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ヤジ排除国賠 第二回口頭弁論期日意見陳述(桃井)

 2020年4月3日、札幌地裁で行われたヤジ排除国賠訴訟の第二回口頭弁論で、二人目の原告である桃井が述べた内容を、ここにも掲載しておきます。


以下、転載
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札幌駅前で

 2019年7月15日、友人に誘われて自民党の選挙演説を見に行きました。時間に遅れたせいで友人たちと落ち合うことができず、ひとりで演説を聞いていました。気分が悪くなってきたので帰ろうかと思ったとき、友人の大杉さんの「安倍やめろ」という大声が聞こえました。驚いてそちらの方に目をやると、彼が大人数に取り囲まれ、あっという間に持って行かれるのが見えました。明らかに異様な光景でした。
 しかし演説は平然と続き、聴衆も、特に気にしている様子はありませんでした。彼の主張が「オカシなやつの戯言」として処理され、矮小化され、何事もなかったかのように空間が動いているようでした。周りの多くの人が「安倍総理を支持します」と書かれたプラカードを掲げる中で、それに抗議する声をあげないと、それはないものになってしまいます。そしてたった一人が声をあげ、それが排除されただけで終わっては、その声はノイズとして、排除も受け入れ得るものとして処理されてしまうのではないか。いまの政治に怒りのある人間はここにもいることを知らせなければいけないと思いました。

 普段から怒りをもっている問題はいくつかありますが、このときは、自分の生活に格段の打撃を与える10月からの消費税増税のことで、毎日怒りと不安でいっぱいでした。文字通り政治を私物化し、それが明らかになっても白々しく責任を逃れようとしている政治家がさらにわたしの首を絞めようとしてくることが許せませんでした。人は国家のコマではないのです。

警察官による強制排除

 少し前に出て、立ったまま「増税反対」と叫ぶと、数秒ほどで数人に囲まれ、腕をつかまれ街宣車と反対の方向に押されました。どこに連れていかれるかも分からず怖かったので、必死で、もとの場所に戻ろうとしました。そのときは自民党の党員か支持者がわたしを連れ去ろうとしているのだと思っていたので、警察だと知ったときはとても驚きました。今回の動画にもその様子が収められています。私は、法律違反とは考え難い、大声をあげただけですので、警察が出てくるとは考えてもいませんでした。なんの法律に違反しているのかを聞いても「大声出さないで」とか「落ち着いて」などとしか言われず、具体的な法的根拠はなんら示されませんでした。誰とも知らない大人数の屈強な人間たちに突然連れ去られそうになって、落ち着けと言う方がどうかしています。

 その後もだいたい2人以上の警察に90分ほどつきまとわれました。その間なぜわたしがつきまとわれているのか、法律を元にした論理的な説明は一切なされませんでしたし、いつ解放されるのかも分かりませんでした。警察官は「ジュース買ってあげるから次の演説場の方向に行かないでほしい」などという舐めた態度でわたしの自由を長時間奪いました。
 わたしが当たり前に享受していた自由、人権は、権力がその気になれば一発でなくなるものなのだということを痛感した1日でした。

北海道警察に対して

 その日、警察官は、わたしが周囲の自民党支持者に襲われそうとか、わたしが周りの人間に危害を加えそうだとか、そんな理由でわたしを大人数で取り囲み、腕を掴んで連れ去ったのではありません。そんな状況ではなかったことは、テレビ映像やインターネット上にある映像を見れば明らかです。現場にいた警察官たち自身がそれを知っているはずです。わたしがその場から排除されたのは、大声で政権に反対意見を言ったからです。「法律にひっかかってるとかじゃない」「大声出したら止めなきゃなんない」という警察官の発言に、その意図が端的に表れています。

 それなのに、平然と事実を捏造し、嘘をつく警察には改めて失望しました。排除行為の是非を争おうという場で、事実そのものを捻じ曲げるというのは、不誠実な姿勢だと言わざるを得ません。そのような相手に対して誠実に争うのは大変な苦労を伴います。本来ならば、意図的に事実の捏造を行った時点で相手にする価値はありませんが、検察が不起訴にしたために、被害を受けた私が争わなければ警察の違法行為を見過ごすことになります。自らの違法行為を組織ぐるみで隠ぺいした警察は恥を知るべきです。
 
 この事件の後に知ったことですが、警察の違法行為は昔から全国的に行われていたそうです。ヤジやデモをした活動家に対する法的根拠のない排除、つきまとい、嫌がらせ、暴力。それにわずかでも反抗すると、公務執行妨害で逮捕。警察官自身、それが当たり前だったから、今回の事件でも、多くの聴衆・テレビカメラがいる場で白昼堂々わたしを排除したのでしょう。今回全国的に問題となっているのは、運が重なって多くの人々の目に触れ、インターネットを中心に批判の声が上がったからに過ぎません。おかしいことには「おかしい」と、いちいち言ってゆくことの意義を改めて感じる出来事でした。
 そして大きく問題化されたのを機に、警察には、それまでの尊大な態度を改め、法律をきちんと守って職務を全うしていただきたいと思っています。警察は法律を守らなければいけません。

声を上げること、上げないこと

 街頭で演説をしている首相に対し、大声で反対意見を言うのが特異な行為だというならば、言わないのもまた特異な対応であると言いたいです。内閣総理大臣である彼の思想とそれに基づく決定は、わたしの生活に大きな影響を与えます。そんな彼の主張や決定は、日常の至るところで聞くことができます。テレビニュースや新聞はもちろんですし、大学構内や電車の中など、文字通り至るところです。反対に、わたしの思想や行動が彼に与える影響もなければ、彼に意見を伝える機会もほぼないと言っていいでしょう。
 わたしがヤジった背景には、大杉さんが暴力的に排除されたことへの危機感もありますが、主張を伝える機会の不均衡性を考えれば、政治家へのヤジは民主主義国家において当然の行為と言えます。選挙の投票などは、主張を伝える多くの手段のひとつに過ぎません。逆に、日常的な自分の生活、場合によっては命にさえ影響を与えうる為政者に対し、機会があるのに何も意見を言わないことこそ、極めて特異な対応ではないかと思うのです。

 街宣車の上にいる彼の意見の重さと、地面から発するわたしの意見の重さは同じです。見下ろしながら一方的に語られることに慣れる訳にはいきません。そして舐めた相手にはきちんと抗議しなければ、自分の尊厳は守られません。社会の主人公は、職業政治家では断じてありません。その土地で生きるひとりひとりです。


(2021年12月25日追記)

ヤジ排除問題における当事者であり、原告である「藤根」(仮名)については、裁判の途中から、本名である「桃井」名を公表することとしたため、この記事内の「藤根」という表記もすべて「桃井」に変更しました。


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