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210121【チームのためにがんばります】

高校2年生、夏の甲子園を目指す県大会、6月の最終選考で不甲斐ないピッチングをした自分はベンチ入り、背番号をもらうことはなかった。「もしかしたら、入れるかも。」という希望はあったが、あっけない自分のピッチングで夢は叶わなかった。また来年があると思いつつ、目の前の大会に一球入魂してしまうのは、少しでも高校球児の性だろうか。そのスピリットをもって社会人生活を送っていたら、もう少し仕事の成績は良くなっていたし、ちゃんと年齢相応の収入を確保していたと思うが、どうしても高校時代に学んだ練習のサボり方、力の抜き方が先行してしまう。ただ、目の前のこと全てに100%、全力をつぎ込むのもどうかと思う。何事もリスクヘッジしながら生きていきましょうや。

チームはベンチ入りメンバーを発表した以降、ベンチ入りメンバーをフィーチャーする、大会で勝ち上がるための練習メニューにシフトしていった。それであれば、またサボれる時間が生まれるぞと思ったが、自分はシート打撃のピッチャーとしてフル回転することになった。また、レギュラーメンバーが各ポジションに守備につき、ベンチ入りする3人のピッチャーが投げるシート打撃が行なわれたメニューでは、ピッチャーサイドが対戦バッターを指名でき、2番手になる同期のピッチャーから、バッターとして自分が指名された。たぶん、俺の球見ろ、打ってみろ。って意があったんだろうな。一番のライバルという立場である自分に、実力の差を見せつけたかったんだろう。当時は皆、尖っていたし。

まさか自分が呼ばれるとは思わなかったので、野次将軍の一員でいた自分は急いでヘルメットを被り、一番手前にあったバットを手に取り、何回かブンブン振って、打席に入った。彼は、ストレートは135キロを越えてくるため、当時の地方、田舎においては速い、速球派のピッチャーだった。1打席だけのちょっとした真剣勝負。自分はカッカカッカせず、冷静に打ち返そうと思った。ボール先行で球筋やタイミングを掴み始め、一球もスイングをせず、ボールカウント3ボール1ストライクとなった。ここで厳しいコースは来ないだろうと決め、自分は次のボールを踏み込んで打ちに行った。

ほぼ1、2の3というベタなタイミングで踏み込んだ投球5球目、真ん中よりちょっとアウトコース、ストレートの軌道から少し落ちてくる球だった。浅いフォークの握り、スプリットって言うんだっけ。その球をちょうど腕が伸びたところでミートでき、センター前ヒットを打った。一塁に到達したところで、パンパンと手を叩き、自分はお役御免だった。

「ナイバッチー!」と叫んでいたのは、最後の夏、ベンチ入りできなくても音楽ばかりの日々で明るい先輩だった。一矢報いて良かったのか分からないけど、ベンチ入りから外れた選手だって頑張っていますよ、やれますよ。というアピールになればと思った。また、自分は引き続きベンチ入りメンバーに帯同し、対外試合では、ベンチ入りピッチャーの調整登板以外は自分が登板する枠になった。昨年の秋季大会エースだった先輩は転げ落ちるように、最後の夏の大会はベンチ入りから外れ、不貞腐れていた。その先輩と投げまくった6、7月だった。

公立高校のため、大会が近いので期末試験はズラすことできませんか。みたいな言い訳が通用することもなく、決められた期間に行なわれる。試験が始まる前日の日曜日も、大会前ほぼ最後の調整のように練習試合が組まれていて、ベンチ入り以外の選手はほぼ勉強のため、帯同せず、荷物等の雑務に手伝うことなく、そのポジションは自分が率先してこなすことになる。中途半端な立ち位置はどの時代、どのポジションでも大変なんだ。練習試合最後ということで、最後の対外試合となる3年生はほぼ全員帯同していたが、期末試験、受験に向けてその日はバットではなくペンを持った先輩もいた。その先輩は頭が良く、その後現役で横浜の国立大学に進学した。確かに野球はあまり上手くなかったが、勉強はできて彼女もいた。今はどこで何をしているんだろうか、Facebookの更新は今はまったくないけど。

