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200730【2死満塁からヒットエンドラン作戦】

夏の甲子園の代替大会が各県で連日行われている。自分の母校は、シード校だったが、2回戦で負けたようだ。残念だったけど、ナイスファイト。薄っぺらくも一言添えさせていただきます。

高校野球のニュースは、ネット検索すれば地方大会でも結構なリアルタイムで情報がアップされている。今や日本全国、野球に限らず、ゲームでも、恋愛でも、何でも実況したがる人がいるものだ。感謝と同時に、スゴい時代になったなと感じている。自分自身が実況するなんて、たぶんこの先ないのだろうなぁ。滑舌が悪いので、言葉を伝える仕事は向いてないけど、 実況という仕事には少し憧れる。 

さて、自分と野球において、一番楽しかった中学時代に時を戻す。小学校から高校まで野球をやっていたけど、中学時代が一番楽しかった。それは、納得のいくプレイができたというのもあるんだけど、小学生という子どもでもなく、高校生という子どもと大人の端境で野球を取り巻く環境含めモヤモヤすることなく、純粋に野球を楽しんでいたからでもある。幾つかの思い出の中から厳選はしてないけど、ダラダラと書いてみる。

中学入学と同時に野球部に入部した際、自分は正直ただのデブだった。そんなデブは使いものにならないのと、体型に限らず、足の遅さ等で変に目立ってしまい、コンプレックスだった。“素材”という表現では良いのかもしれないが、中学入学当時で身長は170センチあり、体重は80キロ近くあった。

自分の中学の野球部新入部員は、ボール、バットに触れることなく、毎日のように恒例のポール間走があって、これがホントに嫌だった。入部前の噂話では、一日レフトとライトの間を十往復と聞いていて、今の時代はあるのか分からないが、“シゴキ”が待っていると不安でいっぱいだった。

しかし、自分の入学した4月に野球部担当の顧問、監督の交代があり、ポール間走は、一日多くても五往復程度だったと思い出す。ラッキーと思っていたが、遅いなりに全力で走り、全力で疲れていた。その当時、力を抜くという技術を持っていなかった自分、ただ、その成果もあり、入部時から体重がドンと落ちて、夏頃には70キロちょっとになり、気づけば周りから「デブ」呼ばわりされることなく、更に下半身は少しずつたくましくなり、少年野球とは違い中学生になって変化球は解禁になり、カーブを上手いこと操れるようになり、3年生の先輩が引退した後の、秋の新人戦の頃には控え投手として背番号をもらい、ベンチ入りした。

初めてもらった背番号は18番だったかな。この“18”という数字を、自分は勝手にラッキーナンバーにして、ずうっと大事にしている。

その年の秋、近郊中学が集い、隣町の河川敷のベタな野球場にて大会が行われた。その日は監督が私用で指揮を取れず、代役の副顧問の先生がベンチに入った。その先生は、お世辞にも野球の指導が上手いとは言えない先生だった。今の時代だったら、保護者からのクレームが来るご時世だが、当時はおおらかだったのだろう。先生自身もとてもおおらかな方で、試合前のシートノックで外野フライを打ったつもりが柵越えホームランを打ったり、バッティングの指導では、「ここに当たったら打球は飛ぶ。」とバットの芯の部分を指して唱えていた。

そんな先生の采配が今でも忘れられないので、ここに記す。

その大会は一試合7イニング制で、延長戦となる8回からはノーアウト満塁で始まるタイブレイクルールだった。試合が始まると、両校譲らず、スコアボードは0の行進だった。 試合の後半から、いつでも登板できると、自分は肩を作り始めていたが、もうこの試合は余程のことがない限り、先輩投手が完投することになり、自分はベンチで戦況を見つめていた。

