とある手かざし宗教二世の半生 地獄の小学生 編
みなさんは小学生の頃、どんな子どもだっただろうか。
さまざまな自分の過去を思い返してみてほしい。
どんな性格で、どんな友だちに囲まれて、どんな遊びをしていたか…
…なつかしさと同時に、他の感情は浮かんだだろうか?
どうかその感情が苦悩に満ちたものでないことを願いたい。
残念ながら、私はその苦悩に満ちた小学生時代を
歯を食いしばり過ごしたひとりである。
1〜3年生の頃
私はとても活発な子どもだった。
どちらかといえば女子より男子と走り回っていたように思う。
大人しい引っ込み思案な子、ポツンとひとりでいる子を見つければ
いっしょににあそぼ!と遠慮なく手を引いてかけ出すような
明るく物応じしない性格だった。
いま思い返しても、そんな自分が好きだし
大切にしたい自身の一部と考えている。
そんな大切な一部が、あの頃の私が、初めて困難にぶち当たったのは
〝引っ越しによる転校″ だった。
○市のボロアパートから、△市の団地へと引っ越したとき
私は、なんとも言えないザワザワした嫌な予感を感じていた。
そのきっかけは、新居のピカピカのフローリングで
父がすっ転び、ぽっきり左腕を骨折するところから始まる。
ケガして意気消沈した大人を見ると不安になるのは
ごく自然なことに違いないのだが、
信仰していた宗教では
身体の左側にケガをすると、霊的な罪穢があり
それに気付かないともっと不幸な事が起こる
という教えがあったのだ。
左は霊の面、右は体の面
という宗教あるある左右の意味があった。
マジメに働きながら、道場に通い手をかざしている
信仰心の高い父がなぜこんな目に遭うのか不思議でならず
神様の目はちゃんと父に向いているのかと疑問に思った。
あんなに〝がんばっているのになぜ?″
そう、これから
〝がんばっているのになぜ?″
と神様に問いかけ続ける地獄の日々が続くのである。
転校先では、アトピー性皮膚炎の私を不気味がられた。
子どもというのは正直なもので
見た目で自分や周りの人間を比べて、
違和感がある者を下に見る傾向がある。
私はまるで、白人主義者の中に放りこまれた黒人のようだった。
冷たい視線を感じながら、どうにか生き延びるために
おちゃらける、という事をあみ出した。
ちびまる子ちゃんの登場人物でいう
いつも「アハハ〜」とアホ丸出しで笑っている山田くんである。
何を言われてもヘラヘラし、バカにされてもヘラヘラしていた。
きもちわるい!と机を離されたり、触るとぶつぶつがうつると
キャアキャア騒がれ遊ばれる毎日だったが
泣いたりすることはなく、ただひたすらヘラヘラし、ぐっと耐えていた。
なぜ耐えていたか?と疑問に思う人もいるだろう。
親に心配をかけたくない、という気持ちが大きかった。
それに、宗教の教えで
〝対立の想念を出してはいけない″
という事項があったからだ。
対立の想念とは、敵対心や怒りをもった心のことで
想念を出すとは、その心で他人と接することやオーラを出すことである。
プラス思考の想念で過ごすことが良しとされ、
マイナス思考の想念は魂が曇り、罪になる。
という事を教えられていた。
こんな見た目だけでも罪深いのに
もしまた新たな問題を抱えたら親が悲しむと思った。
がんばっているのに、なぜ?
がんばっているのに、なぜ?
そう思いながらもヘラヘラ山田くんになるしか、
学校や家において穏便に過ごす術はなかったのである。4〜6年生の頃
この時期の年齢になると、教団からオミタマを貰えるようになる。
オミタマとは丸状のペンダントで
身につけると神様と見えない線で繋がることができ
そこから神の救いの光が手を通して放出される、というものである。
初級研修会という3日間の勉強会に参加すると、そのオミタマは貰えるのだ。
オミタマは肌身離さず身につけていなければならない。
オミタマは付けている人自身を守り、
手をかざすことで他人を救う事ができるという神聖かつスペシャルな御守りで
命より大切にするように教団から言い渡される。
その為、信者は四六時中オミタマを身につけていなければならない。
高学年にもなると、目ざとい人間は増えるもので
「首につけているヒモはなに?」
「アクセサリーをつけてきてる」
と咎められ始め、その度に受け流すのがしんどかった。
アトピー性皮膚炎の見た目を気持ち悪がり、
オミタマのことを指摘し、ADHDの症状( またの機会に語っていく )
を目にするクラスメイトは、とうとう本格的なイジメを起こした。
このイジメで私は抜毛症になり、
また自己肯定感を大いに損なうことになる。
(イジメや抜毛症についても他の機会に語っていきたい。)
学校側からイジメがあると親に伝えられるまで、
わたしは決して親にイジメられている事を伝えなかった。
神の教えを受けた我が子が、
こんなにも愚かな存在だと失望されたくなかったし
一生懸命に信仰しているのに、
我が子の多々な問題でこれ以上苦しんでほしくなかったのだ。
他人からの言葉の暴力や態度、両親の悲しんだ顔、
神様の教えとオミタマの存在、
沢山の葛藤と、悲しみとやるせなさで小学生時代は終わりを告げた。
〝神様と繋がっているのに、こんなに苦しいのはナゼ?″
そんな暗い感情を抱いたまま、私は中高生に進学するのだが
そこで更に宗教二世の闇の扉を開けてしまうことになる。
次からはその宗教の闇について語っていく。