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ウクライナ侵攻と結婚式の共通点
急に「世界がヤバい」。
ウクライナ侵攻の方は分かるとして「結婚式」って何だよ、と思われた、そこのあなた。
このツイートを読んでいただきたい。
「結婚式の加害性」トレンドを見て、自分はこんなに恵まれてないからと一般公募の言葉広告を撤去させたり、綺麗な人に美人と言うのダメってムーブを思い出し…少し前からだね。でもそれだけ「自分の弱さに向き合い落とし込めず、周りを自分のお気持ちのみに配慮させたい人」増えたんだなぁとも思った😢
— 原田ひとみ (@vhitomin) June 27, 2022
個人的には「たかが結婚式の話で被害者面かよ」と思うわけだが、現実は被害者というポジション取りのゲームが拡大している。
「私たちは被害者で、あいつが加害者だ」という自意識が権力化していく時代にあって、その感情に学問的な権威付けによってもっともらしい理由や正当性を付与してくれる人のニーズはますます高まるでしょうね。
— 白饅頭(御田寺圭/光属性Vtuber/バーチャルツイッタラー)🌥️ (@terrakei07) October 22, 2019
とにかく2020年代は「被害の権力化」ができる特定の人間がやりたい放題できる時代。言論の自由も、表現の自由も、「被害の権力化」ができる人間のサブジャンルであるときのみまともに議論される。
— 白饅頭(御田寺圭/光属性Vtuber/バーチャルツイッタラー)🌥️ (@terrakei07) November 24, 2021
この問題は宮台真司が2006年に「当事者性に惑わされるな」と批判(全体性の消失──IT化に最も脆弱な日本社会──【後半】)していた点そのものなである。
「ホントコレ!」な部分を引用する。
■リベラルな社会運動をデサインする際に重要な、第三の問題は、複雑な社会では、何が重要な差別なのかに合意することが難しいということです。ジェンダーの問題もあれば、在日の問題もあれば、被差別部落の問題もある。色々ある中でジェンダーならジェンダーに関する差別がどれ程重要なのかを定位しなければならないのです。
■差別問題を巡って、視点(どこを見るか)・視野(どれだけ広く見るか)・視座(どこから見るか)が全て選択的たり得ることがネックになります。先進国の男女差別が優先されれば、先進国が低開発国を抑圧する南北問題が覆い隠され、女の男並み化による資源消費や環境廃棄の増大で南北問題が深刻化します。これを頬被りする行為はエゴイズムです。
■痛む当事者が痛みの余りに声をあげるのは当然とする「当事者切実論」があり得ますが、反論になりません。むろん声をあげればいい。男女差別に限らず全ての当事者が痛みの声をあげていい。当然、どれに耳を傾けるか、重要だと思うかは、自明でない。男女差別に耳を傾けない人も出てくる。今度はそういう人を過剰にあげつらう行為がエゴイズムです
■地上には男女差別の悲惨さよりも重大な問題を抱えた者たちが沢山います。そうした者たちを包摂せずに単に排除するだけだと、ルサンチマンやディプレッションを抱える者が量産されます。実際そういう感覚を持つ人がジェンダーフリー・バッシングに向かうのではないでしょうか。とすれば責任の一端はフェミニストにこそあります。
■リベラルな社会運動をデザインする際に重要な、第四の問題は、当事者性を括弧に入れることです。「弱者のことは私たち弱者にしか分からない」などと言っては駄目。まず「包摂」が大切です。「包摂」にはそこに関わる人間が幸せそうに見えることが大事です。弱者が自らを解放するための運動であっても、運動自体が幸せベースでなければいけない。
http://www.miyadai.com/index.php?itemid=369
■一般人が「当事者性」に惑わされないよう、弱者権益と左翼利権の関係について指摘しておきましょう。どんな例でもいいので適当に挙げます。本来周知であるべきですが、在日の方々のうち強制連行された人々(の子孫)は一部で、大半は戦後一旗挙げに日本に来た人々です。だから韓国本国では在日はいわば「パンパン扱い」で差別されます。
■ところが、小熊英二『〈民主〉と〈愛国〉』にも指摘があるように、日本の左翼が自分たちの弱者性を大衆的にイメージメイクする必要から、強制連行を触れ回ります。在日と言えば全員が強制連行されたようなイメージが、日本の左翼によって植え付けられました。私も若い頃はそのように信じていました。もちろん真っ赤な嘘です。
■ところで、在日の方々は嘘と知りつつ「左翼の主張に乗った」のです。なぜか。弱者権益を得られるからです。これはこれで合理的選択です。問題は日本の左翼です。アイデンティティポリティクスを含む政治戦略として在日強制連行図式を触れ回るのはあり得るでしょうが、それが戦略であるのを多くの左翼が忘れ、図式を本気で信じてしまった。
■であるがゆえに、「新しい歴史教科書をつくる会」のような攻撃に対してあまりにも無防備になってしまう。むろんこうした攻撃が「頭の良い」ものだとも思えませんが、しかし在日強制連行図式を本気で信じてしまった不勉強な左翼は、徹底的に「頭が悪い」。このような「頭の悪い」連中が革命や解放を主張するなど、笑止千万でしょう。
■沖縄にも同じ問題を見出せます。先日ラジオ番組で大田元沖縄県知事と電話討論しました。辺野古問題で大田氏が本土の批判をするので私は言いました。「辺野古滑走路案の受け入れは稲嶺知事が決めたもので、土建屋など沖縄財界の意を体したものだ。あなた方が補助金にぶら下がる土建屋と周辺利権屋を何とかしない限り、どうにもならない」と。
