」が長崎を訪れた際も宿泊されたんだとか。しかも大浴場、朝にパンとコーヒーのサービス、更にミサ体験もさせてもらえるらしい。そんな宿に2000円で泊まれるとは少し出来すぎている気もする。

ミサ」というのは全く経験がないのでわからない。とりあえず調べてみると、「神をたたえ、キリストによる救いを記念して賛美と感謝をささげ、聖体拝領を行う典礼(大辞林)」というものらしい。

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いつもは団体で混雑しているようだが、今日はたまたま空いているとのこと。大浴場を贅沢にも1人で使い、汗を流して部屋で一休憩。

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部屋からは先ほど少し見学した浦上天主堂が目の前に見える。絶好のロケーションであることは間違いない。

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夜になって買い出しのために外へ出る。共有のスペースで夕飯を食べていると、長崎ちゃんぽんの人気投票が掲載されているボードがあったが、全国展開している「リンガーハット」が1位だったのは少し笑える。ちなみに地元の人は「リンガー」と呼んでいるらしい。

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洗面台にあった注意書きを読むと、ゴミ入れのことを「護美入れ」と書いていることに気づく。美しさを護ると書いて護美入れとはなんと考え尽くされた言葉なのだろう。

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夜は目の前の天主堂がライトアップされている。周りがあまり明るくないこともあるのか、かなり綺麗に映えている。

明朝のミサ体験が朝5時半からだということで、9時半ごろには寝床に着く。