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211216【サークル内恋愛】

大学祭の実行委員会にて、何故か指名された“芸能人担当”というポジション。当時、自分だけかもしれないが、まだまだインターネット、メールでのやり取りが盛んではなかったあの頃、部室のFAXにて出演依頼を送り、数日後に返信が来た。慣れないやり取りではあったが、日時・予算他一定の条件の中で、大学祭にお笑いコンビ「ダイノジ」をブックした。また、これは当時の“バーター”になるかもしれないが、当時若手の「平成ノブシコブシ」もブックしたのだ。ダイノジにはエアギターをやってもらい、ノブコブ吉村さんには、脇鳴らしのパフォーマンスをやってもらおうと考えた。ダイノジおおちさんのエアギターは知っていたが、深夜のテレビで観た吉村さんの脇鳴らしによる安室奈美恵の「TRY ME」、また、「幸せなら手をたたこう」のパフォーマンスがバチボコ面白かった。これも一種のエアパフォーマンスであると、部内のステージ企画担当者と部長を口説き、ほぼほぼ、自分のブックした芸能人ありきに企画は成り立ち、自分の役割は当日に向けての調整くらいで、仕事は終わったみたいなもんだった。

だったら、大学生らしく恋愛でもするか、と意気込んだが、夏から秋にかけて、大学祭の製作は忙しさが増し、サークル内恋愛でもする者が居たら、変な目で見られる、というのも風物詩のようだった。

ここでまた出てくるのは、新歓コンパ時に隣りに居た一個上の女性の先輩だ。その先輩は、またサークル内の先輩と付き合い始めていた。言葉が幼稚で大変恐縮なのだが、「穴兄弟」という言葉は銀杏BOYZの歌詞でしか耳にしたことがないと思ったら、この大学祭実行委員会でも脈々と母数を増やしていたのだ。確かに、年頃の男女が100人も居れば、性欲の強い弱いがハッキリするというのは、恋愛素人の自分でもよく分かった。広報部でパンフレットを作ったり、POPデザインをする女性スタッフは、毎日エッジの効いた服装で、デザイン専門学校生かと見て思っていたが、そういう女性は性欲が強いと、かなりの偏見をしていた。

サークル内恋愛を渡り歩いた、その女の先輩は、果てには大学生協の職員さん、理事職にあたるキーマンとも愛人関係に陥り、大学卒業後はそのまま大学生協に就職したと聞いた。どこまでが本当なのかは、この部活動、大学のパンドラの一つにしておこうと思う。先輩が卒業、就職する頃はリーマンショックの影響を受けていた頃であり、なかなか就職先が決まらない先輩も見てきた。そんな中、裏技なるカラダを張った就職方法に、自分たちは目を丸くした。「まあ、人それぞれよね。」と言ってしまえばそこまでだが、先輩が、大学生協の理事のおっさんの耳にも息を吹きかけているかと思うとゾッとする。まあ、もうこのくらいにしておこう。ちなみに、自分が入部時に、その先輩と別れたばっかりの企画部長は、大学卒業後芸能事務所に就職し、マネージャーになったそうだが、いつの間にか退職し、故郷である北海道に帰ったという。

さて、サークル内恋愛は、そのうち最下級の1年生である自分たちにも及ぶんだろうな、と予想していて、それが一歩ずつ動き出したのは、自分が発端だったのかもしれない。毎週行なわれる、定例の企画会議の書記に来ている自分と同期の総務部の女の子。抜群に可愛い、というわけではないが、大人しそうで、できる子だった。その彼女とは、自宅が近い、同じ法学部、ということだけは情報が入ってきたが、そこからどうやって近づけばいいか、点数を稼げばいいか、部内に潜むライバル達に差をつけるにはどうしたらいいか、そんなことを考えていたらあっという間に秋になって、大学祭シーズン本番となっていた。彼女には、正直に伝えていた。「大学祭が終わったら、ご飯に行きましょう。」と。それをニンジンとしてぶら下げて、大学祭、早く終われ、無事に終われと祈っていた。言ってしまえば、大学祭が終わり、上層部が大学への報告さえ済ませば、次年度に向けて大学祭のテーマを考える、みたいな動き出しはすることなく、12月、年末年始に2月からは長い長い春休みと続く大学生活。先輩からの話を聞くと、大学祭が終わったと同時に、告白するヤツが多くいるんだ、ということだった。

