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死ぬのは怖いか。

もちろん怖い。何が怖いって、死ぬ前は大抵ものすごく痛かったり苦しかったりするはずで、それが怖い。そしてとても嫌だ。「絶対に死にたくない、嫌だ」と泣き叫んで醜態を晒すだろう。その時にそんな元気があればだが。

タナトフォビアという言葉がある。
死について病的に怖がってしまう人がいるらしい。

この言葉が使われる時、どうも死後に対する恐怖を指すことが多い印象を受ける。あくまで印象である。

日本人は無宗教の割合が高いためにこれに陥ってしまうことが多いという。
私も無宗教だが、そうした恐怖は感じたことがない気がする。

わたしの父親は、死んだ後どうなるのかわからないのが怖いと言っており、教会の牧師だか神父だかの話を聞きに行ったこともあったという。

私がポカンとしていると、「お前はそういうことを考えたことがないのか」と呆れていた。

思春期真っ盛りの息子も「死んだ後のことと宇宙の果てのことを考えるとすごく怖くなる」と言っていた。

2人とも、最近はその話題を口にすることはないが、今でも怖いのだろうか。

この恐怖を惹起するメカニズムを分析してみたいと思うのだが、感じたことがないことを分析するのは難しい。

死後が怖いと聞いて思い当たるのは、子供の頃によくやっていた心霊関係のテレビや映画である。
本当に苦手だ。
これらのお話というのは、死後の世界というものの存在を前提としている。

きっと死後が怖いというのは、きっとこの辺りと関係がある。タナトフォビアの人は、自分が無にはならないと信じているのだろう。肉体は死ぬが、意識(魂?)が残ると思っているのではないか?

つまり、死後が怖いという人は死後があると思っている。当たり前といえばあたりまえだが。

意識はあるのに体がなく、人と意思を疏通させることができない。それどころか、何も見えず、感じられない、闇ですら存在しない「ところ」に閉じ込められるような想像も可能である。

息子の言っていた「宇宙の果て」も、「何も存在しないところ」という部分で共通する。宇宙の果てには何もないなんて誰も言っていない(?)が、我々凡人一般の想像では、宇宙の果てには何もない。

私は、人間は機械的存在であり生命活動の終わりは脳機能の終わりを意味し、パソコンが修復不能の原因によってシャットダウンすることと近似の現象であると信じて疑わない。

それを証明しろと言われてもできないので「信じている」と言うのだけれど。

父親は教会で話を聞いていた頃、こう言っていた。

「キリスト教徒はいいよな。死んだ後天国に行くって素直に信じられるんだから。」と。

私は無宗教で、その上無神論者である。神なんているわけがないし、死後なんて存在しないと素直に信じている。

信じるものは救われるということか。

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