さて、夏の大会を控えた最後の練習試合。自分はアップには参加したが、どうせ1試合目に出番があるわけないので、ダラダラと身体をほぐす程度、アップしたところで。という感じなので、キャッチボールは遠投せず、水ばっかり飲んでいたと思う。試合が始まると、ベンチには入らず、バックネットで球速を測りながらスコアラーをしていた。先発ピッチャーはエースの3年生。ストレートは140キロを越えていた。

「速っ。」

久しぶりにバックネットでスコアラーをしていたのだが、ここまで速くなっていたとは知らなかった。そして、大会に向けての調整なのだろうか、色んな球種を試しているような気がした。器用なんだ、その先輩。前にも書いたが、その後大学、社会人を経てプロ野球選手になるんだから、もっと仲良くしておけばよかったと後悔している。今、2021年にいきなりFacebookの申請をするのもなんだし。

さて、調整登板となったピッチング。印象的だったのはドロンとした軌道をするカーブだった。ベタにスライダー、おそらく挟んで落とすボールも持っていると思うが、その試合、何故かカーブを多投していた。そして、毎回ベンチに戻る度、キャッチャー、監督と話をしている様子だった。スゴい、大会に向けての意気込みが違う。昨年決勝で負けたリベンジに燃えている。先輩は昨年の決勝でセンターを守っていた。自らのエラーで先取点を与えてしまったこともあるのだろう。今年はマウンドで甲子園を目指す。なにか、物語の主人公のように見えた。エースピッチャーが5イニング投げた後は、2イニングずつ、ベンチ入りのピッチャーが投げた。この2人は先月まで自分とベンチ入りを争い、勝ち上がった2人だ。なにかモヤモヤするが、バックネットから見つめていた。1人は同期のピッチャー、そしてもう1人は、サイドスローからシュートボールを武器にする先輩ピッチャーだった。

最後の最後で、その先輩に負けた身ではあるが、この先輩にも1年間ご一緒させていただいた。人間的な魅力は、当時まったくなかったけど、今は高校教師であり、野球部の監督でもある。スゴい、更生したね。というのは悪意があるがそんな感じだ。その先輩、中学時代に万引きでお巡りさんにお世話になったことを自慢気に話す人だった。自分の家がある地元の町だと万引きしてもバレるかもしれないということで、自転車で隣町まで繰り出し、万引きしていたらしい。その万引きの舞台となった隣町の小学校、中学校では、「ジャスコで万引きが多発しています。」と教育指導が入っていたと聞いた。

武勇伝が続く。

スポーツショップでどうしても金属バットを万引きしたく、どうしようか考えた結果、バットをズボンの左右の足部分に収め、逃げようとしたのだが、バットのせいで膝関節を曲げられず、逃げ切られなくなり御用になった話を聞いた。そんなことあります?って突っ込みたくなる以上に、「どうしても金属バットを万引きしたい」という感情になるのが自分には理解し難かった。そんな万引き先輩がベンチ入り、最後の最後で負けたけど「良かったですね。」と添えて、自分はスピードガンを構え続けた。

スコアラーで正直眠気も来るような1試合目が終わり、昼食休憩の時間になった。午前はろくに動いてないので、腹が空いてないのだが、弁当をかき込んだ。グランドの隅で皆がおにぎりなり弁当を食べている中、監督の声が飛んできた。

「お前、次、頭な。」

頭とは、先発のこと。ありがたい。ベンチ入りを外れた3年生の先輩のラスト登板があるのにも関わらず、先発で行かせてくれる、頑張らなきゃ、今後のアピールのためにも。

2試合目。自分は先発ピッチャーとしてマウンドに上った。この試合は、監督からの指示で、1試合目で出ていたレギュラー、ベンチ入りの野手たちの希望で、出場可否を選べる試合だった。もう少し実戦に触れたい選手は出て、守備でも代打でも、選べる試合。THE調整試合だ。ピッチャー陣は投げ終えているため、自分とベンチ入りを外れた元エースの先輩で9回を投げる。あの音楽好きな先輩はベンチで作戦コーチのような立ち位置をしていた。

スターティングメンバーは、レギュラーと控えメンバーが入り混じっていた。主審の掛け声で整列し、挨拶、後攻の自校は各ポジションに散る。マウンドには自分。周りを見る。そう、ベンチから外れたメンバーは自分だけ。なんだよ、このシチュエーション。「仲間はずれは誰でしょうか。」みたいな括りの中で試合が始まった。

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