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反権威の皮を被る権威主義者 #2: 母権パターナリズムと母親になれない女性のためのフェミニズム
ぶっちゃけ矯風会的なものは、日本の伝統ではない。
伝統的な宗教・性規範が崩れたところにフェミニズムが生まれ、それにより解体された領域に進化心理学が入り込む。
— 「人文科学」bot (@defundJinbun) September 5, 2022
進化心理学を批判しようとすると、社会的に構築された性規範が必要になって振り出しに戻る。
最近のいちゃもんが昔のキリスト教婦人矯風会みたいになってるのはその影響なのかな
北原みのり氏が「キリスト教矯風会」を日本の「伝統的フェミニズム運動」だと宣言したとおり、実は現代のツイフェミ的な性嫌悪的フェミニズムは、キリスト教道徳に一つの源流を持っており、その点では統一教会の純潔主義と同一の出自を持っているとさえ言えます。
— 青識亜論(せいしき・あろん) (@Frozen_Sealion) September 8, 2022
そして家庭内の序列、家庭観の問題。
これが一番男性の結婚意欲の低下に繋がってる説ありますあります
— グラム (@askalon3) September 8, 2022
家庭内でいやでも見せられ続ける序列を嫌がって自分の為だけに生きる人が増えたんだよね
序列トップの女性と関わるのもリスクなのもあって恋愛さえしない人が若者世代にも多いというね https://t.co/VYy0Ig6HhR
カフェで婚活女子たちが、「結婚は、月5000円夫にお小遣いを払えば、月50万円入ってくるサブスク」みたいな話をしていたので、結婚できないように呪っておいた。
— お侍さん (@ZanEngineer) September 1, 2022
このあたりの背景の一つに、本邦特有の母権社会・母権パターナリズムが存在する、と過去に指摘した。
具体的な事例としてはこんな感じである。
これがパターナリズムの実例。子供は親の所有物である。メモ。 https://t.co/rcuJ8b8c9O
— クソえもん@総研ひとり (@yajiumafighter1) August 23, 2022
そして「女性=弱者」図式を利用した"男社会"への逆襲のロジック。
これに関しては良解説があった。
第4波反ポルノフェミニストの行いは、第3波までのリベラルフェミニズムから見れば、女性から主体性を奪う意味で家父長制や父権主義、パターナリズムとやってる事は変わらないのに、パターナリズムと敵対している体裁を取っているのは何故か。
— ymils(イム)⚡ (@ymils_y) September 10, 2022
恐らく女性性の資源化の全否定があるからではないか。
今まで女性の主体性を認めず、性表現を排除するのがパターナリズムから反ポルノフェミニズムに変わっただけで両者の区別がつかないでいた。
— ymils(イム)⚡ (@ymils_y) September 10, 2022
昔、男女同権では無かった時、女性は家制度や家長の財産であったが、フェミニズムによって家父長制から自由になる事で女性は心身を自身の物として取り戻した。
フェミニズムによって女性は法的に男性と同権になる事で人間足るあらゆる自由や人権を獲得した訳だけど、人間足る以上は男女は同様に財産を持ち、自主的に使う事が出来る。
— ymils(イム)⚡ (@ymils_y) September 10, 2022
不当に奪い搾取する事は法的にも人道的にも許されない。
その考え方は法治主義において対等で、性別属性で変わる事はない筈だ。
家父長制において女性は男性社会から守られ、代わりに女性らしくせよと規範を押し付けられて自由が奪われる。女性性を客体でしか扱われず自身を財産として使えなかった。
— ymils(イム)⚡ (@ymils_y) September 10, 2022
フェミニズムはそれに反発し、女性の個人自由主義を求める性質ゆえ反権力、左派になりがちで、特に反宗教、反道徳にもなりがち。
フェミニストの残す論考では表面上、主体的な女性性の表現は否定されない。
— ymils(イム)⚡ (@ymils_y) September 10, 2022
しかし近年ネットで起きる騒動で女性表象表現に対して、それが主体的表現か客体化表現かの区別がついていない。
今の反ポルノフェミニストは、主体客体問わず女性性の資源化、財産化そのものの全否定をしているのではないか。
フェミニストが侮辱語を作ってまで批判してきた女性は、女性の職業選択や社会進出を阻む家制度を内面化した女性であった筈なのに、男性を喜ばせる社会進出した女性を批判する言葉に意味を変えている程だ。
— ymils(イム)⚡ (@ymils_y) September 10, 2022
男性に訴求する物であろうがなかろうが、女性性の財産化が見出される物が非難される様に思う。
