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一生モノの定義

販売員から言われる「一生モノです」の定義について、批判ギリギリの記事書きます。

場所を選ばす某セレクトショップ、ラグジュアリーブランド、銀座コマツビル、三本線のブランド、チェックマークのブランド。そのほかいろんなところで言われてきた
「一生モノです」という常套句。

この言葉の定義についてもう一度整理したい。

一生モノとは?読み方:いっしょうもの
別表記:一生物               生涯にわたって使い続けることができる品。長く使える良品。

この説明だと、後者の使い方は定義として間違っていない。
やや抽象的ではあるものの、間違ってはいない。

続いて一生について

いっ‐しょう〔‐シヤウ〕【一生】
1 生まれてから死ぬまでの間。終生(しゅうせい)。生涯。「幸せな一生を送る」「事業に一生を捧げる」「一生を棒にふる」「一生忘れられない出来事」
2 やっと生き延びること。一命。「九死に一生を得る」
3 (「一生の…」の形で)生きている間に一度しかないようなこと。生涯にかかわる重大なこと。「一生の願い」「一生の不覚」

1番の使い方が適当である。

ただ、先程の一生モノとの感覚にズレが生じてしまう。

「一生使えるモノ」

ではないということか。

これは知らなかった。
 

話を戻す。
結論。
販売員から言われる「一生モノ」は
長く使えるモノということで、生涯を通じて使えるモノではない。

長さの概念には個人差があり、
5-10年と思うのか、10-30年と思うのか、また、100年以上なのか。
そこに対してはこの言葉一つではフォローできないということ。


なるほど。良くできている常套句である。

とりとめのない話になってしまって恐縮だが、店員の売り文句の一生モノは気をつけよう。
これは自分の体験談100%なのだが、基本服は結構持つ。家電や車みたいにパーツが多くないからどこが壊れたかが明確で、メンテナンスもわかりやすい。

問題なのは【飽き】である。 

自分は2年持てばいい方で、ワンシーズンですぐに飽きてしまう。そのため過去の写真を見ても、こんな服そういえば持っていたなと思うものがほとんど。ひどい時は靴からキャップまでひとつも残ってない時もあるくらい。

よく言えば成長しているとも言えるのだが、実際に買う物に関して事前に検討した方が良い。1時の感情に流されてしまうと、残る服を手に入れることができない。

つらつらかいてきたわけだけど、
結局残るものってなんか特別なものじゃなくて、売るに売れない古着とか、人からもらった服とか、売るのさえめんどくさいくらいの服なんだよね。

何年も使えるものって、外見はキラキラしてないのかもしれない。機能と内面が大切。

閑話休題。

信頼できる店員さんを作るくらい通える服屋が欲しい。
自分は服屋行っても9割買わないから、店員と仲良くなることって殆どない。

ビズビムとか典型的だよね。


ではまた。


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