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レ・ミゼラブルを読むための手引きと感想


読書が苦手な方へのアドバイス

①私自身この長編小説を読了するのには苦労しました。他のジャンルの本(例えば、エッセイやノンフィクション、ビジネス書、自己啓発書など)を並行して読むことで、気分転換になり、読み続ける意欲を保ちやすくなります。

②最初に登場人物を頭に入れておくのは読み進むうえで助けになると思います。それぞれの登場人物は象徴的に描かれていることも予習しておけば小説の理解が容易になるでしょう。

1. ジャン・バルジャン

彼はパンを盗んだ罪で捕らえられます。

象徴: ジャン・バルジャンは「赦し」と「再生」の象徴です。彼の人生は、犯罪者から道徳的に崇高な人物へと変わる過程を描いており、人間の可能性と社会的な偏見に対する挑戦を象徴しています。また、彼の行動は「慈愛」と「自己犠牲」を通して、他人への思いやりの大切さを教えています。

 マドレーヌ

  • 説明: ジャン・バルジャンが身分を隠して名乗った名前です。彼がこの名前で町の市長として振る舞い、地域社会に貢献する様子が描かれています。彼の新しい人生を象徴する名前です。

  • 象徴: マドレーヌは「再生」と「社会貢献」の象徴です。ジャン・バルジャンが過去を捨て、新たな人生を歩む決意を示す名前であり、彼の新しい道が始まったことを示します。

2. ジャヴェール

  • 説明: ジャヴェールは、ジャン・バルジャンを追い詰める警察官であり、法と秩序を守ることに異常なまでに執着しています。彼はバルジャンを法のもとで罰しようとしますが、バルジャンが改心したことを理解できず、彼の存在が常に心の中で葛藤を引き起こします。

  • 象徴: ジャヴェールは「法と秩序」「絶対的な正義」の象徴です。しかし彼は法に対する盲目的な忠誠から自由を奪う者となり、最終的には自己破滅的な道を選びます。彼の死は、過剰な法的正義が人間性を無視することの危険性を示唆しています。

3. ファンティーヌ

  • 説明: ファンティーヌは、バルジャンが面倒を見ているコゼットの母親で、貧困の中で娘を育てるために体を売らざるを得ない女性です。彼女は不幸な運命に翻弄されながらも、コゼットの将来を考え、最後の力を振り絞ってバルジャンに頼みます。

  • 象徴: ファンティーヌは「社会の抑圧された女性」「無力な人々の苦しみ」の象徴です。彼女は当時の社会における女性の不公平な立場を反映しており、母親としての強い愛が彼女の行動の原動力です。

4. コゼット

  • 説明: コゼットは、ファンティーヌの娘であり、物語の途中でジャン・バルジャンに引き取られ育てられます。彼女は、バルジャンからの愛を受けて幸せに育ちます。

  • 象徴: コゼットは「純粋さ」「希望」の象徴です。彼女は物語の中で苦しみと絶望を乗り越え、最終的には愛と幸福を手に入れます。彼女の成長は、人々が持っている可能性や希望の力を象徴しています。

5. マリウス

  • 説明: マリウスは、若い革命家であり、コゼットの愛人となる人物です。彼は理想主義的な革命思想を持ち、祖父との確執や革命運動に参加する中で成長していきます。

  • 象徴: マリウスは「革命と理想」「青年の情熱」の象徴です。彼の行動は、理想を追い求める若者の姿を描きつつ、現実とのギャップに苦しむ様子を描いています。彼の成長を通じて、理想と現実の関係が浮き彫りになります。

テナルディエ

  • 説明: テナルディエは、最初にコゼットを養育していた不正直な人物で、商売や人間関係を通じて自己利益を追求する冷酷なキャラクターです。彼は後に犯罪者として再登場し、物語の中で道徳的に堕落した人物として描かれます。

  • 象徴: テナルディエは「利己主義」「腐敗」「堕落」の象徴です。彼のキャラクターは、自己中心的で他人を搾取することで利益を得ようとする姿勢を象徴しており、社会の中で悪しき影響を与える人物として描かれます。

6. エポニーヌ

  • 説明: エポニーヌは、マリウスの友人であり、密かに彼を愛している女性です。貧しい家庭で育ち、苦しい環境の中で彼女は自らの愛を犠牲にして、マリウスのために行動します。

