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『Re:公民連携シンポジウム』雑感|やるべき基本は変わらない|Additional#08
2025年2月21日は岩手県紫波町『Re:公民連携シンポジウム』へ。恩師や大先輩たちが会するレアな機会。紫波町の公民連携やオガールの15年を鎌田さんが振り返り、公民連携の歴史とオガールの位置づけを根本先生が辿ったのち、これからのオガール・紫波・公民連携を根本・清水・岡崎・難波・鎌田さんが語り合った数時間。
公民連携でやるべき基本はずっと変わらないのだな(大変だけど)。
講義を受けている気持ちにもなる中、ふと在籍時を思い出すと、根本先生も清水先生も「普通のことをちゃんとやるだけなんです」と言い続けている。状況の変化に対応して方法が変化するにしても、その基本はずっと変わらない。それを再認識する時間でもありました。
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この場に居合わせて、あらためて認識しなおしたことや触発されて考えたことなど、雑多でもメモを残しておこうと思います。一度には書ききれなさそうなので、数回に分けて、順不同で。
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意図的に将来を決めない経営的な進め方
「日本は昔から比較的公民連携が得意な国で…」からはじまった根本先生の【日本の公民連携の歴史】レクチャー。
PPP/PFIは、これまでのなあなあな官民リスク分担の反省を踏まえ、契約時に決めることで安定的に事業を進めようということにした。けれども、決めたことしかできず柔軟性がない面も見えてきた。かといって前時代に戻ればいいというわけではない。そこで、将来を意図的に決めず柔軟に行動できる余地を残しておく方法として、エージェント方式やLABV方式が近年実施されはじめた。まだ実践中で課題は不明であり、これがうまくいかなくなった時にどうするか、これからが本番。いずれにせよ完璧な方法はなく、一部失敗してもそれを乗り越えていけばいいだけ。
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自分の理解では、意図的に将来を決めないやり方では「誰がやるか」と「どういう状態を目指すか」を先に決める。有効な方法は状況により変化する。
紫波町が定めた公民連携基本計画では、財政負担を最小限に抑えた町有地活用による経済開発の複合開発事業を公民連携により進めるという方針が明記されている。ここで言う公民連携は、得意な人が得意なことをやる、そこに官民の立場は関係ない、民間に任せるべきは任せ、行政は行政がやるべきことをやるという公民連携のこと。行政課題を民間活力でなんとかしようとする部分的一方的な官民連携とは異なる。
また基本計画では、事業の実現によりまちがどういう状態でありたいかという像、誰がまちで何をしてどのような時間を過ごすのかというシーンが、『未来の紫波中央駅前におけるある一日』として描かれている。ありたい状態とは、図書館をつくる・カフェをつくるなど施設と規模などを表した整備計画とも、とりあえずの歩行者量などロジックが不明瞭なKPIとも異なる。
公共サービス型にせよ公共資産活用型にせよ、「〇〇整備運営事業」「〇〇跡地活用事業」などプロジェクト単体で扱われ完結する傾向が強かったPPP/PFI。仕様発注ではなく性能発注などという議論のもっと先に、取り組みの本質がある。
細分化されたプロジェクトを束ねる役割
根本先生曰く、2023年に書いたオガール紫波プロジェクトに関する論文が海外でバズったと。こんな複雑なことはできない、なぜできたのか?と。このくだりも示唆的だった。
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オガール全体のスキームとエージェントの役割を表した図に、プロジェクト契約主義が主流の海外では、「なぜこのように複雑にするのか」という反応が多かったという。町が土地を売ったり買ったりしながら、それぞれのプロジェクトが契約でしっかりしばれていればいいじゃないかと。
しかし契約に基づくプロジェクト単位で細分化されバラバラになると、全体がどうなるか分からなくなる。束ねる役割をしているのがエージェントだ(図では“Ogal Shiwa Co. Ltd.”がエージェント)。
理論的には、行政がプロジェクトコーディネーターやエリアプロデューサーの役割を担えるなら、エージェントを立てる必要もないのかもしれない。ただ現実的には、多くの日本の行政あるいは公務員は、それが得意ではないしできる余裕もない。
多くの公共サービスや公有地活用の公民連携は、どんどん単独のプロジェクトに落としていくようになってしまっているが、まちづくりは全体が束ねられていなければ失敗する。土木や建築の分野で言えば、分離発注する場合でもプロジェクト全体を統合する役割が必要となる(が、それが軽んじられるのもまた現場での体感)。
エージェント方式にしてもLABV方式にしても、あるいは別の方式にしても、細分化されたプロジェクトを複線的に束ねる役割を置くやり方。状況の変化に合わせて、あるいは状況そのものに変化を起こしながら、目的に対して有効な方法を変えて進めていく役割。それは、プロジェクトごとに契約により限定的に関わる官民連携とは異なり、意図的に将来を決めずに「経営」的に進めていくやり方と言える。
この、先の見えない状況に関わり続けることができる民間は、現時点では、その地域に関わる(関わらざるを得ない)理由がある民間。まちが元気にならないと事業の将来も見えない企業であったり、そのまちを悪く言われるとイラっとするような出身地の個人であったり(自分で言えば、それは小川町であり埼玉になる)。
「普通のことをちゃんとやる」公民連携
岡崎さんと鎌田さんが公民連携専攻に通う中、岡崎さんが鎌田さんに「俺は投資をする。民間に投資されるまちにするのがあなたの役割」と一年間説教し続けたという話も印象的だった。
岡崎 民間である自分はまちに投資をする。行政であるあなたは、民間に投資されるようなまちにすること。そのために、ちゃんとした公共空間をつくる、ちゃんとした図書館をつくる。それをつくるためのチームをつくること。それができないと民間は投資もしないし時間も使わない。
もう公民連携は不可避であり、行政の役割も変わっていく。行政は、民間に任せても任せっぱなしにはできない。ラクにはならない。公民連携をコストダウン手法やアウトソーシング手法と捉えているうちは、有効な公民連携などできるようにならない。できるようになるには、実践しながら公民連携の小さな失敗を乗り越えていく必要がある。
公民連携にも人材育成は必要。「公民連携推進室」のようなワンストップ・庁内横串部署が必要だとはいえ、こういう部署をつくって業務を定義したらうまく行くわけじゃない。誰かひとりスーパー公務員がいればはじめは動くかも知れないが、継続しない。失敗しながら乗り越え積み重ねてきた。これを共有するチームだから、次にできることが増えていく。地味な努力を回避することはできない。
しかし、何かとてつもなく難しいことをしようという話ではない。民間が投資を避ける要因とは?途中でポリシーが変わる。聞く耳を持たない。約束を守らない。それをやらないだけという、とても当たり前の普通のこと。ただそれができている行政・地域が圧倒的に少ない。根本先生の基調講演やトークセッションでの発言はずっと、「普通のことをちゃんとやるだけなんです」で一貫している。
公民連携でやるべき基本はずっと変わらないのだな(大変だけど)。公民連携専攻在籍時の講義を思い起こしながら、その基本はずっと変わらないのだということを再認識する時間だった。
このシンポジウムについては、公民連携の軸だけでなく、まちづくりの軸でも振り返ったり、もう少し人材育成・自己学習の面から触れたりなどもしたいと思っていますが、だいぶ長くなったので、まずはここまでにします。
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ほかにも、公民連携や公共不動産のこと、まちを巡っての体感と内省のメモなど、マガジンにまとめているのでよろしければ読んでみてください。