精神論がダメだということの不毛さ。
精神論はダメだ、という風潮があるが何がダメなのか、そもそもホントにダメなのか、じゃあどうするべきなのかがイマイチ答えがないような気がしたので、ドイツ帰りのバスの中書いてみようとおもう。
精神論とまず言うが、いったん咀嚼して考えてみる。精神論とはつまるところ身体性を無視した行動を美徳とする文化であるということ、だと思う。
長時間労働であったり、ネクタイ締めることを偉いと感じることだったり、部活の行き過ぎた体力づくりだったり。
カラダはとっくにアラートを発信してるのに無視するから壊れる。たとえば会社行きたくなくて朝起きれない、でも遅刻してでも会社に行く、体の負担を考えず二重の極みとか天翔龍閃打ちまくることに対して、かっけぇ..などがそのひとつだ。
じゃあ精神論ダメなのか?
に対して、
ダメもクソも無いなーと、そう思う。
この精神論は、前述の通り、教育を受けている時から根付いている文化なので、社会レベルで変えようなどとはたかが個人のブログでおこがましいし、責任取れない。
だから、
精神論をそのまんま議論するんじゃなくて、
身体性に着目すれば良いと思う。
すなわち頭で考えたこと(会社いかなきゃ)に対して、カラダが感じてること(会社いきたくない)に素直になればいいという話だ。
行きたくないと思った飲み会は行かなきゃいいし、親しくなりたくない人間とは親しくならなければいい。
ようは頭で考えた答えよりカラダが出した脊髄反射のアラートに素直になろうぜ、て話。
社会レベルではなくて、個人レベルでは
この精神論ダメていう論調に対して、
カラダのアラートに素直になるで解決できるのではないか?と思う。
そして、その素直になるように踏み出せるかはひとまずは個人の勇気の問題だと思う。ここまでの解決策は社会レベルかつ各論で論じなければいけない部分になってくるように思われるし、解決に時間を要する。
だからひとまずは踏み出せず、
カラダのアラートを無視して、
頭でこねくり回した行動を続けるなら
、、がんばってね、というだけだ。
そういう風に頑張れるのを、
私自身もその日本の美徳の中で育ったので
すごいなー、と思えたりもする。
だからまずは個人のレベルでちゃんと頭じゃなくてカラダのアラートに反応しようよ、という話。