7回の裏が終了し、意味があるのか分からない簡単なグランド整備が行われ、延長線、タイブレークルールが採用された。

8回の表、ノーアウト満塁のチャンスで、先攻自チームの攻撃が始まった。ただ、ランナーを返すことができず、簡単にノーアウトからツーアウトになった。タイブレークルール、延長戦になると、後攻の方が有利かと思う。サヨナラ勝ちもあるし、ましてや、タイブレークルールの中、一点も取れてないと最初から大ピンチである。

なんとか一点が欲しいと、先生は、その場で考えたのだろう。どうやったら一点が取れるか、精いっぱい考えたのだろう。

追い詰められたツーアウト満塁から、ヒットエンドランのサインが出たのである。

ヒットエンドラン、ベンチで見ていた自分はビックリした。サイン違いかと、疑った。

【ヒットエンドラン】という作戦を調べると、まあ、こう出てくる。

野球の攻撃の作戦のひとつ。守備側の投手が投球すると同時に走者が走り、打者はどんな球が来ても打って走塁を助ける攻撃側の戦術。

ヒットエンドラン、ランナー一塁で仕掛けるシーンをプロ野球、高校野球でよく見るけど、ツーアウト満塁だぞ。バッターが空振りでもしたらどうするんだと。ホームベースで投球を受けた捕手にタッチされて終わりじゃないか。

そのサインに気づいたキャプテンが「止めとけ。」と必死に指示をしていた。

その試合、サインの出し方に慣れていない先生は、ベンチ入りの選手にサイン担当を任せ、先生から作戦をその選手にコソコソ伝え、その選手が身体や手を使い、サインを出して、グラウンドのバッター、ランナー、コーチャーに伝えていた。中学野球レベルでは、サインは「バント」、「ヒットエンドラン」、「盗塁」、「スクイズ」くらいだと思うが、サイン担当の選手に先生が近づく度に、相手校に作戦がバレているんじゃないかと心配になった。まあ、そこまでして中学野球をする学校はないと思う、なんせおおらかだし。

先生より野球に詳しいはずのサイン伝達担当の先輩が、伝書鳩のごとくツーアウト満塁でヒットエンドランを出して、ベンチ含め選手たちを怯ませていて、それに対して、先生にバレないようにキャプテンの「ヒットエンドランは止めとけ。」の画がとても面白かった。

あの時、ツーアウト満塁でヒットエンドランを遂行した世界線を少し想像してみる。おそらく、皆さんの予想通りの結果になると思う。

結局その試合は、幻のツーアウト満塁からのヒットエンドランは遂行されず、一点を取ることができないまま攻撃終了、裏の相手校の攻撃で簡単に一点が入り、自校は負けてしまった。

試合後、先生はあっけらかんと「一点も取れないと、野球は負けるよね。」くらいの反省会を開いたと思う。おおらかすぎるぜ、もうクールだ、それは。

先生は、自分が引退する3年生の夏まで、副顧問的な立ち位置で野球部に関わっていたけど、その試合が唯一の采配をした試合だと思う。勝たせてあげたかったと言うより、もう少し、もう少しで良いから野球を学んできて。と当時思ったかな。

自分が3年生になった頃には、すっかりノックでの失敗談は聞かなくなった。相も変わらず、たまに柵越えを放って、補欠生徒にボールを取りに行かせるシーンを何度も見ていたけど。

ツーアウト満塁からのヒットエンドランをかけようとしたあの試合、何故かよく覚えているんだよね。今でも当時の中学の同級生と酒を飲む時に、ポッとその先生と、パルプンテのような作戦が酒の肴になる。元気にしているだろうか、ちなみにその先生の教え子が、当時ハロプロのアイドルになったという逸話もあるそうな。

自分が野球をやってきて、中学時代が一番楽しかった事は最初に触れた。楽しかった事、エピソードを書き出したら、今回だけでは終わらないから、また次回に続きを書く。中学時代、まだまだ印象に残ったエピソードがあって、また酒の肴になりそうだ。とりあえず、書き上げたら、ハイボールを飲むことにする。

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