■ここにも「弱者沖縄に強者本土が不条理を押しつける」と言い立てる心情左翼や利権左翼がいて、それに乗っかって自己改革の責任を放棄する沖縄の人々がいます。在日強制連行図式と同じで、必要な権益を引っ張るための戦略的コミュニケーションとしては「弱者沖縄を屠る強者本土」もいいでしょうが、それを本気で信じるのは愚かです。
■我々は「弱者である当事者」なる存在に弱い。「弱者である当事者」の言葉を「真理の言葉」と見做す思考停止が蔓延します。かかる思考停止を「市民社会的共同性」として賞揚するのは馬鹿げています。先に視座の輻輳を推奨しましたが、ガバナビリティを考える官僚的視座から大田元知事の如き物言いがどれ程馬鹿にされているか考えるべきです。
■私は官僚たちと継続的に勉強会をしてきていますが、外務官僚の佐藤優氏が『情況』などの左翼雑誌に最近登場されるので見えやすくなっている通り、敢えて言えば「たかが左翼の考える程度のこと」は左翼サイドよりも官僚サイドのほうが徹底的に考えていると感じます。こうした官僚に伍するプレイヤーたらんとすれば、もっと研鑽が必要です。
■冒頭に述べた通り、諸般の事情ゆえに官僚的視座が全体性を僭称できる時代は過去のものです。でも繰返しになりますが「官僚的視座から市民的視座へ」では解決になりません。市民社会的共同性の思考停止的賞揚に見られる左翼の「真理の言葉」への耽溺を見る限り、政策評価の「機能の言葉」以外使えない官僚らの思考の方が遥かに信頼できるのです。
http://www.miyadai.com/index.php?itemid=369
この「思考停止」の原因は何か。ちょうど、それを指摘する文章がnoteにアップされた。
上記のように、社会学におけるマイノリティというのは、元々は黒人差別というアメリカの壮絶な因習を是正するために、発明された考え方である。
自身の傷つきを社会の問題とするマイクロアグレッションという考え方も、黒人差別の背景を考えれば必要だったのだろう。
そして時代を経て、数的優位であっても少数派を名乗れる便利な発明に乗っかる形で、社会の半数以上を占める女性を「社会的少数者」と定義し、公然と自らの傷つきを社会や他人が原因であると非難することが正当化されるようになったのが現代であり、権力勾配の名の下それを批判することも差別として糾弾できる「正義」としての立場に社会学が居座るようになった。
傷つきとして主張できるのは社会学において規定されたマイノリティ集団の傷つきのみであるため、マジョリティの傷つきや被害を尊重するということはそもそも想定されていない。
マイノリティが加害者になることはなく、マジョリティは被害者になることはないからだ。
これへの反発が「非マイノリティ・ポリティクス」だ。タイトルからは想像できないが、拙稿でも今年取り上げたばかりだ。
(note公開日がちょうどウクライナ侵攻が始まった日なのは偶然である)
「政治が自称マイノリティに特権を与えすぎ、マジョリティが享受すべき利益が喰われた」という、ある種の被害妄想が広まっている。
そして、この被害妄想が一国のレベルで発動した例が、ロシアのウクライナ侵攻なのではないか?
今、世界で大きな問題になっているのはロシアの被害妄想だ。被害妄想によってロシアは攻撃性を駆り立てられ、被害妄想なしでは現政権は称賛を得られず、被害妄想こそが政権の数少ない支柱の1つになっているだけに、どこかの誰かがうまくこの被害妄想問題を解決するアイデアを出してくれないものかと願ってしまう。
ロシアが言うには、世界が「かわいそうなロシア」を「寄ってたかって攻撃している」ということらしい。ロシアは巨大で強力な国であり、自らの行動のせいで世界にほとんど仲間がおらず、親密な国はベラルーシやシリアといったのけ者国家に限られるから、この言い分はなんとも奇妙だ。真っ当な理由から、バルト諸国や元ワルシャワ条約機構加盟国はソ連崩壊以降、先を争って西側入りし、EUやNATOに加盟した。そして今や、フィンランドやスウェーデンといった長年の中立国の世論も劇的にそうした方向にシフトしている。
ロシアの人々はより良い未来への希望すら失っているように見える。ロシアのウクライナ侵攻は、ウクライナが今後の手本となってしまうかもしれないとプーチンが恐怖を抱いたことが少なからず背景にあるのではないかと、専門家たちは見ている――歴史的にこれほどまでにロシアに近い国が活力ある民主主義国家として成功したら、ロシア国民もそれに気付き、「私たちにもできるのでは」と考えてしまうのではないかと......。
希望と繁栄の代わりにあるのは、陰鬱な怒りと他者への非難だ。世界は「ロシア恐怖症」に陥っていて、ロシアこそが犠牲者なのだ、と。この論調においてはソ連崩壊は大惨事であり(ソ連は文字通り何千万もの市民を殺害し、迫害した誤った仕組みだったのにもかかわらず)、東欧諸国への民主主義拡大は抑圧され続けた人々の解放などではなくCIAによる何らかの陰謀であり、最近の対ロシア制裁はウクライナ侵攻に対する正当な対応というよりロシアの権威への侮辱であり不当な攻撃だ、ということになる。
プーチン大統領にしろ「結婚式の加害性」を主張する連中にしろ、ある種の神経症的な被害者意識・被害妄想に憑りつかれている共通点がある。
クレーマーの興味深いところは「自分は被害者だ」となんの疑いもなく思っている点ですね。「自分は被害者なのに、加害者に相応の制裁が下されていないから、やむを得ず、被害者である私が自分の被害を自力救済しているんだ」という世界観で行動している。 https://t.co/5QZuyo3izS
— 白饅頭(御田寺圭/光属性Vtuber/バーチャルツイッタラー)☀ (@terrakei07) November 24, 2021
本来必要なのは被害の救済ではなく、被害妄想の解消なのだ。