駆け抜ける蒼燕 102-00001

あの日の私は、8時30分の東名ライナーで。 #1

 そういえば、久しく名古屋駅に降りていない。
 左の窓越しに広がるバスターミナルに見覚えはないけれど、まだ何者でもなかった私は20年も前にこの駅からバスに乗って上京したことを今でも強く印象に残っている。
   旅行カバンひとつぱんぱんにして、桜通口のターミナルまで送ってくれた友達に笑って別れた。寂しかったけど、あのときは希望が何よりも勝っていた。
              ◇ ◇ ◇
 必ずしも今は、何かを成し遂げるために東京に行く意味は少しずつ薄れているとは思っている。ネットやスマホで表現のひとつふたつくらいは容易いものに変わり、表現したければ目の前のものを瞬時に見せることくらい、覚えれば小学生でもできる。入口探しから東京に出て探すことではなく、入り口は掌の上にある世界。東京に出ることに悲壮さも野心もいらなくなった。
 正直、羨ましさが勝っている。才能を磨けば磨くだけ、直接売れた手ごたえを感じられる世界がそこにある。確かに世の中に広く知られるように「誰もが知っている」感覚ではないけれど、姿は見えないが確実に自分のことを知っている人がいる実感はある。そして、地元にとどまっていようとアウトプットは不可能ではない。
 高速バスの使い方も様変わりしたらしい。少しでも安いコストで移動するという目的は同じように思うが、今は格段に手軽さを感じるようだ。遠方のテーマパークに出掛けるにも夜行のバスで目的地まで直接行けると聞いた。同じ夜行でも寝台列車や夜行の快速なんてものはほぼ消えたとすれば、それらに代わるのはバス、なのだろう。あの日に乗ったバスは、今思うよりもマイナーな存在だった。何者でもない若造が、ハングリーさだけで東に向かうには丁度良かった。
              ◇ ◇ ◇
 名古屋から東京までを走るバスは、新東名経由で走る最速便で5時間と少し。8時30分に出れば昼過ぎの13時30分には東京駅に着いている計算だ。移動に重きを置いて時間通りに滑り込む役目は新幹線に恭しく熨斗をつけて譲る訳で、効率よく時間を使うことが価値と呼ぶのであれ、昼行の高速バスはそのような客とは息が合わないだろう。
 逆に言えば未来をも知らない中に飛び込むには、昼間の高速バスは夢と希望と不安を堪能するには充分な時間を与えてくれる。ただおそらくは、いろんな思いを持つためには、それくらいの時間が必要なのではないかとも思う。
 あの日に乗った東名ライナーも、窓の外に広がる世界のようだった。柄にもなく送りに来てくれた川嶋に柄にもなくしんみりしたが、気付かれないように笑って別れた。名古屋駅を桜通口から東へ走るようになった頃、奴から時間つぶしにとダビングしたミニディスクを貰っていたことを思い出した。
川嶋の趣味はよく分からないが、どうやら門出を祝す歌だということは分かった。歌詞を追えば、歌の主人公も高速バスで東に向かうようだ。18歳の春はあくまでも希望の光が満ち、いくらでも未来に向かうドアは開いている。そのような歌詞に川嶋は自分の姿を重ねてくれたのだろう。
              ◇ ◇ ◇
 川嶋とはその後数年休みのごとに会ったりしていたが、時が経つうちに疎遠になっていた。地元が同じだからと言っても、生活の基盤が変わり始めれば会うことも叶わなくなることが多い。SNSでつながる世界という言葉も、あくまでも相手がやっていたらの話。生きるスタンスもペースも変わってしまった。そしてそうも若くはなくなった今、あの頃のようにバスに乗って東を目指すメンタルを、自分が持っているかどうかは定かではない。
 ただ、根拠のない自信は持ち合わせていた。今よりも羽ばたけると信じていたのは偽りのない気持ちそのままだった。
              ◇ ◇ ◇
 今、そんな未来に僕は生きているのだろうか?自問自答を繰り返すこともあるが、そういえばしばらく高速バスなどに乗っていない。
あの日の私を探しに、今度東名ライナーにでも乗ってみようか。

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