どこにいてもこれが自分の進む道【本編】
「モニカ・ベル・ドュ・ランチェスト伯爵令嬢。今日この場をもって、私はお前との婚約を破棄する」
ドトール公爵家長男、ハバートは隣の可憐な少女の肩を抱きながら、目の前の少女を睨んでいる。婚約を破棄された令嬢のモニカは無表情であったが、一度目を閉じてから冷静に発言した。
「婚約破棄は御父上のドトール公爵もご存じですの? 陛下へのご報告は?」
「お前が心配する事ではない。父上にはきちんと許可をとり、手続きに従い陛下にもご報告する。お前との婚約破棄は、決定事項だ。私には、愛するリリアナがいる。何をもってしても、私達の愛を邪魔することはできない」
「さようですか……。わかりましたわ。今、この場にいらっしゃる皆様が、証人ですわね。次期ドトール公爵ハバート様は、本日この時をもちまして、わたくしとの婚約を破棄されました。手続きはハバート様が全てなされるとの事。ハバート様にはリリアナ様がいらっしゃるので、わたくしとの婚約破棄は決定事項であり覆ることはない。お間違いございませんわね」
「その通りだ。私とお前とは、もはや婚約者ではなく、他人だ。二度と話しかけるな」
この場は、学園を卒業したばかりの貴族の子息や令嬢達50人程が集う、18歳を祝う社交の場だ。成人式の主催者である国王夫妻は、隣国への祝い事に出かけていて留守である。ドトール公爵夫妻や、モニカの両親・ランチェスト伯爵夫妻達をはじめ、上級貴族はみな国王夫妻に付き添っている。
第一王子と第二王子は、最初の祝辞を述べた後に会場を後にした。
今、この場にいる大人は公爵家に頭の上がらない爵位の者ばかりで、礼儀に欠けたハバートの行動を注意できる者は誰もいない。皆、ことの成り行きを固唾をのんで見守っている。
「ハバート様、では、最後に申し上げます。今までありがとうございました。リリアナ様とお幸せに。わたくし、モニカは二度とハバート様と顔を合わせません。そして……」
モニカは、淡々とした表情でそう述べてから、にっこりと笑顔になった。その直後、大広間が震えるほどの、野太い声が響き渡った。
「自分もこれからは自由に生きる事にします! これにて失礼します! 押忍!!」
次の瞬間、モニカは踵を返し、ダッシュで大広間を後にした。貴族令嬢が走ることは、命の危険がある時以外にはあり得ないはしたない行動とされる。
ハバートはじめその場にいたものは一瞬、何が起こったの理解できず、大広間は静まりかえった。
「音楽を再開せよ。本日はみなの祝いの集いだ。この後は、楽しんでくれ」
いつの間にか会場に戻っていたリュート第二王子の声を合図に、音楽の演奏が再開された。人々は、再びパーティーを楽しみ、ハバートとリリアナも嬉しそうに踊りだした。
リュート第二王子は、腹心の部下、サイラスに命じる。
「サイラス、しばらくモニカ嬢を見張って保護しておけ」
モニカは大急ぎでランチェスト伯爵邸へと馬車で戻った。
疲れたので、朝まで誰も入れるなと執事に命じ部屋へ戻った彼女は、即座にベッドの下に隠してあった小さな旅行鞄を取り出した。
貴族令嬢のドレスから、平民男子の薄汚れた衣服へと着替え、その上にマントを羽織る。そして事前に用意しておいた、両親への手紙を取り出した。今まで世話になった礼と、私は遠くの尼僧院で大人しく過ごすので探さないで下さいと記してある。
(急展開だけど、両親も国王もいないし、逃げるには最高のチャンスだな。あの馬鹿ハバードが、皆の前で婚約破棄してくれて助かった。この家は長女の自分がいなくても、弟も妹もいるし何の問題もない。まあ、またいつかどこかで、恩返しするか)
モニカは自身に透明魔法をかけ、裏庭からこっそりと屋敷を抜け出した。
比較的、治安の良い国ではあるが、やはり夜の繁華街は酔っ払いがウロウロしている。モニカは身を隠したまま、歩いて町外れまでやってきた。
「どこへ向かうつもりだ? モニカ・ベル・ドュ・ランチェスト伯爵令嬢」
急に後ろから声をかけられ、モニカは驚いた。