その同期第一号が自分であった。

自分の彼女ができた話なんて、誰も興味を持たないと思うが、大学祭が終わった11月に、早速お目当ての彼女とごはんに行き、告白して、お付き合いをすることになった。告白作業は一発逆転ではなく、確認作業だ、誰かが言っていた。自分がどうやって彼女を口説いたか、読み手にとっては実に興味がない話なので、大割愛する。さて、サークル内恋愛の先陣を切り、先に高台に登った自分は、周りがどう告白していくか、くっ付くのか離れるのか、高みの見物をしていた。ちなみに自分は、高嶺の花には行かず、自分の中で届くストライクゾーンで勝負したチキン野郎であるが、とてつもなく良い彼女と付き合ったと今でも思っている。少しは恥を知れ、と言いたいが。

自分の交流の中で、特に仲の良かった同期が3人いて、大学1年生の12月、皆サークル内恋愛に走り、一人はみなとみらいで告白、お付き合いがスタートした。その彼だが、その時に付き合った彼女と結婚して、今は一児の父である。素直にスゴい。純粋でスゴい。「まあまあ、恋愛は経験よ。」と恋愛素人の自分が繰り返しそう話していたらしいのだが、まさか結婚までするとは、当時思わなかった。一人暮らしの彼の部屋によく遊びに行くことがあって、ある日遊びに行った際、ベッドシーツが洗濯されており、デリカシーのない自分は「これ、どうしたの?」と石直球な質問をして、「血まみれになって洗った。」という報告を受けた。それを今でも自分は酒の肴にしている。その影響もあってか、彼女に最後に会ったのは、いつだったか覚えていない。いつの間にか部活動を辞めていた。本当に結婚したのか、幸せなのか疑いたくなるが、まず自分はどうなんだと自問することにする。

他にも、その頃からサークル内恋愛が始まり、そのまま長いこと付き合って結婚している同期がいた。あまり会話もしたことがない2人だったが、横浜で幸せそうに暮らしているなら何よりだ。おめでとう、少し尊敬する。

一方で、フラれたヤツもいた。フラれた人間へ掛ける言葉の学びをしてこなかったため、ベタに「お前のことを分からない彼女が悪いよ。」と彼をフォローしたつもりが、「彼女のことを悪く言うな!」と変なカウンターを受けたことがあった。大学生初のクリスマスに、自分は晴れて彼女と過ごすことができた。彼女と過ごした大学生活は本当に良いものだった。感謝している、もちろん、人生のターニングポイントなる時に迷惑もかけてしまった。まあ、自分が悪いのだが。

ただ、付き合って早々、彼女の要望を受け入れるべく、生活の改善を行なった。それが生きるためであっても、軌道修正を図った。別に変な道ではないんだけど。

当時、自分は大学最寄りのパチンコ店にてバイトをしていた。高校時代、学則の影響もありできなかったバイト。そのバイトデビューがパチンコ店だった。自分、パチンコ、打ったことないのに。スロットも。

昔、おとんが休みの日にパチンコで5万円近くすって、おかんに怒られて以降、とんとパチンコ、強いてはギャンブルをしなくなったのを覚えている。高校時代、先輩がこっそりパチンコ店に通っていたのを見ていたが、自分がやってみたい、打ちたい、という感情はまったく出てこなかったのに、大学に進学、上京してきて、めくったフリーペーパーの求人誌に目が止まったパチンコ店の広告。自分は戸惑うことなく、電話をしてみたのだった。

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