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210826【大学受験ダラダラ】

高校3年生の8月、夏休み。高校3年生の8月から受験モードというのは一概には遅いのかもしれない。早い生徒は高校入学段階から、将来の進路、受験校を模索、対策をしていると聞く。まだまだ情報化社会が浸透しているかどうか不透明だった当時、自分は東京にどんな大学、世界があるのかも曖昧だった。もっと調べておけばよかったと後悔している。田舎ながらも自校は進学校と謳っており、入学時から東京の最高学府を目指す生徒が居た。その傾向からか、1時間に1本しか電車が来ない駅の周りには、大学受験対策の予備校が乱立している特殊な町だった。また、自分が高校3年生になった頃に、ようやく駅前にコンビニがオープンした町。ただし、そのコンビニは、同じ町にある偏差値の低いヤンキー高校のたまり場として使われていたため、少なくともクラスのB軍、根暗で童貞な自分は、卒業まで使うことなく素通りだったコンビニだった。そんな、環境で高校生活をしていたのだが、親に「予備校通いたい、お金出して。」なんて余裕もなく、全然入ってこない学校主導の夏期補修にお付き合いのように出席していた。

夏休みも後半になると、「ああ、自分にはこの数学II・Bは無理だ。」と感じた。これだけでも成長だ、諦める勇気も大事だと自分に言い聞かせ、その午後からは補修には参加せず、帰って、プレステ2、パワプロとウイイレをすることにした。そして、勝手に数学が無理、というか理科系である物理、科学等もさっぱりで、「もう国公立系はいいや。」と匙を投げたのであった。あっという間に夏休みは終わり、高校3年生らしいことは何もできないまま2学期が始まった。野球部を引退しているため、毎日野球鞄なるエナメルバッグに練習用ユニフォームや野球道具を詰め込む必要はなく、ネイビーのスクールバッグ一つで登下校できることに、「ああ、これが高校生だよな。」と感じ、「あとは彼女が居れば。」と後悔をしていた。

一応、形だけ受験生という立ち位置で勉強はしていたが、今の学力じゃあ、どこに行けるんだ、どこに引っ掛かるんだという状態だった。地元の国公立大学に進学し、両親に楽をさせたい、という気持ちは何処かに行き、自分は正々堂々、東京の私立大学を目指すことを両親に宣言した。

「せめて、箱根駅伝でも走るような有名大学に行きなよ、あと、浪人はダメね。」

と、家族会議で言われた。寛大な両親で良かった。東京の大学と言っても、ごまんとあるため、何処にしようか迷った。その前に、どの学部学科に行くかも、定めていなかった。理系は捨てるとして、文系、経済学部、法学部、文学部と学科のジャンルもごまんとあった。その中で、漠然と「将来はマスコミ系で働きたい。」として、一番近しいのは社会学部と勝手に決め、社会学部を中心に受けることにした。また、これは自慢では無いが、地理の成績が異常に良く、学内ナンバー1になったこともあり、「地理学」を学べる大学も勧められたが、「将来、地理を使って働くわけじゃないし。」として、見送った。そんなこと言ったら、「経済」、「法律」を学んだところで、アナリストにも、弁護士にもなる予定はない。とりあえず、東京の大学に行きたい、その一心で受験勉強に取り組んだ。

受験シーズンが本格的に始まる前の秋頃は、毎月のように大学模擬試験が学校で行われ、点数によって予め提出した志望校の合格度合いなる「判定」が出る。当時、自分が受けた模擬試験はA判定からE判定まで設定してあり、合格可能性の基準で分けられていた。あくまで模擬試験の結果だけで見るのだが、「A判定」だと合格可能性80%以上、ちなみに一番下の評価になる「E判定」は合格可能性20%未満となる。2学期に初めて受けた模擬試験は、3つの大学・学部学科を志望校として書き込むことができ、自分の偏差値がまったく分かっていなかったバカは、私立大学最高学府の大学2校で埋めてしまった。模擬試験から暫くして結果が手元に来た時、もちろんE判定で、こりゃダメだ、背伸びをすることなく、自分に合った大学を目指そうと決めた。

「東京の大学に行く。」と親に伝えたものの、具体的な大学名を伝えていない、というか決まっていないまま、日々は過ぎ、一向に受験勉強は進まず、いや、捗らず、12月を迎えてしまった。この頃になると、校内では推薦入試や専門学校進学の手続きを済ませた生徒も出てきて、自分は焦りだすようになった。内申点が5点中3点にも届かない自分は、指定校推薦も何も、そんな権利やチャンスは回ってこなかった。あぁあ、もっと高校生活、ちゃんとしておけばよかったと、ちょっと後悔している。そして、模擬試験では、中堅私立高校にレベルを落とし、それでも大学模擬試験はD判定、C判定という微妙なラインだった。

