生きる意味 その1
生きることに意味などない、というのが私の考えだが、私の欠点は問いを突き詰めないところである。
私が憧れる人というのは、知的にタフな人である。彼らは追及の手を緩めない。体に障害を抱えていようと、精神的に追い詰められようと、簡単に手近な答えで手を打ったりしない。
生きることに意味など無い、という結論は、まさに手近なところで手を打った、というにふさわしいものである。要するに、そういうことにしておけば、万事丸く収まる、というだけに過ぎない。
現実問題として、こうした問いにがっぷり四つで取り組んでいては人生自体がままならない。私などは、何でもかんでも手近なところで手を打っているが、それでも(というより、だからこそ?)人生は二進も三進もいっていないという有様である。
まあ、どのみちどうにもならないのであれば、こうした問いにちょっと真面目に取り組んでみてもいいのかもしれない。
以下は、生きる意味について、この一月余り、頭に浮かんだ考えを記録したものである。記録であるから、全然文章としてまとまったものでは無い。
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生きる意味を問うとき、いくつかの場面が考えられる。
①
人間というものを科学的に見たとき、これほど精妙にできている生物が、自然発生的に偶然の重なりによって誕生したとは考えにくい。何者かの意思が働いたと考えざるを得ない。その何者かは、なにか目的があって人間を作ったのか。その目的こそが生きる意味なのではないか。その目的=意味は何だろう。
この考え方は宗教的にも思える。
(とはいえ、その何者かの目的を汲み取り、それに沿って生きることが良いことなのか?それが生きる意味たり得るのか?)
(人間以外のものにとってはどうなるのだろうか。その目的は自ら認識しなければならないことなのか?)
②
単純に、人間は何を目的として生きるべきなのか、という問い。なにかなすべきことがあるのではないかと常日頃考えている、という場合。
生きがい?せねばならぬこと?何をして生きるか?何のために生きるのか。使命。
③
例えば、大金持ちの子どもだとして、働きもせず、毎日を無為に過ごしているとき、
「俺って生きてる意味あんのかな」
とぼやく時の生きる意味。
つまり、自分は生きていて良いのだろうかという疑問。生きても死んでも変わらないのでは? という疑問。
人間には世界に何がしかの影響を与えたいという欲求が生まれつきあるのか?
これも、生きがいを欲しがっている?なにかせねば、という焦り?②と同じ?
④
例えば、生きることが辛い時に、「なんでこんなに辛い思いをしてまで生きなきゃいけないんだろう」と考えてしまう時の生きる意味。
死んでも問題ないのではないか、と死に逃げ込みたい時の理由として、意味がないことにしたい。(意味がないならいなくて良い?)
もしくは、この辛い生にもそれが何かはわかることはなくとも何かしらの意味があるのだと規定しないと生きていけない?
…………
思索がなければ、意味を問うこともないはず。
地球上で思索をするのは人間だけなのか。
思索は、人間特有の仕方でしているだけで、全く別の思索があり得るのか。
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意味とはそもそも何か。
goo辞書より
い‐み【意味】 の解説
[名](スル)
生きる意味と言った時、上記の中では3が該当するのではないか。
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生きる意味ー生きる価値
私が存在する意味ー私が存在する価値
私に価値はあるのか?
存在する価値。価値とは?
価値とは、誰にとっての価値なのか。
この生は私にとって生きる価値のあるものなのか、ということになれば話は少し違う。
価値がないものはどうなるか。
価値のないものは、排斥される。
不要であるということ。
生きる意味を問うのは、この世界にとって自分が必要であると認識したい、ということか?
必要かどうか判断するのは誰?
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小まとめ
私が生きることは、この世の中にとって、もしくは自分自身を含む誰かにとって価値のあることなのだろうか?
この世の中は、(私にとって)私が必死になって生きるだけの価値のあるものなのか?
この2つの問いは明らかに異なる。
異なる?
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不出生主義
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何のために。
目的?価値とは違う?
目的は、自分で自由に決めることだ。
自分のために生きるのか。
自分以外の何かのために生きるのか。
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「これでは何のために生きてきたのかわからない」と言うときの何のため。
こんな結果に終わるなんて、という無念の気持ちの表出。こんな人生なら無い方が良かった。
なぜ生まれてきてしまったのか。運命を呪う。
苦しむために生まれてきたんじゃ無い、という場合、何事も無かったとして、その時は何のためにと、問うだろうか。これは違う、嫌だ、と、否定したいために使う言葉としての。
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生きる意味とは?という問いは、かなり曖昧で、大雑把で、問いとしての体をなしていないかもしれない。
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さて、今回はとりあえずこの辺で一度記事としてアップロードしよう。
これには続きがあって然るべきであるが、外から考えを仕入れるべきであろう。それも含め、また少しずつ考えを蓄積して、たまったならば再びアップロードすることとする。