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210812【最後の夏を少しずつ】

自分が高校野球をやっていた10数年前の夏に比べて、日本の夏は暑くなったと感じている。この駄文を書いている日も太陽が高く、テレビをつければ「熱中症に気をつけて。」とメディアは叫び続けている。自分は、屋内球場、ドームで野球の試合をしたことは無いんだけど、観戦している身からして、ドームは快適な環境で試合ができる、と感じている。太陽の下、8月のマウンドって暑いのよ。たぶん、守備側9人に、バッター、審判4人にコーチャーズボックスに2人いるとして、一番暑いし、スタミナを使うのは間違いなくピッチャーだと思う。そのマウンドに初めて立った小学校5年生の8月、夏休み。町内各地域のチームで行なう少年野球大会でマウンドに上った際、守備はボロボロ、部員がギリギリだから自分が急造ピッチャーとなった試合、3アウトが取れず、何度タイムをかけて、内野手とキャッチャーがマウンドに集まったことか。

「ヤグチ、わりぃ。」

「いいよいいよ、次は頼むわ。」

そのお願いは虚しく、その後も一瞬打ち取ったと思った内野ゴロはミスに繋がり、捕ったところで送球は宇宙にでも投げたように繋がらない。何回目のタイムだろうか、ベンチに向かって、自分は叫んだ。

「水飲みたい。」

たぶん、今の御時世だったら、紙コップに水なり、当時好きだったスポーツドリンクを抱えて持ってきてくれることだろう。ただし、当時はまだそんな甘い事は実現できず、

「3つアウト捕ってこい。」

と、監督からメガホン越しに指示を受けたのみだった。あの時、恥ずかしさやプライドなんて無く、純粋に水が飲みたかった。当時、太っていて、後からバカにされるとか、そんなことは気にせず、水が飲みたかった。やっとの思いで3アウトを取り、ベンチに帰って飲んだ麦茶を忘れないだろう。そして、その試合は初めて先発ピッチャーとして投げた公式戦、試合結果は18対0だったことも忘れない。3回コールドゲーム。

そこが自分の原点、という訳じゃないけど、ピッチャーは大変だ、でも、楽しいところもある、そんな小学5年生、もう20年以上前の8月を思い出す。

あの経験をさせてくれたから、その後、中学校でエースになって、全国大会や、それなりにいい経験をさせていただいた。最後に打たれて負けることがすべてなんだけど、そこには触れず、ピッチャーは良いぞ。とこれから野球を始める子どもたちに言いたい。全然、結果なんて出してないんだけど。

さて、10数年前の夏、自身の高校3年生の夏も暑かった。自分の高校野球最後の夏の大会が始まると、チームメイトは日々の練習にいつも以上に気合が入っていた。どこまでの部員が「甲子園に行くんだ。」と目標を掲げていたのか分からないけど、自分の中では、一貫して「一日でも長い夏を。」と願っていた。それは、高校野球引退とともに始まる大学受験勉強が嫌だったから。夏休みに彼女と何処かにデートする予定どころか、彼女の存在が当時曖昧な関係であったため、夏休みは、お盆に親戚のお婆ちゃんに会いに行く、お墓参りに行く、スキあればお小遣いをもらう、という姑息な予定以外、受験勉強、学校が行なっている夏期補修に参加することになる。それをサボって遊ぼうにも、遊び相手がいないのだ。それは困るとして、なるべく夏休みを削るべく、自校には勝ち進んでほしいと願っていた。

その願いが通じたのか、雨天順延が3日ほど続き、なかなか自校の夏は開幕しなかった。7月も下旬期に入り、学校は1学期の終業式を迎える頃、ようやく始まった夏の甲子園を目指す地方大会、初戦となる2回戦の相手は、言ってしまえば格下の高校だった。であれば、エースは温存、私が投げますかと意気込んでいたが、「初戦はエースで行こう。」という監督の方針で、その試合は、ゆっくりベンチで麦茶を飲んでいた。

初戦は、自校が着々と得点を重ね、無事5回コールドゲームで終了となった。次戦3回戦は、春季大会のシード校、一つの山となる相手だった。

田舎の高校野球でも、それなりにマスコミは賑わせてくれていて、県内各高校のベンチ入りメンバーが掲載された特別号なる冊子が発刊しており、自分は記念に買っていた。甲子園出場が有力視される高校は別ページ、カラー構成で特集を組まれている中、後半の白黒のページで自校の紹介があった。そこには、「2番手ピッチャーは、変化球と度胸が売り」なる言葉が綴られていた。「変化球と度胸」、ううん、ストレートに自身がなく、変化球で何とか相手バッターの芯を外せないか願って投げているんだけどなぁ。それが度胸に繋がるかどうか分からない。まあ、相手バッターに向かっていく度胸、いや、もはや相手バッターにぶつけてもいいや、という度胸はちゃんと捉えているなと、何故か頷いている自分がいた。男は度胸、女は愛嬌、オカマは豊胸と、よく言ったもんである。それに対し、3回戦に対戦する高校は、春季大会準優勝、シード校という立ち位置であり、特集が組まれていた。成長したサウスポーエース、また、冬季期間で全部員がフルマラソンを経験したこと、春季大会の躍進を糧に今夏も期待が持てる、と。

ふーん、フルマラソンねぇ。そんなトレーニングが野球の試合とどうリンクするのかっていつも思うんだけど、やっぱり自分を追い込むことのトレーニングって、ここぞという時に役に立つんだよね。そういうメンタルを込めたトレーニングから逃げるようにここまで来た自分としては、「すげえなぁ。」と思ってしまうの。その耐えられる精神、体力があれば、夏を戦える、勝ち上がれるってところなのだろうか。

そんな対戦校との3回戦は、日曜日の午後に行われた。県庁所在地から離れた街にある山の中の球場だが、こちらも球場もプロ野球での開催事例がある立派な球場だった。できたばかりのようなセンター・バックスクリーンの電光掲示板がとてもキレイだった。この試合はもちろんベストメンバー、自分の出番など、ほぼ無いだろうと見据えていた。予定通りのスターティングベンチ、自校は先攻となり、試合が始まった。ホームベースを挟んで礼をした後、ベンチにて相手校ピッチャーを見る。サウスポー、県選抜メンバーの同期だ。その球に、確かにキレはあるかもしれないが、打てない球じゃない、勝機はあるぞと、円陣を組んで、ベンチに戻った。試合が進むに連れ、そのピッチャー以上に驚いたのが、相手校の打線だった。振りの鋭さ、これがそこらの高校と違っていた。スイングスピードが、まず速い。ピッチャーから見て、対するバッターでまず何がイヤかって、スイングスピードの速さだと思う。速さは一つの威圧よ。多少芯を外しても飛ばすんだろうな、というのがどうしても思ってしまう。また春季大会勝ち進んだことで自信を付けていたであろう対戦校のペースで試合は進み、先取点と取られ、自校が追い上げるが、3対8、5点差がついてしまった。そして、7回に自校エースピッチャーが降板となった。2番手にマウンドに上ったのは、自分であった。

ここでどうしろというのだ。野球という種目で一発逆転、トランプの大富豪のような革命が起きるわけでなく、自分が満塁ホームランを打っても1点差じゃないか、監督の「流れを変えるために起用しました。」という後日談はさておき、これが高校最後の夏、最後の登板になるのかと、アドレナリンが出ることなくマウンドに立った。自分の投球練習に合わせて、相手校の素振りの音が、何故かいつもより大きく耳に入ってきた。

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