長女10歳
世の中が成人の日を祝い終わったころ、
長女が10歳になった。
朝から二女と息子が「○○ちゃんおめでとう」と声をかけても、本人はわかっていない。
「じゅーさい。ごさい。んーきーにねんせい」と年齢の話になるとなぜか二女が2年生であると話すいつものパターンに。
それでもいい。
だって長女の誕生日はわたしのためにあるから。←おい。
この10歳を盛大に祝おうと、実家の父母や義父を呼んでパーティをするつもりだった。
が、わたしと夫が正月明けから寝込んでしまい、子どもたちは濃厚接触者。
パーティはまた後日…ということになった。
この時に感じたのは、長女がその辺わからなくてよかった…ということ。これが二女だったなら、恨みつらみ悲しみ嘆き悔しみ、あらゆる想いをぶつけてきただろうから…
大好きな焼きそばを思う存分食べてもらい(2〜3人前食うた)、
ケーキも買いに行けないので、フルーツポンチを作って、ろうそくを消す代わりに、サイダーにメントスいれる大役をお願いした。
甘いのが苦手な長女には、ケーキよりも好評だった。
今日はかるたを。
だんだんひらがながわかってきたので、わたしがええ塩梅でわからない感じを出したら、長女も楽しめるのだ。
わたしが思ってた以上に識字できていることも今日分かった。
ウノもしたけど、まあまぁカオスやった。
で、夜はソファに父と母の間に座ってそのままご就寝。(濃厚な接触者…)
10周年!と意気込んでいたのに反した、おだやかでゆるやかな誕生日だった。
長女の誕生日はわたしのためにある。
冗談半分だけど、半分は本気。
10年前の彼女の誕生はわたしの人生の大きな大きな分岐点。そして10年前、わたしを「母」というものにしてくれたそんな日なのだ。
お腹の中の子がダウン症だと分かっていて臨む出産。生まれてきた子がただただ可愛くて、ただただ無事に育ってほしくて。かるいけど重たい、そんな命のかたまりを大切に抱っこしていた10年前。今はうっとうしくて払いのけたりもしてしまうのに、それでも「だっこー」と甘えてくる10歳。
あなたの10年を疑っていたわけではない。でも手術のたびに、体調を崩して死にそうな顔色を見るたびに、子ども病院でいろんな検査を受けるたびに、あなたの笑顔の奥に勝手に映し出されるわたしの死に対する不安。
10年無事に生きた。それだけで満足。
すごいね。
…と言いたいけれど、そうもいかない。
生まれた直後は「競走社会と離れたゆっくり育児をしていきます」とか言うてたけど、結局ダウン症の世界で競走してしまったり、成長するにしたがって、たくさんの壁にぶつかって、これから先もたくさんの壁があることを知った。
あなたのこれまでの10年を、あなたもわたしも頑張って生きてきた。生かしてきた。
この先の10年。はたちになるあなた。
きっとまた、たくさんのことがあるけれど、語るとあっという間なんだろう。
1日1日を楽しく生きて、それが1年になって、それが10年になればそれでいい。
あとは母がなんとかしよう。←
欲を言えば、
もう少しお片付けとかしてほしいけど。
あと妹や弟にもう少しやさしくしてほしい。
あと、あと…