見出し画像

"ウソ社会"の崩壊とAV新法成立の関係

"ウソ社会"は崩壊した

このnoteの最後の方を読み返して思ったことがある。

タテマエとホンネが分離して距離があるからこそ、タテマエを使って一矢報いるという反撃手段が利用できた"ウソ社会"から、この二重構造が壊れ、ホンネという名の剥き出しの欲望しかない。
そのようなホンネの表出が政治現象として起きるとどうなるか。例えばアメリカが良い例だ。

リベラルやインテリにとっては地獄かもしれないが、そんな「ええかっこしい」なタテマエなんて「クソくらえ」という「ホンネ」が前面に出てきている時代である。

人格と意見が同一視される時代

日本はどうなったかと言えば、こうだ。
SNSの普及により、井戸端会議の愚痴が際限なく外へ浸透し、プライベートで囲い込まれていた問題が、パブリックなものになっていくのが現代社会の特徴だ。
その結果、「意見と人格は別」というタテマエが崩壊したのである。

若者たちの「批判されること=人間的に評価を下げ、嫌われること」という時代感覚は、このような状況への適応である。

更に日本人の特性も拍車をかける。

フロイト心理学曰く、人々が法に従う時には、必ず副産物として超自我を形成する。
簡単に言うと「闇の法」とか「裏の法」。
例えば「タブーを守る」だったら、闇の法は「タブーを破れ」となる。

このような二重性が成り立つには、法や規則、ルールと言っても人が思うことというよりも、より抽象的な原理として考えるという心の動きが必要だ。
山本七平によれば、キリスト教を含めた一神教の機能として、人が見ているとか神が見ているというのを、基本的に二重に持つことがある。
「正しい、間違っている」「許せる、許せない」というようなことで、人が思うことと神が思うことは違う、というのが一神教の文化だ。

一方で日本は、一神教の文化のない、抽象性の低い世間の眼差しがある空間であり、人間の行動は周囲のプレッシャーを受けることになる。
これが日本社会の同調圧力の正体だ。

逸脱に厳しい社会とは、このようにして作られていくのだ。

そしてこの傾向に拍車をかけるのが、共同性の崩壊だ。

かわりに日本社会は、共同性の崩壊、つまり誰が「仲間」か分からない不安を、逸脱的な他者に集団炎上して「インチキ仲間」を捏造(ねつぞう)する営みで埋めるようになりました。それが今の、デタラメ放題の「美しい日本」でしょう。

うそ社会 軽やかに適応 宮台真司「制服少女たちの選択」
https://book.asahi.com/article/11573995

また、宮台は道徳的な噴き上がりの背後にあるパーソナルな文脈は、「社会はこうあるべきだ」「人はこうあるべきだ」というコミットメントがあると指摘し、更にこう指摘する。

宮台: そうです。ただし、「リテラシー」という言葉は多くの人に誤解を与えるでしょう。テクニカルな知識ということではなく、社会を生きることがどういうことか、という理解も重要なんです。例えば、これはフロイトや精神分析学の非常に重要なテーマですが、今日もお話したように、多くの人が同じ場に埋め込まれ、前提を共有している、という感覚がなくなると、被害妄想的になる。そういう人たちが、それでも共有できる擬似的な仲間感覚というのは、やはりみんなで一眼となり、共通の敵を攻撃することなんです。これは戦間期、あるいは第二次大戦後の研究から、「全体主義がどうして生じるのか」ということの1つの仮説的な結論として浮かび上がってきていることです。そこにカタルシスが生じるとか、自分の孤独感が埋め合わされると感じるということが持つ意味は何なのか。僕は、そこも含めてリテラシーだと思います。炎上で気持ちをスッキリさせて「酒がうまいよ」なんて、お前そんな生き方で大丈夫なの?という(笑)。

山口真一氏:日本でネット炎上が後を絶たない理由が見えてきた
https://ch.nicovideo.jp/videonews/blomaga/ar1182969

