人生ってつまるとこ麻雀みたいなもんで、て話。
この記事は麻雀のルールをあまり知らない人には分からないだろうか。
ただ、人生のソレって麻雀に近いよなあと思った、という話。徒然なるままに書いていく。
大学時代、毎日通ってた雀荘のマスターが言っていた。
麻雀って結局90%は運で、10%が実力だと。
時はそこから10年、今にしてこれそのまんま人生だよな、と思う。
麻雀というゲームを超簡単に整理すると、
4人で1セットで、
最初に配られたランダムな手札があって、
基本的には毎ターンランダムに1つ札をもらって、他人より早くいかに良い手札を完成させるかというゲームであり、
4人の状況を推察しながら、
時には利用し、時には守り、
時には攻めるゲームである。
ただ基本的には、
最初がどんな手札が来るかも、この先どんな手札を得られるかも不確実である。
まあなので、最低限の作法さえ分かってれば
基本的にはほとんど運だ。
そう思う。
この話はまんま人生だよな、と思う。
つまり、
どこに基準を置くかはあるけど、
「有利か、不利か」なんて、
ほとんど自分のコントロールの
つかないところで決まってるという話だ。
だから、
この有利、不利なんてところに嘆く必要がないのだ、そう思う。
それがどんなに有利に見えたところで、
4人の中では有利ではなかったりする。
反対にどんなに不利に見えても、
毎ターン得られる札によっては、
他よりも有利になるということだ。
だからある意味、人生って、
それはホントにどうしようもなく運なのだ。
ただ、ただ、
基本的には不確実な中で、
麻雀は最初に決められた手札と、
あとで持ってくる手札がある。
つまり、
先天的な巡り合わせと
後天的な巡り合わせでできているということ。
そして、
麻雀の醍醐味とは、
良い手札を作り上げることを
基本の目標にしながらも、
「不確実性な巡り合わせを、以下に自分の意志で手繰り寄せていくか」、
それ自体が楽しいのだ。
つまり、
人生で何を成し遂げたかなんて
本質的にはどうでもよくて、
大事なことは、
不確実な中で何を得て、
その中で自分の意志で何を選んだか、
その選ぶプロセスを楽しむことが人生の醍醐味なのではないか。
反対に、
得られた札をどうつかうか、
いらない札を適切に早く捨てられるか、
得たい札を得るチャンスをいかに逃さないか、
これを実践できている人はどれだけいることだろうか。
この札を得る/拾う/捨てるのが麻雀でいう、
実力の10%の部分だと思う。
では、90%が運である人生の中の実力の10%とは?
不確実性の中で後天的に、
①得る力:自分に必要な人や能力を推敲し、確実に捉える思考力/思考体力
②拾う力:周囲から思わずチャンスが巡って来た時に飛びつく反射神経/行動力
③捨てる力:必要ないことに時間を使わない決断力
なのかな、と思う。
麻雀はやってみるとわかるけど、
数時間という短期間では、ほぼ運で勝負が決まる。ただし、長い年月を続けていくと実力差が如実にでる。
これは人生もそう、短期的には運でも長期的にみると差がでてくる。
30歳を迎えたまさにいま、本当にそうだなぁ、と思う。同じタイミングで同じ会社に入ったとしても、例えば出世という切り口にしても幸せという切り口にしても、「実力差」が目に見えるようになる。
人生はまぁ運でどうしようもない、
そもそもスタートラインが違うんだから、
ある共通のゴール(たとえば圧倒的歌唱力とカリスマ性を持った女性)を目指しちゃうと、
そもそも宇多田ヒカルと一般人には残念ながら有利不利がある。
そう序盤でいいつつも、
ただ長い目で見ると実力で差がつくというのもまた人生であるということ。
基本運で決まるからどうしようもないけど、
長い目で見るとやっぱり実力(プロセスを楽しむ)で頑張り続けることで、自分なりのゴールが見つかるんだろーなと、そう思う。
自分のやりたいことが分からない、今では有名なあの人みたいに突き動かす原体験がない、てよく聞く。
でもこれって厳しい言い方だけど
完全に牌を得ることも、拾うことも、捨てることをしなきゃいけないこと自体に気づいてないか、やってないだけだよなーと。
だからそういう人は「時間がない」てよく言ってるの聞くのよね。ホントは時間を作ってない、だけだと思うんだけど。
話をもどすと、
人生を楽しむってのは、
共通のゴールを目指すものではなく、
あくまでプロセスを楽しむこと、
つまり挑戦しつづけるから楽しいんだよね、
その結果あなたのゴールが見えてくるんだよな、と。
自分としては、
その挑戦するプロセスにいて本当楽しいから、
そういう挑戦し続けるような主体的な人を世の中に増やしていければいいなぁという風に思ってます。それ自体が自分のおおきなおおきな挑戦です。
長くなりました。本日はこれまで。