身近すぎて見えにくいもの
家族と大喧嘩をした。
久しぶりに親父と怒鳴り合いの喧嘩をした。
昔から親父は感情的で暴力的な人間だった。
その血を引いて俺も感情的で暴力的な人間になったのかもしれない。
まぁそれは置いといて、今回の喧嘩は認識のずれから始まった。
俺は良かれと思って言ったことが相手には傷つく言葉だった。
後から振り返ってみて、その言葉は反省に値すると感じて謝ることにした。
だけど、一度発した言葉は無かったことにはできない。
俺の軽い気持ちが家族を傷つけてしまったことは事実であり、二度とあってはならないこと。
家族とは昔から見えない溝がある。
家族なんだけど、どこか他人のようなそんな感覚だった。
一度は修復したいと思って試みてみたけど、今回のことで確信した。
無理に修復しようとしなくていい。お互いの距離感ってものがあって、たまに顔を合わせてたまに会話をするくらいでもいい。むしろその方がお互い心地いいだろうってことに。
親子だからとか兄弟姉妹だからって無理に近づこうとしなくてもいいんだ。
その方がうまくいく気がする。
だからと言って家族の絆みたいなものがなくなったわけではない。
いざという時に助けてくれるのは家族だし、いつも気にかけてくれとるのも家族であることに変わりはない。
喧嘩をして、どれだけ腹が立っても関係だけは壊してはいけない。
どれだけ家族に感謝する過去があるのか。刑務所に行っても見捨てずに待っててくれたのは誰なのか。
金銭的、精神的、時間的な犠牲を払ってくれたのは誰なのか。
それを常に考える必要がある。
特に逮捕された過去がある自分は。
そのことを忘れてはいけない。
毎日一緒にいたら当たり前になってしまうことも、離れてみるとそのありがたさ、大切さに改めて気づく。
これは何にでも当てはまることであり、家族との関係にももちろん当てはまる。
実家にいればご飯も洗濯も掃除もいつの間にかやってくれている。
当たり前だと思ってしまうけど、全然当たり前じゃない。
家族と離れて暮らせば全て自分でやることになる。
それをやってみるとどれだけ大変なことなのかがよくわかる。
家族には本当に感謝しかない。
人間なんていつ死んでしまうかわからない。
喧嘩したまま生き別れることがないように、身近すぎて見えにくい大切なものにもっと意識して目を向けていこうと思う。
そうすれば軽はずみな言葉も出てこないだろう。
軽はずみな言葉を言ってしまった自分は昔と何も変わっていなかったのかもしれない。
反省の毎日だ。繰り返さないようにしなきゃな。