宮台: これは被害妄想的で、たまたまそこに不道徳な人間がいたということではなく、日ごろから「俺が不愉快なのはこういうやつがいるからだ」「こういうやつが社会をダメにしているんだ」という感覚があり、炎上させることで情緒的な表出を通じて感情的な回復を行っている、ということです。明らかにカタルシスを感じ、溜飲を下げている。

山口真一氏:日本でネット炎上が後を絶たない理由が見えてきた
https://ch.nicovideo.jp/videonews/blomaga/ar1182969

宮台: 僕はネットやSNSが原因だとは考えないほうがいいと思います。人々が被害妄想的になる原因は、社会心理学的なリサーチの蓄積でわかっている。つまり、同じ前提を共有していると思っていないからです。例えば、親しい人、知り合いが出す音は騒音に感じないが、知らない人が出している音は騒音に感じる、という調査結果があります。最近、近隣の騒音に関するクレームが増えていて、これは近く人住んでいる人間でさえ同じ前提を共有しているとは思えず、もっと言うと「人をゴミのように思っているクソ野郎がそこにいるんじゃないか」という妄想をふくらませることになる(笑)。

山口真一氏:日本でネット炎上が後を絶たない理由が見えてきた
https://ch.nicovideo.jp/videonews/blomaga/ar1182969

この共同性の崩壊を後押ししたのが時代の気分に便乗した大人たちであると同時に、被害妄想的な大人たちが、擬似的な仲間感覚を共有するために共通の敵を攻撃することで共同性の崩壊を加速させた。
上掲の白饅頭日誌の記事曰く。

 SNSによって拡大してきた「わるい意見を言う者は、わるい人間であるに違いない」という時代の気分を批判するでもなく、それに便乗してきたのは、ほかでもない大人(とくに発信力のあるリベラルなインテリ層)の側です。このような属人的な論調を否定せずむしろ自分たちの政治活動やイデオロギーに都合よく援用し、意見の異なる「論敵」の人間的評価を貶めるような流れをつくってきておきながら、同じ口で若者に「なんでも自由に意見を言ってほしい」などと言っても、答えてくれるわけがありません。

このリベラルなインテリ層が「権威への反逆から権威主義へ」と傾いていったのも、同じ理由だろう。
その結果起きるのは忖度の蔓延だ。
これは新たな形の権力勾配であり、権威主義的なトレンドと言ってもいいだろう。

共感圧力が"AV新法"を成立させた

そして今時の社会運動にしろ政策決定における合意形成にしろ、ポピュリズムという名の共感の渦が決定的な役割を果たす。
その点も過去にnoteに書いた通りだ。

忖度と言うけれども、内実は感情の押し付けであり、同調圧力と呼ばれているものは、感情の共有の押し付けである。
これを個人的に共感圧力と呼んでいる。

実は過去に共感圧力からくる社会運動の圧の強さは「萌え」バッシングで証明済みだ。

その結果が「女の敵は女」という状況だ。

今回のAV新法も同じだろう、と思っていたら同じことを思った人は他にもいたようだ。

今回の法案の可決・成立過程を見ると、

  • 「AVなんてけしからん」という道徳的吹き上がり

  • その背景にある「AV出演で被害を被る女性をなくすにはAVそのものを無くせ」という潔癖症的なコミットメント

  • 「この法案に反対するということは、あなたには道徳が無いんですか?」という共感圧力

の3点セットが見事に揃っている。

この動きこそが大政翼賛会的である、と誰も言わない、というか言えない、というのが正確なところだろう。

まぁ、与党からすれば、ここで揉めると他の採決に影響が出るとか、野党の得点にさせないために同調するとかの動機があったのだろう。

これは表現の自由の問題よりも大きな問題を示唆する。
山本七平の言う日本を破滅させる「空気の支配」の好例だからだ。

いいなと思ったら応援しよう!