「養成講座」への違和感と、違う言い方
「あの人のレベルで養成講座開くなんて」というのは、20年くらいずっと聞きます。これからも無くならないでしょう。
ずっと「プロ養成講座」という言葉の曖昧さにモヤモヤや、なんとも言えないざわつきを感じていたので、考えてみました。
__________________
「養成」の意味は、
”教育や訓練で、ある程度にまで成長させること”
とあります。
プロ養成講座は、「プロをある程度まで訓練する講座」ということですね。
カラーにおいて「プロ」とは、そう自称して、他人もそうだと感じた時に生まれる、共同幻想だと思います。
その人にとって価値あることが提供された時に「プロだな」となりますが、何に価値を感じるかは人それぞれです。
多種多様な人の価値に対応できて、初めてプロなのであれば、カラー診断をできるとか、そんな浅いことではないので、習えるとは思えないです。
すごく活躍しているプロのカラーリストが、とても上手に教えたとしても、習う人のマインドが低いと、プロ養成にはなりません。いくらどんなに教えても、プロにはならないからです。
(スクール巡りに終始して、大事な一歩に動けない人など)
おそらく、私が感じていた違和感はここです。
普及している養成講座は、◯◯協会などから与えられたシステムを、集客した生徒に提供して、何らかのロイヤリティを払うというものです。
コンビニ等のフランチャイズも、学校や塾の教育システムも、資本主義では、一番合理的で効率的なシステムです。
このシステムにより、幸せに暮らせる人が増えているので、私はとても肯定的です。
オリジナルを考えて実践できる人なんて、ほんの一握りです。
システムやカリキュラムのすべてを考えることは、とてつもないストレスで、私だったら手を付けたくないです。
私は、「養成講座」という言葉に引っかかっているだけです。
この言葉が、心にフィットしません。
もっと時代の空気にあった言葉があって、それ使ったほうが、より惹きつけられる人が増えて、集客できるのではないかと思うのです。
40年前、カラーが日本に入ってきたばかりのころ。
情報もなく、1週間100万円という超高額な「養成講座」は、マインドの高い本気の人でないと、受けようとは思えません。
だから講座を受けた人は、血の滲む努力をして、かなりの確率でプロになったのだと思います。先生に搾取されて圧力をかけられながらも、泥臭く営業して積み重ねるという時代感です。
変わって現代。
Youtubeで、知識・やり方などは独学でかなりのレベルになれます。つまり、養成講座は無料で開放され、誰もが受けることができます。
SNSで総発信時代になり、下手な搾取や圧力は、すぐに広まってしまうので、隠せないオープンな社会になって、個人主義になりました。
私がもし独自の養成講座的な講座を開催するなら、
「パーソナルトレーニング」
「パーソナルレッスン」
「パーソナルコーチ」
といったキーワードを使いたいです。
ダイエット業界(ライザップ)、ランニングなどの各種大人のスポーツ業界、筋トレ、楽器・・・
それぞれの業界の個別レッスンで使われているワードを調べると、今の人が求める言葉や空気感を知ることができます。
大手は何億とかけて、マーケティングしているので、参考になります。
ただ、ただです。
人々の認識や思い込みは、そう変わることではないので、やはり「養成講座」という言葉が、現時点では、一番伝わる言葉だと思います。
漢字での字面も、高級っぽいです。
でも、みんなが画一的に使っている「養成講座」という言葉を、思考停止でなんとなく使いたくはなくて、自分の哲学にあった言葉を使って試し
「やっぱり、自分の気持の押しつけは失敗するな」
と、人が生み出した最大の発明「言葉」の可能性を検証したいです。
そして、うまくいかなければ、稼ぐために、やっぱり使うことになるでしょうが…