  • 象徴: エポニーヌは「無償の愛」「自己犠牲」の象徴です。彼女は自分の愛を手に入れることができず、それを無償でマリウスに捧げます。彼女の行動は、愛の本質とその痛みを深く表現しています。


これらのキャラクターたちはそれぞれ、社会的、道徳的、政治的な問題を象徴しています。


当時の社会的背景

ジャン・バルジャンは貧困に喘ぐ妹の子供たちを養うためにパンを盗みました。19世紀のフランスでは、法律が非常に厳格であり、特に貧困層に対しては過酷な扱いがされていました。当時、盗みは重罪とされ、貧しい人々が生活のために犯罪に手を染めることがあっても、それに対する寛容な対応は少なかったのです。

テーマ

司教ミリエルがジャン・バルジャンの罪を赦し、さらに銀の燭台を与える行為に深く感動し、そこから人生をやり直す道を選びます。この出来事が物語全体の始まりとなります。愛と赦しがこの小説の最大のテーマになると思います。他にもいくつかテーマはあると思いますが、読み進めながら考えてください。

感想

ミリエル司教の寛大な行為は、ジャン・バルジャンにとって「神の教え」や「赦し」の象徴となり、彼を犯罪者から立ち直らせました。この瞬間から、彼の生き方は一変し、他者を助け、善行を積むことを誓うようになります。彼の人生の軸となる「慈悲と自己犠牲」は、物語の中心的なテーマとして描かれています。

一方で、冷酷なジャヴェル警部は、ジャン・バルジャンを法の下で追い詰めていきます。普通に考えれば、法律の番人であるジャヴェル警部こそが「正義」を象徴する人物のはずです。しかし、物語を読むうちに、私はジャン・バルジャンに感情移入し、彼を応援するようになりました。他の読者もきっと同じではないでしょうか。

なぜ法律を守る警部より、かつての犯罪者であるジャン・バルジャンに共感してしまうのか。これが物語の重要な問いだと感じました。確かに、ジャン・バルジャンは改心し、自己犠牲と愛を実践する人間になっています。ジャヴェルもそれを知っているはずですが、彼は法と秩序を絶対視する人物です。法の執行を使命とし、冷徹に職務を全うする彼は正義感に基づいて行動していますが、物語の中では「悪役」として見えてしまいます。

私は、ジャヴェルを「冷徹な人間」と見るのではなく、彼を社会や世間の象徴と捉えました。私たち自身もまた、時に「法と秩序」を優先し、他者への慈悲を忘れてしまうことがあるのではないでしょうか。ミリエル司教のように無条件の慈悲を与えられる人は、ごく一部に限られるでしょう。

他者に対する無条件の慈悲と赦しが、最も深い正義であり、人を変える力を持つ。これは『レ・ミゼラブル』が伝える重要なメッセージの一つです。ヴィクトル・ユーゴーは、この物語を通じて、人間の道徳的成長と慈悲の力を強調しています。

しかし、この考え方は性善説に基づく理想主義とも言えるかもしれません。近年の日本では、人間の本質を疑うような現実主義が主流になっていると感じます。ジャン・バルジャンの心に善の種があったからこそ、彼は改心したと言えると思います。確かに、醜悪な悪人であるテナルディエ夫妻のような人物が改心する可能性は低いでしょう。ユーゴー自身もその現実を認識していたはずです。

現実社会では、理想主義より現実主義が力を持つ傾向があります。しかし、それがかえって『レ・ミゼラブル』の慈悲のメッセージに私たちが惹かれる理由かもしれません。「人の内面の善を信じるか、信じないか」という問いは、時代を超えて普遍的なテーマです。

物語全体を通じて描かれる「赦しと慈悲」か「法と秩序の絶対視」かという対立は、現代社会の問題とも重なります。たとえば、違法移民の受け入れを巡る議論です。違法移民を支援する意見は「赦しと慈悲」に基づいており、彼らの困難な状況に目を向けることを求めています。一方で、受け入れを拒否する立場は「法と秩序」を重視しています。

ジャヴェルは保守的な秩序を、ジャン・バルジャンは進歩的な赦しや人間性の可能性を象徴していると言えます。この二人の対立は、進歩と保守の緊張関係を物語全体で体現しています。フランス革命という時代背景もその象徴です。

『レ・ミゼラブル』は、進歩主義や理想主義と保守主義の対立を描きながらも、その緊張関係を通じて、私たちがどちらを選び取るべきかを問いかける作品だと感じました。











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