情報には飢えていてもそれは自分の文章でもいいんじゃないかって話
お風呂にもスマホを持ち込む程度には情報中毒者である。
見ているのは動画配信サービスやSNSを含めたネットサーフィン全般で、もちろん役に立つ面がないわけじゃないが、最近あまりにもそれに取られる時間が多くなってきてしまい、スマホが生きているのか自分が生きているのかわからなくなる瞬間が出てきてしまった。流石に少しはコントロールをしようかと思って、情報抜きの計画を思案していたから考えをまとめるためにもこの文章を書いている。というかこの文章自体も文を書くことでネットの海から息継ぎをする情報抜きの一貫である。
最初は文章にもならないようなボールペンでノートを傷つけるような営みだったり、それに飽きるとアニメ調の目の落書きだったりを始めていた。そのあとこうやってようやく文章を生成し始めたわけである。
外からの情報は抜いているけれど、その間も自分は情報を浴びることはやめられず、結局はこうやって文章を書くことで情報を作っては浴びている。
この状態は情報を浴びているという点では何も変わっていないが、情報を生成し始めた点で以前の私よりはいい状態であると思われる。一旦は半歩前進したことで勘弁してやろう。