2度目の屋久島①
はじめに
屋久島と書いていますが、あまり屋久島の話はないかもしれません。
私が屋久島を訪れる前後で感じていたことを書いたものです。
それでもよければどうぞ。
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屋久島に行った。
一度原点に戻りたかった。
前の投稿で仕事についての苦しい思いを書いてるけど、息がつまっていたのは多分仕事だけじゃなかった。
ずっと 自分で行動しなきゃ って思ってる。
何かを成したい。けどずっと成せてないって思ってる。
いつも学んで終わり。考えて終わり。
そうじゃなくて自分で行動して変えていかなきゃって。
“1年経って暮らしにも慣れたしそろそろ自分の手で何かしなきゃ。それを続けなきゃ。”
“島の環境を言い訳にせず今ここで何かをしないとどこへ行っても何もできない気がする。”
そんな風に思ってた。
思ったすぐは、こんなことしたら楽しいだろうなっていうワクワクは浮かんだけど走馬灯のように消え、やる気と原動力は続かなかった。
そして何かしなきゃ、実践出来るものを身に付けなきゃと、野外保育野外活動系で興味のある研修を受けた。森のムッレ教室と、今回セミナーを受けたのもそういう気持ちも多少あった。
自分のあり方に疑問を感じてきいてる今だからこそ、一度今の自分を作る原点になった屋久島に還りたかった。
2年前のはじまりの旅。
自然大好き。
感じる大切さ。
あの時味わった感動を伝えたいという想い。
自分も自然に近い暮らしをしたいと感じるきっかけをくれた、まさしく私のはじまりの旅。
屋久島は特別な場所だった。
今回の屋久島では、野外活動指導者セミナーに参加して2つの資格を学んだ。
「体験して終わりではないもの」とは何か。どうやって作るか。教えてくれた。
キャンプの楽しさと仲間で過ごす楽しさを教えてくれた。
でもそれ以上に、
屋久島は
「まだまだ私があたまでっかちだよ」
と教えてくれた。
滞在中、何かを感じなきゃ。何かを得なきゃ。とずっと考えてた。
前ある研修に行った時に、そこまで学びや発見を引き出せなかったこともショックだった。だから今回こそはとも思っていた。
屋久島でも隣の芝は青い状態になってた。講師の人たちは何でも出来るし独立してるし、それに比べて自分は何も出来ない。持ってない。
違うようで似ている屋久島と徳之島も比べてた。
ヤクスギランドでの森のひとり時間。
雨は教えてくれた。
「“ただそこにいる。感じる。”っていうのが出来てないよって。」
そして森の音楽を奏でてくれた。
雨がぽつぽつ。
葉っぱやいろんなところに落ちる。
葉っぱがかわいく動く。
森じゅうにそれが広がっている。
耳で聴こえる音楽と一緒に
心で聴く素敵な音楽を奏でていた。
今まで私は、何かを成さなきゃ。行動しなきゃ。強く思うと同時に何も成せていない。ずっと行動出来ていない。って暗示をかけていたのかもしれない。
何かを学ばなくてもいいや。いつかこの先ずっと後になって何か得られてたことに気づけばいいのかもしれない。
もともと原点に帰りたかったから来たんだ。
もう自分が宣言したこと出来なくてもいいや。
園を変えなくてもいいや。
自分の気持ち変わってもいいや。
今は焦って何かする段階ではないのかもしれない。
ワクワクを信じても長く続かないこともあるけど、ワクワクを感じ続けて、それに乗り続けることが大事なのかもしれない。
いつかはワクワクを持続させる努力も必要なのかもしれないけど。
大雨のヤクスギランドで森の音楽に包まれた、あの満たされた気持ちは忘れない。
おまけ ーーーーーーーーーーーーーーーーー
そして帰りの飛行機。
みんなが空港に見送りに来てくれた。
とても嬉しかった。
今住んでいる徳之島だけでなく、
屋久島でもこんなに私のことを見送ってくれる・歓迎してくれる人がいるんだ。
屋久島も確実に私の居場所のひとつになっているのかな。
とても嬉しかった。幸せだった。
これからもよろしくお願いします。