だから女性性に価値を見出し、訴求する対象が男性でも女性でも、女性が主体的に表現し女性が消費していても非難対象になるのではないか。
— ymils(イム)⚡ (@ymils_y) September 10, 2022
結果として公的機関、公共空間を理由に女性表象表現が規範に背いたと全体主義で抑え込まれる動きが、パターナリズムに反対しながら、それそのものに酷似する。
社会規範において、パターナリズムは女性性を財産化し客体として扱った。
— ymils(イム)⚡ (@ymils_y) September 10, 2022
第1~3波フェミニズムは女性性という財産を、女性が主体として扱える個人の権利にした。
第4波反ポルノフェミニズムは女性性の財産化を否定していると考えれば、主体性を否定するパターナリズムと同じに見える理屈も分かる。
女性性の財産化を否定する事でパターナリズムを否定しているつもりが、反ポルノフェミニズムも保護の名目で女性の自由を奪う事で、女性を人間以下の物として見ているパターナリズムと同根の物になっている。
— ymils(イム)⚡ (@ymils_y) September 10, 2022
反ポルノフェミニズムはパターナリズムと鏡合わせの様な存在でパターナリズムに囚われてる。
平塚雷鳥さんの女性は家父長ではなく国が保護すべきという論に対し、与謝野晶子さんが、それは家父長制が形を変えただけで女性の自立ではないと否定した母性保護論争を今再び繰り返してる様だ。
— ymils(イム)⚡ (@ymils_y) September 10, 2022
保護と自由は相反する物で、両方得ようとするのは王様の様な逸脱した特権を求めるに等しい。
女という社会的性別になる前に人間として己の足で立て、田嶋陽子さんが発信していたフェミニズムの在り方を否定する様な、弱者として無限に配慮を求める今のフェミニストが嘆かわしい。
— ymils(イム)⚡ (@ymils_y) September 10, 2022
女性に向けた女性性の発信でも非難される事があるのは、ラベンダー色の脅威と同性愛者が差別された事例にも似る。
女という社会的性別になる前に人間として己の足で立て、田嶋陽子さんが発信していたフェミニズムの在り方を否定する様な、弱者として無限に配慮を求める今のフェミニストが嘆かわしい。
— ymils(イム)⚡ (@ymils_y) September 10, 2022
女性に向けた女性性の発信でも非難される事があるのは、ラベンダー色の脅威と同性愛者が差別された事例にも似る。
フェミニストは旧約聖書においてアダムと対等である事を要求し楽園を去ったリリスの在り方ではないのか。キリスト教圏のパターナリズムを模倣したフェミニストは何だ。
— ymils(イム)⚡ (@ymils_y) September 10, 2022
第4波の時点になって第1波、第2波フェミニズム史の失敗を繰り返しているのは、フェミニスト間での知識の絶望的な断絶を感じる。
こういう枠組みの中で語れる事例、確かにどこかで見聞きしたパターンだ。
それでは、本日のマガジンのお時間です! 今月も白饅頭マガジンをはじめていきます! よろしくお願いいたします!! / 暗黒メモ「あなたしか選ばなかった道」|白饅頭 @terrakei07 #note https://t.co/6iDhQCTJ0t
— 白饅頭(御田寺圭/光属性Vtuber/バーチャルツイッタラー) (@terrakei07) September 1, 2022
そうなると、ここまで色々と集めて読んでみて、ある点が気になるのだ。
母権社会・母権パターナリズムは、ある種の文化的な適応現象だと仮定すると、確かに専業主婦にまつわる問題や言説に見通しの良い一貫したロジックが成り立つ。
それは「母親の権利」と「女性の権利」の違いとして記述できる。
この問題を教えてくれたのは、人民網日本語版記事『「女性の権利」よりも「母親の権利」が重要視される日本』だ。
日本は間違いなく母権社会である。ここでは「母親の権利」と「女性の権利」の違いに注意する必要がある。「女性の権利」は主に女性の社会的地位と権利を示すのに対し、「母親の権利」は女性の家庭内の地位と権利を表す。
日本で「女性の権利」があまり尊重されない原因は、「母親の権利」が尊重されすぎて、日本女性が一心に「母親の権利」を追求したからである。大部分の女性にとって社会的地位と家庭内の地位を秤にかけた場合、後者がより魅力的であり、一心に専業主婦になろうとするのである。
そして上で引用したymils氏の一連のツイートと併せて読むと、第4波フェミニズムの裏の顔が見えてくる。
母親になれない・なる気のない女性にも、母親と同じ権利をよこせ、という目標が。
ここで言う母親は2つの意味がある。
一つは社会的ポジションとしての"母親"である。特に賃労働忌避のロジックの部分がそうだろう。
もう一つが、このような主張をしている連中の"母親"である。
その背景には、若年層を中心に貧困化と二極化が起きているからだ。途上国のスラムに住む女性の考える先進国の男との結婚とマインドセットは変わらないのかもしれない。
