「エンタメ小説家の失敗学」

掲題の新書を、昨年買って読み、昨日なんとなく読み返した。
活字の読解に関して「強さ」「弱さ」があるという点に目を引かれた。
小説家や編集者は、活字を読み慣れている。読解力も優れているのが普通であろう。その点で小説家も編集者も同じであり(もちろんプロの小説家のほうが優れているというのが一般的だろうが)、彼らが協力して作品を世に送り出すわけだ。
しかし、一般的な多くの読者は、長い長い小説をじっくり読み通す根性とか、難しい主題について考えを深めるとか、そういう実力があまりないのではないか。本を出版して多く売れるということは、そのような一般読者に受け容れられている証左であろう。
だから、予定調和のハッピーエンドも、単純なカタルシスも、求めている読者が多いのである。そこのところは私としても肝に銘じておくべきだと感じた。私が当NOTEに記述してきたことを読み返すと、一応活字の読解に関して「強い」部類に入ると思っている。また、物語の創作に関することも述べてきており、どちらかというと、是々非々というか、強い調子でダメなものにNOを突きつけることも必要だと常々思っている。
そういう私が、創作をしていくと、どうしても読者を限定することになりはしないだろうか。私がSNSで自分の言葉を述べないのにはそういった事情がある。自分が思ったことを正直に書くことが、必ずしも創作物の受容をもたらさないとしたら……。さすがに自分でも「黙っているべき」と思うことが多い。

掲題の本の著者と同じように、純文学に強く興味を持った時期もある。純文学はエンタメとは(わが国では)線引きされているから、純文学に心惹かれながらも、エンタメを何か下に見るような態度で書いていると、どっちつかずなものになりがちである。
著者に対しては、作家って大変だなぁ、という以外の感想を持っていないが、上記のようにさまざまな読者に向けて支持を拡げたいと思うならば、心しておかねばならぬことがあるのだ。

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