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200709【ラジオと宴会の騒ぎ方】

先月6月末をもって、新潟県民エフエム放送「FM PORT」がラジオ放送を終了し、閉局となった。多くのリスナーから別れを惜しむ声の中、6月30日の24時以降は、砂嵐になったようだ。ウチのおとんは、ラストの放送を聴きながら自宅で横になっていたらしく、放送終了、砂嵐が流れる中、眠りについたと聞いた。

ミーハーながらもラジオ好きなワタクシにとって、寂しい話題だ。スポンサー不足による経営悪化という原因をニュースで知った。 いやぁ、地方ラジオ、厳しいのかぁと、ちょっと勉強にもなる。

FM PORT、自分が新潟で仕事をしていた時代、営業車の中で聴いていたなぁ。また、当ラジオで番組DJをしていた島村仁さんがプロデュースした音楽フェス「Jin Rock Festival」が毎年開催され、そのためだけに新潟に行っていたのも懐かしい。新潟にいる人との同窓会的な再会のノリで自分は参加していたなぁ。昔遊んでいた女の子とも会ったり。えへへ。

自分が行った年は2015年、2016年なんだけど、長渕剛、大黒摩季といったそれなりのヘッドライナーをブッキングしていて、会場は悪天候の中でも盛り上がったのを覚えている。大黒摩季の際は、ジャンプしすぎて、スマホを落とし、見事にモッシュの中で画面が割れ、途中で会場を抜け、ドコモショップに直行したことも懐かしい。いつもはスマホを落とさない自分だが、高校時代野球部に所属していて、自分がバッターボックスに入ると流れる応援歌が、大黒摩季の「あなただけ見つめてる」だったため、自然と身体が反応してアドレナリンが出たのだろう。歌詞通りハイテンションになり、そのあと落ち込んだのは言うまでもない。

また、自分は恥ずかしながら、FM PORTの採用試験を受けたことがある。こちらは見事に不採用だった。もし採用していたら、こんなことにはならなかっただろうと妄想するが、それくらいのビジネスにおける推進力や影響力があったら、今は苦労していないはずだ。

寂しいニュースになったが、どこかのラジオ局で働いてみたい。という欲は、今でもある。コミュニティラジオレベルであれば、出演歴だってある。
DJをやりたい。というわけではないが、ラジオを通じて、街づくりやリスナーとのコミュニケーションデザインをしていきたい。というのはあるかな。何かラジオで喋る場、時間をいただけるなら、いくらでも力になりたいし、面白いことを伝えられるよう念入りに仕込む。ただし、滑舌は絶望的なので、察してほしい。ぬはは。

さて、FM PORTを聴いていた、採用試験を受けていたという話から繋げて、当ラジオを聴いていた際に働いていた会社の話をしたい。

その会社で働いていて、営業車の中でFM PORTを聴き、転職したいと思って、FM PORTを受けたのも事実な話。

その会社は、ニッチな世界にあれど、日本シェアNO.1の会社であった。今でも売上を伸ばしている。自分はその会社から逃げるように辞め、今に至るのだが、年始の挨拶に事務所を伺うこともある。今でも仲が良いのか悪いのか、分からないのだが。

会社は、分かりやすいオーナー経営で事業を伸ばしてきており、自分が働いていた時、会長は既に70歳を超えていたが、息子に社長の席は渡したものの、現場が好きで毎日のように本社に来ては、粗を探して指摘、幹部を集めて、「どうなってんだ、わー!!」と怒鳴り散らしていたと思う。

自分は新卒で入った身で、「会社とはこういう組織なんだ。」と半分変な洗脳のような感覚で働いていた。会長の指示には絶対服従、どこかの国家のようなシーンを何度見たことか。地平線まで続くような広大なオフィスで公開処刑を受け、会長の隣で泣いている事務員さんを見た時は、早く何処かの支店に飛ばされたいと思った。

「ここの会社ってこれが普通なんですか。」と相談できるような先輩や上司に恵まれなかった自分。むしろ、悪い体育会系のノリで自分を潰しにかかってきたんじゃないかと思ったこともあった。自分は歓迎会となる飲み会で酔い潰れてしまい、支給されたばかりの会社携帯電話を失くしたことがあった。「初めての始末書がこれかいな。」と思いながら、人事部に提出したことを今思い出した。はっきり書くが、落としたのではない、失くしたのだ。まあ、意味合いは同じかもしれないけど。

会社の体制はともかく、大企業らしく同期入社はそれなりにいたが、いつの間にか失踪したり、音楽をやるから辞める等、皆、大企業の安定に留まらず、チャレンジしている、旅立ったヤツを見てきた。それをチャレンジと捉えるかは人それぞれだけど。

