毎年恒例行事

皆さん、今年も残りわずかですね。


本日は、毎年恒例、高校サッカーを観に等々力まで行ってきました。


一つ面白いことがあったので、記しておきます。


帝京対金沢学院大附(以下、金沢)の試合でのこと。


まあ、この試合一回しか見ていないので正確さは劣るかもしれないが、


前半、金沢は下からビルドアップをして前進していこうとしていました。


しかし、帝京の守備に捕まってしまい


うまくゴール前まで行けない状況が続いてました。


特徴的だったのは、相手最終ラインをスルーパスで突破する


そんなサッカーを展開しようとしていたところ。


ただ、帝京もそのサッカーを理解してスペースを消して対応していました。


しかし序盤に金沢は失点を続けてしまい、劣勢に立たれます。


自分たちのパスサッカーが通用しない、そんな時間が前半続いていきます。


とここで、皆さんだったらどうしますか?


帝京相手に


自分たちが普段やっているパスサッカーが通用しない、かつ点差も負けている。


自分たちのサッカーを捨てて、大きく蹴って前進を試みるか、


はたまた、通用しなくてもそのまま自分たちのパスサッカーを貫き通すか。


後半、金沢がどう出てくるか、を楽しみにしていました。


すると、金沢は後半ロングボールの量を増やしてきました。


ボカ蹴りにならないように狙いを持って前線の選手に当てるサッカーをするようにしたのです。


そこまでは、良かった。自分の分析が当たっているなら・・・


ただ、最後のシュートを打つところになると、


どうしても相手DFの背後にパスを出すという自分たちのスタイルから抜け出せず、


相手守備の前からコースを狙ってシュートを打つという選択ができなかった。


「自分たちのサッカーに固執する」ばかりに全体の文脈が忘れ去られてしまう


自分たちのサッカーがこういうものだ、と解を出せば出すほど


他の解を選べなくなってしまう


そんな壁に金沢はぶつかっていたなぁ、と観ながら感じていました。


一方、帝京は王者らしいサッカーを展開して点を重ねていって試合をコントロールしていました。


帝京が面白かったところは、ほとんどの選手がパスとドリブルを選べていたところ。


一昔前は、パスが得意な選手やドリブルが得意な選手などどちらかが優れている選手


が席巻していたが、


帝京は相手の守備に応じてパスとドリブルを選んでゴールまで進んで行ってました。


「解」の話で帝京と金沢を比べるなら


自分たちの解を持つ金沢に対し



”相手の反応から自分たちの解を出し続ける”


そんなサッカーをしているのが帝京でした。


そのチームがどのようなサッカーをするか、は


もちろん色々な要素が絡んで日々積み重なっていくモノですが、


指導者の色も大きな要素になります。


自分たちのサッカーが通用しない、となったときにどうするか?


もっと言えば、自分たちのサッカーが通用しない環境をどれだけ経験しているか


が、新たなチームのワンピースになりうるんじゃないかと


考える、そんな一日でした。

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