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220818【アウトドア嫌いと夏フェス】

自分はどうもアウトドアが苦手だ。キャンプ、グランピング、バーベキューなど、夏休みに、夏の思い出づくりにどうですかと、メディアが誘ってくる。いくらテレビが特集を組んで煽ってくるが、自分は全く行かない。まあ、子供の頃、少年野球チームで、夏休みに河川敷でテントを張り、バーベキューをして一泊していたが、あんまり乗り気じゃなかった。野球部員と監督にコーチ、保護者も勢揃いして行なうバーベキューに、ホームセンターで買ってきた大量の手持ち花火。そりゃあ、子供心に純粋に楽しかったけど、あまり良い思い出がない。

初めて参加した小学3年生の時は、緊張もあって、夜は寝れなかったし、夜中に目が覚めたと思ったら、鼻血が出ていて、蛇口を求めて徘徊したことを思い出す。夜はふかふかの布団で寝るに限る。ブルートレインや夜行バスの車中泊も一興ですが。

そんな少年時代の記憶から、家族とキャンプに行ったこともないし、大学、社会人となる中で、自分から企画するアウトドアイベントは無く、屋外のBBQくらいでも躊躇うのだ。どうも苦手。キャンプ飯、バーベキュー。肉はモコモコの煙りを大きなダクトが吸い上げる汚い焼肉屋で食べるのが良い。そうじゃないんだけど、外で食う埃まみれの肉は美味しくないのでは、と思ってしまう。

そんな自分だが、音楽フェスになると、足を延ばしてしまう。日本国内の様々な音楽フェスの中で、一番最高峰、そして、一番アウトドアなフェスが、フジロックこと、FUJI ROCK FESTIVALだと勝手に思っている。ロッキンにサマソニは毎年のように行ってきたけど、フジロックは避けてきた。テントで寝泊まり、悪天候に、セックスおばさんが居ると言われるフジロック、これも経験かと思って、当時婚約中だった今の妻がフジロックガチ勢で、現地合流する形で、初めて行ったフジロックは2018年だった。

妻は、会社の同僚、仲間たちと毎年のように木曜日の前夜祭から苗場に入り、月曜日の朝までフルで楽しんでいた。苗場のホテルを予約し、結構な額のパッケージプランで。

そんな彼女のもとに、土曜日の始発新幹線で眠い目を擦りつつ、それでも東京駅から缶ビールを開けてガソリン注入の自分。この日に合わせて初めて買ったゴアテックスのマウンテンパーカー、トレッキングシューズを揃え、越後湯沢に向かった。

朝7時の越後湯沢駅はすでにシャトルバスに並ぶフジロッカーで賑わっていた。ここから昔話のスピードを上げるが、この光景は、次の年2019年も同じだった。そして、苗場、会場について、想定されていた悪天候の洗礼を受けた。もろに。用意していたマウンテンパーカー、ポンチョ、野鳥の会なるレインブーツは後手後手になり、靴下がお釈迦になった中、踊り狂ったマーティン・ギャリックスをよく覚えている。その日は朝からすっかりフジロックを楽しんでしまった。彼女とのこういうデートも良いね。お酒も美味しい。ただ、ロッキンやサマソニのように軽装で挑めず、1日リュックを背負い、対処しきれない悪天候は嫌いだけど。

自分は、複数日参加のフジロックは諦め、1日遊んだ後、25時くらいに越後湯沢に停まる東京行きの夜行バスに乗ることにした。23時過ぎ、苗場で彼女と別れ、自分はビショビショのまま、シャトルバスに乗った。ホントは寝たいんだけど、この狭い車中ではどうも寝れなかった。そして、いろんなにおいがクロスしていて、決してクリーンな空間ではなかった。そして、一日クタクタになるまで遊んだフジロッカー達を運ぶシャトルバスは、なにか護送車のようだった。乗ったことないけど。

シャトルバスは越後湯沢駅に停まるのだが、そこから、夜行バスの停留所となる越後湯沢の高速道路のインターチェンジまで結構歩くの。ご丁寧に道案内はあるのだが、田舎町の深夜帯、苗場の山から下りたが雨は止まず、頼りない傘を両手で掴み、歩いたことを思い出す。途中、コンビニがあって、何か食い物をと駆け込んだ。そこは、一種のオアシス状態で、光に集まった虫なるフジロッカーたち。こんなにビショビショになって、山の上ではテントが飛ばされた等の情報も出る中、それでも毎年のように苗場に行く猛者たちを尊敬する。自分は、何事もにわか、ミーハーですから。

コンビニにて、食料を調達し、栄養補給をしてから、停留所に向かった。着いた先では、管理が行き届いているのか、汚れた照明から怪しげな光を放つ最低限の待合室があり、「あぁー。」と“よっこいしょ”のテンションで言いながら座った。小さい声で。だって、待合室の中には、夜行バスを待つフジロッカーたちが結構いるの。10人以上はいたかな。学生らしき人、女性2人組に、細身のおじさんフジロッカー等。トランクスを除いて全身ビショビショ疑惑の自分だったが、Tシャツだけは着替えて、人間ウォッチングを始めた。そりゃあ、目的がフジロックで共通項なんだから、ちょっと小さなコミュニティーでも、男女が話しだした。夜行バスが来たら、皆、指定席に着いて、ぶっ倒れるように寝るだけだから、今、この瞬間「なにかのご縁ですから。」的な枕詞で話し出した陰キャな20代の男性がいた。決して自分ではない。ただ、話の中で、自分はツッコミを入れてしまうのは、そういう性なんだろう。「銀杏BOYZが良かった。」というベタな感想から、過去のフジロックの話まで。そうそう、その年の1年前、2018年に自分は初参戦したのだが、その時の話も出て、自分も耳を傾ける。世界的に有名になって帰ってきたケンドリック・ラマーも凄かったが、ミーハーながら生で観ることができたMGMTとSUPERORGANISMにMCなる音楽好きの男性が話を回してくれて、自分は缶チューハイでも買ってくれば良かったと後悔している。