「モニカ嬢、私はリュート第二王子の部下、サイラス・ドーンだ。何度か王城でお会いしている。ご存じの通り、私は1級魔法士だ。残念ながら、あなたは私からは逃げられぬ」
振り向くと、そこには黒髪長髪の、端正な顔と鋭い眼を持つ、王国一の魔法士と噂の男が立っていた。
モニカは誤魔化すのは無理と即座に判断し、透明魔法を解いた。
「ごきげんよう、サイラス様。何の御用でしょうか?」
「あなたこそ、そのような平民の恰好でどこへ行くのだ?」
「諸事情により、カカン国あたりの尼僧院へまいろうかと思いまして」
「そんな見え透いた嘘はけっこうだ。本音を話してくれ。私が納得すれば、場合により見逃して差し上げてもよい」
サイラスは面倒くさそうにそう言った。
モニカはしばらく無言で考えた後、話し出した。
「では本音で言いますよ。自分には、伯爵令嬢が合ってないんですよ。今回はラッキーな事にハバートと婚約破棄できたけど、どうせまた誰かがあてがわれる。やりたい事もあるし、今日は逃げるのに最高のタイミングだと判断し、家をでてきたんです」
「……その話し方も気になるが……。それより、貴族令嬢が、召使も連れずに一人でどうやって生きていくつもりだ? 金の稼ぎ方や、身の守り方も知らぬであろう?」
「あ、心配はご不要ですよ。自分はこの日の為にずっと準備してきたんで。体も鍛えてきたし、魔法もそこそこ使えるし、多少のお金は持ってる。普通の令嬢じゃないんで大丈夫です」
淡々と、不安もなく、下町言葉のようなぞんざいな口調で話すモニカを、サイラスは眉間に皺を寄せながら見つめる。
「なんなら、証拠をお見せしましょうか」
モニカはそう言いながら、胸の前で手を組み、光の塊をつくった。
サイラスは目を見開き、即座に呪文を唱え、自身の周りに防御バリアを張る。
モニカは光をサイラスへと投げつけた。
バリバリバリという、大きな音が響きわたる。
「サイラス様、どうですか?」
「なるほど……。ライトニングボールの強さ、大きさはなかなかのレベルだ。だが、本来、攻撃魔法は貴族子息だけが学ぶもの。ご令嬢方は癒し魔法のみを勉強している筈だが……」
「こっそり攻撃魔法も修行してたんです」
「あなたが、一人でも生き延びる能力がある事はわかった。だが、あなたのやりたい事となんだ?」
「あの……自分のやりたい事は、多分あなたに理解してもらえないと思いますけど」
「やりたい事は、ハバート殿への復讐か? それとも、この国の事情を他国に売りつける気か?」
モニカは大声で豪快に笑いだした。あまりにも、見当違いのサイラスの言葉に、笑いを抑えられなかったのだ。
「ハハハハハッ……。いや、全然違いますよ。自分は、ハバートにも、この国の事も、全く興味ないですから。これからカカン国の奥に広がる、グレート山脈に行くつもりです」
「は? グレート山脈だと? あそこは魔物の巣窟で、どの国の魔法士や剣士も手を出せない禁忌の地だぞ」
「そうですね。でも、自分の欲しいものは、そこにしかいないので。龍に会いたいんですよ」
「な、なにを……? 龍だと?」
「そうっす。自分は、龍使いになろうと思ってるんですよ」
サイラスは唖然として、目の前の小汚い恰好をした少女を眺めた。
この世界で、龍は最上の生き物とされている。何百年と生き、高い知性を持つ、神に匹敵する聖なる力を保持する存在。
大昔の剣士が、龍を友とし、人間を助けたという伝承はあちこちに残っているが、それも500年以上前の出来事とされている。
龍は、グレート山脈の山頂に住んでいるらしい。だが山頂に行くまでに、数多くの魔物に阻まれる。大きな狼、怒れるカバ、赤い眼のクモ等など、一級魔法士が隊を組んでも歯が立たない程、多くの魔物がうじゃうじゃ生息しているのだ。
基本的には彼らが山から下りてくることはない。人間が山に近づかないよう防御砦が山を囲んで築かれている。
「……なぜ、龍使いになりたいのだ?」
サイモンの顔の表情からは、何を言っているのか全くわからない、という気持ちが伝わってくる。
(まあ、そら理解できないだろうな)
モニカは苦笑しながら、自身の生い立ちを考えた。
