「いつか」なんて生きられませんので、いま楽しんでますが、なにか?

うまく馴染めなかったのは、いつのときも。


小学1年生、図工の時間にクレヨンで絵を描いてって言われて、浜崎あゆみの歌詞を画用紙いっぱいに書いたとき。
小学4年生、担任に目をつけられて嫌がらせを受けていたとき。
中学1年生、死にたくて逃げたくてどうしようもなくて、手首とか太ももとか、鋏で切っていたとき。

環境が変わり、どこに行っても「変わった子だね」って言われる人生を送っている。
文系と理数系の点数の差とか、好きなミュージシャンとか、運動神経とか、どこもかしこもズレていたわたしは、いつでも若干あぶれていた。


地元で過ごした小・中学生時代、One to manyのいじめはなかったけれど、どうしてもはみ出した部分が切り落とされる。

見た目や性格が中性的だったこともあって同性の同級生にからかわれる時期もあった。そのことで担任から嫌味を言われたことも。
普通に生きているだけで「真面目ぶって」って陰口を言われたこともあった。その割に成績は悪かったけれど。
運動神経もひどかったから、体育や球技大会は苦痛だった。みんなからの視線が痛い。

そうなってくるとね、だんだんひとりでバトルできるスペック得られるようになるんよ。
言われたら言い返すし、やられたらやり返す。パンツを脱がされたら絵具セットでぶん殴ったし、受験勉強中に嫌がらせをされて椅子を投げつけたし。


でも、すっごく不安だったよ、あの頃。
8月31日の夜は、心細かった。明日誰も居なかったらどうしよう。今度こそ本当にひとりになったらどうしよう。
ひとりでバトれるスペックは、ひとりじゃない心で創造したんだって、いまなら分かる。


ありがたいことに、当時のわたしは数少ないヲタクな友だちに助けられた。あと、GARNET CROWの楽曲にも。

別に身近じゃなくてもいい。家族じゃなくてもいい。ネットの世界だって、二次元だって、芸能人だって、死んでいたって、音楽だって漫画だって映画だって打ち込めることだって、なんだっていい。孤立していないと思えれば、The BestでThe MostなバッキバキのOKだとわたしは思う。


中学を卒業して、地元から1時間くらい離れたすこしだけ田舎の高校に行った。
わたしを知らない街で、0からのスタート。
普通科ではなかったから、3年間クラス替えがなくて、人間関係は少し大変だった思い出。
相変わらずはみ出すこともあったし、精神的に追い込まれて苦しくなったことも、プチ不登校になったときもあった。

だけど、のんびりとした都会田舎だったから、険悪になってもすぐに仲直りできたし、わたしにはすごく合っていたと思う。
それに、高校に入って演劇にどっぷり浸かったこと、いま思えば無敵だったな。



みんな、逃げてもいいっていうけど、どこに逃げればいいか分からない人も居ると思う。学校は逃げ方なんて教えてくれなかったし。
だからわたしは、音楽とか演劇とかアニメとかを手当たり次第勝手に逃げ道にした。もはや逃げ道というか別荘。
ブログやツイッターで友だちを作って趣味の話をすることも楽しかった。会えないのは少しさみしかったけれど。

学校には行くべきとか行かなくてもいいとかの話の前に、学校を生活の中心として考えなくていいと思う。学生の間は難しいかもしれないけれど。
人生の中のひとつの選択肢に学校があって、「ちょっと行けねーな、つれーな」ってなったら、一歩下がって選択肢を見つめなおすのもありだよ。
選択肢を増やすには、図書館で本を読んだり、自転車で川縁漕いでみたり、街かどで人を観察してみたり、インプットを楽しもう。


生きていればいいことあるなんていつになるかも分かんないから全部投げ捨てて今から楽しいこと一緒にしようぜ。わたしもこの前までパワハラ超辛くて手首切っちゃったりしたけど、今無職になって楽しいよ。

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