この会社で働いている社員さんは、皆会長のワンマンに反抗する感情を失いながら働いているのか。と、社会人早々途方に暮れていた入社1年目の12月、今でも覚えているシーンがある。

毎年年末に、幹部社員、営業局員が全国から集い、ホテルの一室を貸し切っての忘年会が行われていて、入社1年目の営業も参加することになった。1000人近くいる従業員の中で、50人ほど集まったのだろうか。初めて対面する社員の方もいて、ペコペコしながら立食パーティーでのニュートラルポジションを見つける。

定時になり、社長室室長のMCのもと、副社長の乾杯の音頭で忘年会は始まった。

これは今も苦手なんだが、宴が始まって、ビール瓶を持って注いで回る古からある作法。あれ、苦手なんだよなぁ。一応4年制大学まで出ているけど、お金の稼ぎ方と、宴会でビールを注いでご機嫌を取る方法は、学んで来なかった。同期の営業のエースは頭の回転が早く気が利き、ビールを注いで回り、一緒に煙草を吸い出す、鬼コミュニケーション力が売り。それを隣で、ちびちびノンアルコールビールを飲みながら見ている自分。その日は忘年会後、車の運転を控えていたため、ノンアルコールだ。アルコールを飲んで、気分を上げることすらできない。加工肉ばかりのテーブル上の料理を口にしながら、早く終わらないかなぁと願っていた。

いい具合に宴が進んだところで、営業局員一人一人が、全員の前で挨拶をする運びとなった。新入社員だけでなく、本社、全国支店の営業局員が。あぁあ、体育会系だなぁ。

自分は何を話したか覚えてないが、気の利く同期は笑いを交えて挨拶していたと思う。今、振り返ってみて覚えてないのだから、そんなに良いことを言ってないんだろうなぁっていうのは分かる。「業界に革命を起こします。」とでも言ってみれば良かったかな。まぁ、2年で尻尾を巻いて逃げ出したんだけどね。 

挨拶が終わると、カラオケ機器が会場に運ばれ、カラオケタイムが始まった。

こういう時って、やっぱり若手が率先して、曲を入れて、ヘタなりにも歌いきって場を盛り上げないといけないのか。と、またため息が出そうな事を考えていたが、違った。

営業部長がまずマイクを持ち、歌ったのだ。その曲は何だったか忘れたけど、トップバッターは部長だった。その後も、管理職系の社員さんがマイクを持ち、自分たち若手は、終始拍手に努めた。こりゃ良いや、と思ったが、ついに本丸が動き出した。

会長は無類のカラオケ好きだった。

何を歌うんだろう、会長の歌を聴くのは初めてである。

イントロが流れ出す。北島三郎の「まつり」だ。イントロと同時に、会場内、手拍子のシンクロが始まる。オリンピック種目だったら高得点な拍手のシンクロ。「よ、会長!!」という声があちこちで飛び交う。とても上機嫌な会長。今日一番の盛り上がりだ。

そして、最後のサビで、「これが◯◯(会社名)の祭りだよぉ!!」と叫び、歌い終わった。

自分は目を丸くした。

会場内は、何か映画祭のような拍手が起きた。スタンディングオベーション、いやいや、宴の始めからずうっと立ち続けている。

会長は気分が良くなり、そのまま会場を出て、帰っていった。その光景にまた目を丸くした。なんだこりゃ。嵐が過ぎ去ったかのような会場。

嵐ではなく、会長が過ぎ去ったように帰った後、どうなるのかなと考える間もなく、MCの社長室室長が出てきて、「会長帰ったから、よーし、騒ぐぞー‼」とマイク越しに叫んだ。その言葉に、民衆は開放宣言のような拳を突き上げていたと思う。場が和らいだのと同時に、「ああ、皆そんな感じなのね、良かった、ホッとした。」とオアシスを感じた。

自分はこの時の「よーし、騒ぐぞー‼」をバイブルにして今を生きている。間違っているかもしれないが、要所要所でこの「よーし、騒ぐぞー‼」を使っている。それを、立ち去った偉い人にバレて、酷い目に遭ったこともある。それでも、騒ぐ、騒ぎ続けるしかないんだ、騒ぐというより、蠢こう。

騒ぐぞー。の後、新入社員にもマイクを渡され、自分は神聖かまってちゃんの「あるてぃめっとレイザー!」を歌おうとした。ここまでで、今日の分は終わりとする。

とりあえず、今日もラジオを聴こう。いつか、番組持ちたいな。

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