写真と言語化について想うこと
だいぶ日数空きました。
プロレスの話もしつつ、
写真について触れたい所存。
カメラを買ったのは、
コロナに入ってからでした。
周りの友達がカメラを買い出して
"カメラ"の何が楽しいのか?
正直わからんかった
でも、みんな引きこもってるなら
逆に外に人いないから
写真撮るならチャンスじゃね?
と何故か購入。
友達に、"今じゃねーだろ"と
つっこまれましたが
はい、私もそう思います。
みんながやらないことを楽しむのが私なんです。
逆にみんなやってるものには興味なし。
いわゆる、変人、天然、性格悪い、あの子嫌い
たくさん言われてきました!!!
アラサーになった今思う。
そうだねって。
20代は大半コロナで終わり、
どこにも行けてない。
なんなら死にかけた!
でも、人ってね
幸せそうにみえてる側面でしか
言ってこない
言われた方に、
どんな背景があって
どんな気持ちで
なんて想像力の乏しい言葉が多い
そこから私は
緩和ケア、精神科看護を少し学び
"言葉の使い方"を感じるようになった