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ヤジ排除国賠04 今橋直弁護士による意見陳述(全文)

 8/21の裁判期日冒頭で行われた、ヤジ排除問題弁護団の今橋直弁護士(札幌北部法律事務所)による意見陳述の内容を全文掲載します。本文中に出てくる、「原告」とは排除された市民の側を指し、「被告」とは道警側を指します。

(太字強調と小見出しはヤジポイの会が付けた)


表現の自由について


 本日提出した準備書面⑵のうち、表現の自由に関連する部分について、主張内容の要旨を陳述します。

 原告2は訴状において、被告警察官らが「増税反対」「自民党反対」などと声を上げた原告2を実力で排除したことについて、表現の自由を侵害するものだとの主張を行いました。

 これに対して被告は、このような実力行使をしたのは、原告2自身の身の安全を確保する、また原告2による犯罪を防止するためであるから、正当な職務行為であり表現の自由の侵害には当たらない、との主張をしています。

 まず、表現の自由の重要性について述べます。表現の自由は、言うまでもなく、憲法によって保障された基本的人権です。そしてこの表現の自由は、憲法上保障された多くの人権の中で、特に重要な人権であり厚い保護を及ぼさなければならない、とされています。さらにその中でも政治的表現の自由は重要です。なぜなら、政治的表現の自由は、民主主義政治に不可欠な、その基礎となる人権だからです。民主主義とは、国民・市民が自分たち自身で、社会の在り方を決定する社会のことであり、これがなければ独裁政治となってしまいます。

 民主主義の下では、人々が様々な意見を自由に表明し、互いに言いたいことを言い、十分な議論をし、その中から、結論、政治的決定を導き出すものです。人々が政治を変えたいと思った場合には、自分の意見を表明し、それを広めることで政治を変えることが予定されています。時の政治家が間違ったことをしていると思った場合には、そのことを表明し広めることで、政治の誤りを正す、というシステムです。したがって、政治的表現の自由が確保されていなければ、誤った政治をただすことができないのです。逆に言えば、時の権力者は、権力批判の声を抑え込めば、自らの地位を安定させることができるのです。このようなことが許されれば、それは独裁政治であり、もはや民主主義社会とは言えません。

 この訴訟で問題となっている「増税反対」「自民党反対」との原告2の叫びは、まさにこの権力批判であり、政治的表現です。これを権力者が抑え込むことが許されるならば、私たちの社会が独裁政治の社会に堕落したと言わざるを得ません。


表現の自由は「上品」であるとは限らない


 本件で原告側から、阪口正二郎(しょうじろう)教授の論考を証拠と提出しましたが、その中で、阪口教授は本件事件について、次のように述べています。

「政治家が街頭に立って演説するのも表現の自由の行使だが、その演説に対してヤジで応答するのもまた市民の側に保障された表現の自由の行使そのものである」

「政治的な表現行為に過度に行儀の良さを求めるのは民主主義にとって自殺行為である」

「そもそも民主主義の下では政治家は批判されることが当たり前であり…街頭演説は貴重な場である。そうした場における市民を『行儀のよい』『聞き手』と位置付けるべきではない」


また、同じく証拠として提出した志田陽子教授の文章には以下のような記載があります。

「苦しい思いをしている人の生の声というのは、”口汚い“”きつい“と取られてしまうこともあるのではないでしょうか。しかし、それを排除してしまうと、やはり民主主義とかけ離れていきますし、一見”口汚い” ”きつい“と思われる生の言葉を、どう政治の世界で成熟させていくかが重要。…そう考えると『ヤジ』は必要なのです」

「タレントだったら…自分を支持してくれるファンだけを集めて、ヤジを飛ばすアンチにお引き取り願うのは自由です。…しかし、民主主義の選挙の空間は、タレントの握手会やコンサートとはまったく違います。私的な空間ではない『公共の空間』では、異論を排除してはいけない」
 

 この点、被告も、表現の自由が民主主義の基礎となる重要な権利であることについては、特に争ってはいません。また、本件原告2の「増税反対」「自民党反対です」などの発言が表現の自由の保障を受けるということも、否定してはいないようです。

しかし、被告の本訴訟での主張、そして、本件事件現場での警察官らの発言、行動を見ると、被告や現場の警察官らは、表現の自由とはなんであるか、そしてそれがいかに重要な意義を有するものであるのかを全く理解していないと思わざるを得ません。

先に述べたように、被告は本訴訟において、原告2を排除する実力行使をしたのは、原告2による犯罪を防止するためであり、また原告2自身の身の安全を確保するためであるから、表現の自由の侵害には当たらない、との主張をしています。しかし、実際の現場では、原告2が身の危険にさらされるような状況になかったこと、ましてや原告2が犯罪行為を行おうとしていたことなどなかったことは、動画の映像からもはっきりしています。そのような危険がなかったことは、現場にいた警察官にとっては、なおさら明白だったはずです。それにもかかわらず、そのような明らかにあり得ない理由を述べているのは、真の目的を隠すため、「自民党批判、安倍政権批判」という原告の表現行為をさせないために行ったものと考えるしかありません。