日本人女性も同じかもしれない…
— クソえもん@総研ひとり (@yajiumafighter1) September 8, 2022
"途上国のスラムに住む女性たちにとっては、先進国の男と結婚するというのは豊かになるための手段でもある。結婚相手は豊かな生活を得るための踏み台である。だからこそ、男がその気になったら、いくらでも結婚してくれる女性が見つかる。" https://t.co/ZUlIO2nyA2
そして母親になれない・母親になりたくない女性の背景も経済的な理由があるのだろう。こういう指摘がある。
ここ10年で親が有名大卒で自分も同等の教育を受けて優良企業に入った20代〜30代の人が親と同じだけ稼いでも税金と教育費が上がっているので子に自分がしてもらったのと同等の教育ができない事態に陥ってる。これは日本が知識層の再生産が難しい負のサイクルに入ったことを意味するので相当やばい。
— たろ丸 (@tenche1204) August 29, 2022
世帯年収1000万の親と同じ生活と教育をしたいと思っ社会保険と税金、そして必要な教育費の上昇を考慮すると額面1500万はないと厳しいのが現実です。今の日本は1500万稼いでも手取りは1000万。500万も取られるからです。
— たろ丸 (@tenche1204) August 29, 2022
年収1000万は今の日本でも大企業である程度出世すれば到達できます。しかし1500万になるには限られたルートしかないのが現状です。1500万は戦略的にキャリアを作らなければ到達できない金額なので、必然的に今後は自分が親から受けた教育をできない人が多発するでしょう。
— たろ丸 (@tenche1204) August 29, 2022
実際に同じ教育をさせようとするとパワーカップル婚をして二馬力で稼ぐのが現実的な落とし所になるけど、それでも幼少期に子供と一緒に遊んだり、家に帰ったらお母さんがいるみたいな経験は提供できないし、塾には入れることができても勉強の伴走もできないから落ちこぼれる子もでてくる。
— たろ丸 (@tenche1204) August 29, 2022
ただ親と頃と比べて一馬力では教育費が出せないから共働きを選択し、その結果両親に子供の教育をする時間がないからお金で教育を買うことになり、さらにお金を稼ぐ必要が出てくるという地獄みたいな展開。疲弊するほど働いかないと教育水準を維持できない家庭を貧しいと言わずしてなんなのだろうか。
— たろ丸 (@tenche1204) August 29, 2022
私が考える解決策は自分自身が年収1500万〜2000万などの高収入になり自衛すること。一人でこれでだけ稼げれば伴侶選びで年収を過度に気にする必要は無くなるし、子に十分な教育をできる。専業主婦(夫)という選択肢もとることができる。そういう背景もあって書いたのが1500万円到達note。
— たろ丸 (@tenche1204) August 29, 2022
このnoteは私の経験を活かして再現性の高く1500万円に到達する方法を書いた。有料noteだけど骨子は全部無料で公開しているので買わなくてもいいから無料の前半部分だけでも読んで欲しい。きっと役に立つはず。https://t.co/MvCRZCazu1
— たろ丸 (@tenche1204) August 29, 2022
結局のところ今の日本で良い教育をしたいなら、日本の衰退に抗って自分だけでもとにかく稼ぐという選択肢をとるか、自分が受けたものとは違うベクトルでお金をそこまでかけずに充実した経験をさせるのどちらかしかない。そして時代は違うのだから後者もありなのではないだろうか。
— たろ丸 (@tenche1204) August 29, 2022
勉強が苦手な子に無理に私立に通わせてなんとかMARCHに入ってても学問や学力が重要になる分野で目が出るとは思えない。一方で勉強ができる子はお金をかけなくても普通に旧帝大に入っている事実がある。年功序列で大企業に入ればOKの時代が終わった今、課金ブーストしても正直あまり意味がない。
— たろ丸 (@tenche1204) August 29, 2022
そう考えると無理して年収を上げて、親と同じ教育をするよりも子供の個性にあった教育をするのが大切なのではないだろうか。つまり再現性がないことは悪いことではなく、現代において学力偏重の自分たちの時代と同じ教育をしようとしていること事態に合理性がない。という仮説を立てたい。
— たろ丸 (@tenche1204) August 29, 2022
簡単に言えば親世代よりも生活や教育レベルが落ちるのが当たり前、という社会経済情勢である、ということなのだ。
それが母親になれない・なる気がない、という形で表れている。
恵まれた母親を見て、同じ豊かさと権利を夢見るも、社会の変化がそうさせてくれないという相対的剥奪感。
それが「女性の権利」獲得運動の皮を被った、「母親の権利」獲得運動であり、第4波フェミニズムの正体なのではなかろうか。