そんな中、12月にとある私立大学の特待生試験があると聞き、特待生合格できなくても、一般試験免除合格になると聞き、実力試しだと思い、受験した。そして、もちろん落ちたのだ。ここで自分は失敗した。私立大学一本に絞って以降、受験科目は3科目が基本だ。国語、英語に、もう一つ、政治・経済にするか、地理にするか。恥ずかしながら、自分は地理が得意だったが、この受験では政治・経済を選択し、受験しながらに、「ヤバい、まずい。」と思った。一般受験が本格化する2月、受験科目で地理が選べるなら、迷わず地理を選択して、受けることにした。

高校3年生の後半、日々勉強とは付き合っていたが、それ以外の、高校生らしい楽しみはほぼなかった。卒業すると同時に社会人になる同級生もいて、自動車学校に通ったり、恋人とのデートを楽しむ生徒がちらほら周りに見えて、ウザかった。ホントは羨ましいのよ、ただ、まったくモテなかったのだ。自分は、朝と放課後、決まって学校の図書室に籠もり、テキストを読んでいるのか、赤本を解いているのか、ぼんやり時間を潰していた。そこから、カップルでイチャイチャ勉強している奴等には、届くわけが無いのだが、鋭い視線を配っていた。また、いつも図書室で受験勉強をしている女子生徒がいて、その日はたまたま自分の座った席の仕切り越しに座っていた。確か、彼女はハンドボール部だったと思う。どうにか、彼女と仲良くなれないかと、毎日偶然を装って彼女の近くに席を取り、勉強をするようにしていた。何事も外堀から埋めるのだ。日に日に、彼女のことが気になりだして、同期の野球部の女子マネージャーに相談をした。すると、数日で結果報告のメールが返ってきて、「彼氏持ち、志望校は県内の国公立」と知り、自分は断念した。それでも、その日も図書室で自分は彼女の仕切り越しの席に座った。そして、テーブルから椅子を引き、身体を曲げ下から覗こうと思った。結構キツイ角度だったが、そうしようと思ったのは、仕切り越しの彼女が大きく股を広げながら座っているからだ。少しの興奮から始まったが、次第に萎えてしまった。キツイ体勢から見えた光景に、自分はそんなだらしない女性を好きになれない。と感じた。いや、もしかしたら、これは自分を誘っているのか、彼女の誘導作戦なのか、自分は受験勉強どころでは無い、直ぐに方向修正を取るよう、一回トイレに立つことにした。

年末年始、お正月なんて、受験生には関係ない、勉強をしなくてはいけないのだが、ひたすらにダラダラと過ごしていた。その中で観た箱根駅伝。その頃には、こういうところを受けようと思います、受験費用、何卒よろしくお願いいたします。と親には頭を下げ、良い子にしていた。箱根駅伝を走る、それなりに有名私立大学に進んでもらいたい、という偏差値や就職実績等はまったく気にしない親は、「この1位の大学は良いんじゃないの?」とテレビを観ながら言っていたが、その大学は、完全なるスポーツ大学であり、多分、学力だけの受験であれば合格できるぞと思ったが、正直、志望校なるグループに入っていなかった。大学にまで行って、スポーツに励む根性は、まったく無かった。高校の部活、野球部もなんとかお付き合いも兼ねて完走し、高校を卒業したら、田舎から出て、東京の空気を味わいたいと思っていた。

自分の学力、実力からして、2月に受ける大学は、このあたりかな、と両親に改めて話し、1回の受験で3万円以上もかかる中、複数校、複数回受験の機会を与えてくれた両親には感謝している。1月のセンター試験は散々で、センター試験の結果をもとに合否が出る受験も受けたが、相も変わらずどの大学にも引っかからず、手応えのないまま、2月、3日間連続で都内の大学を受験することにした。もちろん、箱根駅伝に走っている大学だ。宿泊先をどうするか悩んでいたが、1個上の先輩が住んでいる金沢文庫に2泊、泊めさせてもらうことにした。先輩、ありがとう。ただ、先輩よりは偏差値の高い大学に行くぞ、受かるか分からないけど。

それが、初めての東京一人旅みたいな感覚で、ワクワクしていたのを覚えている。受験票を握りしめ、シャーペンの芯は多めに持って。

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