いつの間にか、時間はバスの出発時間定刻から遅れてはいたが、暗闇の中から突如現れ、運転手にチケットを渡し、席に着いた。妻にLINEでメッセージを残したが、今ごろ、ジョナス・ブルーでも観ているじゃないかと勝手に推測する。靴を脱ぎ、靴下を脱ぎ、足を伸ばして、なるだけリクライニングチェアを倒して、目をつぶることにした。

そこで眠りにつけるなら、それで東京まであっという間なのだが、眠ろうとした瞬間から尿意をもよおし、早く次のサービスエリアでの休憩にならないか、消灯されたバスの中で一人思っていた。その尿意がサービスエリアまで持ったかどうか、続きは書かないことにする。

さて、2022年、3年ぶりにフジロックに行った。結婚し、家族が増え、3人での参戦。娘が生まれるまで、毎年前夜祭から参加していた妻は、今年は自分と一緒に日帰り。まだ生まれて1歳になったばかりの娘に、コロナ感染の可能性も無いわけじゃないし、仕方ないねと。そして、現地苗場までは、往復レンタカーで行くことにした。娘に何かあったらすぐ車内に戻り対応もできるし、泣き出しても周りに迷惑をかけないだろうと。運転手はワタクシ。お酒は飲めないが、あの雰囲気を、グルーヴを楽しむためにハンドルを握った。

日曜日の朝、7時のレンタカー屋さんの営業開始とともに、ゴルフやレジャーに借りる人たちに並び、事前に予約していたエコカーのレンタカーに乗り込んだ。ドライブは苦じゃないが、いかんせんここ数年は、ロングドライブに慣れていない。新卒で入った会社では、1週間で1000キロ近く営業車を運転していたが、今はもう、移動手段はもっぱら電車、公共交通機関で、車を買う予定もない。

ただ、ハンドルを握ったら、楽しいのよね。首都高の合流は一生恐る恐るになるけど。運転をしながら、カーステレオでアガる音楽かけて、スピードにはくれぐれも注意して、都内から首都高、いつも名前が気になる美女木ジャンクションから外環、そして関越道へ入った。関越道を運転するのも久しぶりだ。ここ数年ゴルフに行ってないし、新卒時代に営業車で関越道をよく走ったことを思い出し、妻に当時の話をするが、「もう何回目だよ。」と言われるのがお決まり。ただ、面白い話は何度しても面白いし、繰り返し話しながら、盛らないようには気を付ける。ここにも。

このフジロックの行程で、楽しみが一つあり、新三国トンネルであった。新潟県と群馬県の県境、三国峠に位置する、2022年今年に開通したトンネル。子どもの時、両親とドライブでカーブ連続の山道から最後は、狭い狭いトンネルを抜けたことを覚えている。そのトンネルは、もう閉鎖されていて走ることはできないが、初めて自分が運転して通る三国峠、新三国トンネル、ちょっと興奮して出発の前に、両親にLINEを送ったら、「私はもう走った、走りやすかった。」と返ってきた。なんだ、早いなと思いながら、一応両親想いであることをここに記す。
月夜野インターチェンジで高速道路から降り、国道17号、三国の山越えに入る。なんちゅうカーブの連続だ。YouTubeで前面展望の動画を観ながらハイボールを楽しむのだが、実際に運転してみて、結構神経を使うの。ましてや、車の運転、久しぶりなので。先に書いておくが、このフジロックの往路復路の車の運転が、一番良いアトラクションだったかもしれない。もちろん、フジロックも楽しみましたが。

急カーブを繰り返しながら標高を稼ぎ、いつの間にか新三国トンネルが目の前に現れ、余韻に浸ることなく、トンネルを越え、新潟県苗場に入った。妻が事前に予約した民宿の駐車場に車を停め、いざ、フジロックだ。今年のフジロックは、恐縮ながら天候に恵まれ、マウンテンパーカーの出番が無かった。そして、フジロックの主なライブレポートは、ネットで調べればおおよそ出てくるので割愛する。レポートほど書ける音楽への知識やパッションもないので。

また、太陽が高く、気温が上がり、熱中症予防をしながらの一日だった。特に娘。一日中、多くの時間を抱っこ紐の中で生活は、熱がこもり、自分も汗をかいた。娘に麦茶を飲ませながら、タイミングよく見た鈴木雅之がベストアクトだったり。

一日限りのフジロックは、思った以上に時間が早く進み、娘が一番楽しかった時間は、ドラゴンドラを乗る時だったと確信している。あっという間に夜になり、娘は慣れない環境でもしっかり寝てくれて、帰り道は24時前に苗場を出たのだが、真夜中の三国峠越え、関越道のドライブが、疲れで眠いにも関わらずドライバーズハイだったのはここだけの話。スピードを出しすぎてスピードスターと言われた過去はあったが、ちゃんとルールは守っていましたよ。無事、都内に戻り、一旦自宅最寄りのコインパーキングに預け、朝7時、レンタカー屋さんの開店と同時に返却する。まあ、レンタカーの返却は、寝坊してしまい、ほんのり迷惑をかけたこともここに記しておく。

あぁあ、来年も行くなら、もっと余裕を持ったスケジュールで。そして、お酒をおもいっきり飲みたい。

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