警察は表現の自由を理解していない


 被告が表現の自由を理解していない、ということについて、もう少し具体的に説明します。

 被告は準備書面の中で次のように主張しています。

原告2は「友人たちと、大声をあげることを目的としていたと考えられる」、その上で「敢えて自民党の支持者が圧倒的多数を占めている聴衆エリアで、大声を上げ続け」「敢えて危険な行為を行っていた」

 被告はここで、あたかも「このように敢えて危険な行為をしたのであるから、表現の自由の保障が及ばない」と主張しているかのようです。しかしこれは全く的外れな主張です。

 原告2は、事件当日札幌駅前で、原告1が排除されるという衝撃的な現場を目にしました。そしてそれを冷ややかに見つめる周囲の人々、何ごともなかったかのように無視する人々。原告2は、「安倍首相を批判しただけの人が、警察によって強制的に排除される」という異常事態が、あたりまえのことのように流され、見過ごされてしまうことに強い危機感を感じました。そして、自らも声をあげなければならない、反対意見を持つ者もいるのだということを示さなければならない。そのように考えて、本件の行動に及んだのです。

 原告1、2が行った、首相や政府、国家権力に対する批判の声を上げる、という行為は、冒頭でも述べたように、立憲民主主義下における表現の自由の最大の意義であり価値です。

 被告や現場の警察官らは、「首相が街頭演説をしているとき、市民はみんな、お行儀よく黙って演説を聴いていなければならない」、そのように考えていたのではないでしょうか。しかし、そのような考え方は、およそ民主主義社会においてはあってはならないことであり、そのような考え方は憲法が表現の自由を保障している意味、意義を全く理解していないものと言わざるをえません。


「大声を上げる」のはおかしなことではない


 もう1点だけ、具体的事情を指摘します。

 本件現場で原告2排除を主導していた警察官は、報告書において、原告2の様子を以下のように記載しています。

「全身を震わせて興奮している状況で、マスクをしているにも関わらず、両手を口元でメガホンのようにして、『増税はんたーい、自民党はんたーい』と大声をあげ」「本職を無視し、目を見開き頬を赤くして全身を震わせて興奮しながら、口元で両手でメガホンの形にして、『増税はんたーい』『自民党はんたーい』などと大声で叫び続け」ていた。

 そもそも、これら報告書の記載はいつの時点に関する主張なのか明確ではなく、証拠として提出している動画と合致していない主張であるように思われ、内容の信用性自体に疑問があります。

 また、その点は置くとしても、これらの記載は、原告2の行動が、いかに異常であったか、危険性のある行為であったのかを、裁判所に印象付けたいかのような記載です。しかしそうでしょうか。

 本件現場は安倍首相の街頭演説の場なのですから、それに対して「増税反対、自民党反対」と発言することは、まさに「今、この場」の状況にふさわしい発言です。場違いでも、異常でも、危険でもない、まったくあたりまえの発言です。

 また、先の警察官の報告では、「大声で叫んだ」という点も強調されています。道路上で大声を出すなんて異常だ、と印象付けたいのでしょうか。しかし、原告2は、マイクを使って大音量で話している安倍首相に対する批判の声を上げようとしているのです。小さな声で発言しても何の意味もなく、大きな声を出すことの方が自然なのです。警察官の言うように「全身を震わせて喉が枯れるほどの大声」だったとしても、何ら不自然なことでもないし、ましてや非難されるべきことでもありません。
 むしろこのような原告2の様子は、真剣に、一生懸命に、自らの信念に従って意思、意見を表明している真摯な態度として、高く評価されてしかるべきです。まさか被告は、安倍首相を批判すること自体が異常で非難されるべきだと主張したいのではないでしょう。

 このように原告2の行為は、この時、この場でのごく自然で真剣な、いわば「ふつうの」政治的表現行為でした。それにもかかわらず、原告2の行為が「異常な」行為であるかのように報告書に記載し、準備書面で主張していることは、警察官らそして被告が、政治的表現の自由がいかなるものであるかを全く理解していない、そしてそれを尊重する意思を全く持っていない、ということを、自ら暴露したものと言わざるをえません。
 
 以上みてきたように、本件は、原告2の表現の自由が侵害されたものであり、警察官らは、表現の自由に対する配慮も尊重する態度も全くないままに、それを侵害したものです。

 冒頭で述べたように、表現の自由が侵害された社会は民主主義とは言えません。政治的表現の自由が侵害されるということは、すなわち、正常な民主主義過程、正常な政治の過程自体が傷つけられているのです。ですから、このような時には、裁判所の力によって、これが是正される必要があるのです。裁判所は、そのような自負と責任をもって本訴訟の審理をされるものと信じておりますし、そのように期待をしております。

以上

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次回の裁判期日は、10/28(水)の11:00からです。傍聴を希望される方は、開始30分前までに、札幌地裁までお越しください。よろしくお願いいたします。

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