自分は、いわゆる異世界からの転生者だ。前世は日本人で、佐田玲威という。一応女性だ。
彼女の祖父が開いた武道の道場を、長男である父が継いだ。そして、長男羅央、長女の自分、次男拳史の三人の子供は、佐田道場の三兄弟として有名だった。名前からして、父の趣味まるだしで子供に名前をつけたことが、わかる人にはわかるだろう。
物心ついた時から、家にあった男坂やら男塾やらドーベルマン刑事やら北斗の拳やらコブラやらハンターハンターやら水木しげる先生やら池上遼一先生やら本宮ひろ志先生やらの漫画を読んで育った。
ちなみに、従姉妹のお姉達からはレディースコミックスというジャンルの漫画をたくさん読まされ勉強したので、幅広い知識はあると自負している。
保育園では、兄や弟と一緒の「オレ」という言葉を使っていたが、小学校で先生に咎められた。しかし、どうしても「わたし」を受け入れられなかった為、考えた末「自分」を使う事にした。道場でも、よく聞く言葉だったからだ。
それ以降、向こうの世界で死ぬ18歳まで、ずっと「自分」という一人称で通した。
とにかく、強くなりたかった。もう、子供の頃から、三人で強くなることしか、頭になかった。
学校へ行く以外の時間は、家の道場で稽古をするか、よその道場で修行をするか、漫画を読むかのどれかだった。おしゃれにも、男性にも、女性にも、興味がもてなかった。
ただ、ひたすら、稽古した。強くなる為に。
兄も弟も、日本一のタイトルを手にした。高校生最後の試合で、自分は長年のライバルに決勝戦で負けてしまった。
自分だけが、日本一になっていない……。
伯爵令嬢として生まれ変わったと気づいた時に、決意した。
この世界でてっぺんをとる、と。
修行しかしていない脳筋で漫画オタクだったとはいえ、一応18歳までの前世の記憶があったので、周囲にバレないように注意しながら、こっそりと体を鍛えた。魔法の鍛錬も行った。
鍛錬している時だけは、昔の家族とつながっていると感じる。
親父がよく言っていた言葉が、挫けそうになる自分を支えてくれた。
「問題は、勝つか負けるかじゃねえ。諦めるか、諦めないかなんだ。その時負けても、諦めないで続ければ、次は勝つかもしれねえ。いいか、絶対に、何があっても、諦めるな」
目の前で、なんとも言えない顔のサイモンを眺めながら、ふと思いつく。
(そうだ、この男を味方にすればいいんじゃないか? 切れ者の実力者だとはいえ、まだ20歳過ぎだろう。こっちは38歳の不惑に近い賢い大人の筈だ。この場で一番最適な方法を考えて、味方にしよう!)
「あの……、サイモン様。よかったら、一緒に行きませんか? サイモン様は、自分がなにか余計な事をしでかさないかと心配なんでしょ? だったら、とりあえずグレート山脈のふもとまで一緒に行きません?」
「貴族令嬢が、男と2人きりで旅などすれば、後でどんなスキャンダルになるか……」
「自分は気にしませんよ。っていうか、もう令嬢じゃないし。自分のことはレイと呼んでください」
「レイ……。あなたは、モニカの名を捨て、レイという人間として生きる、そういう事か?」
「そういう事です。それじゃあ、善は急げだ。出発しましょう」
有無を言わさず、モニカことレイは歩きはじめた。
しばらくして、サイモンが追いかけてきて隣に並ぶ。
「……仕方ない。しばらく付き合おう。……ところで、オス、とはどういう意味だ? あなたは大広間で、最後にそう叫んだだろう?」
「ああ、押忍とはですね。困難を乗り越えて進んでやるっていう、決意表明かな?」
(ラッキー! やっぱ冒険には仲間が必要っしょ。予想外だけど、強い相方ができて、なんかワクワクするなあ)
サイラスと、本音トークするのは、けっこう楽しいと感じる。
安全だが窮屈な伯爵令嬢の生活に、未練は全くない。
真っ暗な夜の道を、足取り軽く進む。
こうして、レイの最強を求める冒険は、今スタートした。
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