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アートとデザイン。苦労と努力。人間は苦労を共感した時に感動する。

Ⅰ.アートとデザインの関係性

学問として音楽を修めている外国人が日本のアーティストを解説動画を観て、もともと好きだった曲が更に好きになった。

【最高傑作】Ado − 踊 (Odo) をアメリカ人が聞いて1番好きな曲だと感動【外国人の反応】 - YouTube

「ここがすごい」「こういう工夫があって好き」
というのを言語化してもらって
なるほどだから良い作品なのかと共感できるようになる。

もちろん、有識者のようにその楽曲を正確に共感できているわけではない。どちらかと言えば「共感している人に共感している」状態だろう。

アーティストとユーザーの間に
両者のハイブリッド的な人(キュレーターみたいな?)がいると
難解なアートに共感が生まれる。

アート(多様性)をデザイン(共感)させる良い例だ。
アートに直接触れることができる人間は多くはない。
というか、多いとアートではないとも言える。

人を媒介にして広がっていくうちに希釈されていくため
原点であるアーティストの密度・濃度が
何処まで広がるかの要因になる。
(中にはユーザーが意味付けして、新概念で濃くなることもあるだろうけど。)

アーティストがキュレーターの役割も兼用するパターンが今は主流なのかもしれない。プロセスエコノミーを狙ってするみたいな。

Ⅱ.人は共感するのは「他人の苦労」

人間が社会を形成するために共感という能力をもっているわけです。
その使い道は「これをやったら相手は嫌がるだろう」という予測。

ヒーローズジャーニー、サクセスストーリーが人にウケるのは
苦労が見える化されているから没入しやすいのだと思う。

「俺もそういう苦労したからわかるよ……」はもちろん
「私でもそれが辛いことは理解できる」という反応を起こす。

苦労が報われる
最後尾からの逆転劇
劣勢が一手でひっくり返る瞬間

ユーザーが直接アートに触れるた時は”ただの綺麗な絵”だったとしても
キュレーターが綺麗な絵にするために必要なスキル・労力を説明することで
”とてつもない苦労の上で成り立っている綺麗な絵”に意味が変わる。

作品にプロセス(苦労)が付与されることで
作品に共感できる意味が生まれる。

努力していることに共感するのではなく
苦労していることに共感するのがミソだと思う。

Ⅲ.努力は独りでするもの。その刹那にあるもの。

努力はその瞬間、当人だけが感じる感覚。
それは”能動的に苦労をする”時に発生する。

喉元過ぎれば熱さを忘れる。
当人すら、その瞬間が過ぎれば忘れます。
努力が過ぎ去り、苦労として語る時には
当時の地獄の苦しみを対岸の火事のような
少し俯瞰して観るのではないでしょうか。

そんな対岸の火事を観るような感覚が
物語における共感ではないかと思いました。
(対岸の火事を観ている当人を別の岸から観ている、が正確なポジション)

知らない人(ユーザー)からすると本当は火事なのに
「お、花火でもやってんのかな」みたいになるので
キュレーターが「あれは火事、ヤバめの火事」って言っているイメージ(?)

下記の動画は
「自分の地獄の残り火を観ていたら、他の人も同じものを観ていた。互いに第三者視点ではなく、二人とも当人だった」
という感覚なのかもしれません。

歌詞に共感し、胸の内を明かす外国人 命に嫌われている。/まふまふ【海外の反応/日本の歌】 - YouTube

色々書き連ねましたが
すごいアートはどうあがいてもすごいので
こういう屁理屈をこねまわして油でサッとあげたような考えは
ソースにつけてパクっとご馳走さましたほうがいいかもしれない。


Ⅳ.努力は独りでするもの。苦労は皆で語るもの。

環境が云々という話もあるのですが
逃げる逃げない、やるやらないを決めるのは当人。
なので努力とは反応や感情ではなく
意志を持って能動的にするもの。

そこに他人の共感、賞賛と批判を入れるスペースなど何処にも無いくらいにたった独りです。

魔女の旅々

(この漫画、「一人だけど独りじゃない」みたいなセリフが続いていたような気がするけど、どちらにせよ物質的に二人以上にはならないので曖昧さを許してくれ。)

二人以上で語れる共通の苦労(当人同士)があるって
幸せを感じるのではなかろうか。
(それが本来のアートの意味なのかもしれない)

人間が幸福を感じる瞬間は
”立ち止まって振り返った時”です

地獄の残り火を皆で観るのは
キャンプファイヤーみたいで楽しそうですね。

当時は全員が”一匹狼”だったのに
いつの間にか必要性がないのに群れになっているような。

PS.読み返して語尾と口調がバラバラで人格おかしくなったのかと思いましたが、放任主義なので直しません。各々が自由に育ってほしいとお父さんは思いました。この記事を書こうと思ったきっかけはYouTubeでアンジェラ・アキさんの拝啓十五のきみへの動画をみたことです。学生生活、というより十代って大体が同じ努力をするので、あとから苦労を分かち合いやすいですよね。なので学園物語は共感されやすいのかも。

参考記事
アート思考、デザイン思考、ロジカル思考を整理しておく|エルモ/Marketing Media Lab|note


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