デザイアシューティング、分かる事は「壁をすり抜ける」事
「さぁ今、すり抜ける自ら作った壁を。そう、その向こう側夢に見たから」
この歌詞は原作「東方project」の2次創作、あ~るの~と作「デザイアシューティング」の歌詞の一部です。
20年以上前から壁は通り抜ける、すり抜けるモノだと思っていたから、この歌を聞いた時は驚いた、探せば見つかるだろうとは思っていたけど、何と無く見ていた動画に流れて来たから余計に驚いた。
この文を読んでいる人はどうなんだろうか?何かを出来る、分かる時は壁を壊したり、登ったりする感覚、経験なのか?自分は違います。
出来る様に成る時は、それ迄出来なかったのにパッと出来る様に成る。それは急に壁の向こう側へ移動するのに似ているので、いつの間にか自分は壁には見えない隙間が有り、そこを通り抜ける事だと思ってきた。
この歌詞を見つけて弟に説明した時は、レーシングゲームの「グランツーリスモ」を例に話した、ある程度プレイしている人はピンと来るかも知れない。
同じコースを何周も走っていると、ある時急にタイムが0.5〜1秒縮まる時が有る、ある程度上達してからの0.5〜1秒は中々縮まらない、それなのにパッと出来てその後も連続で出来る様に成る、そこには達成感と言うより何故出来たのか?と不思議になる。
更に暫くすると逆に遅く走れなく成る、勿論極端に遅くは走れても、何と無く走ると0.5秒縮まったタイムしか出なく成る。
弟も同じ経験をしていたので、言われて見れば確かに、すり抜ける感覚に近いと納得していた。
そう言えば道場の先生は階段の様に成長すると喩えていた、先生が出来る事は階段に手を掛け登ろうとする時に、手を掴み引き上げる手助けしか出来ないと話していた。
今思えば本当に良い先生で、人に丁寧で投げやりな自己責任では無く、本当の自主性を大事にする人だった。勿論それでも人は中々育たない、でもそれ以外無い事を良く知っている先生だったと思う。
分からないと言う状態と壁の関係は、向こう側が見えない=知る事が出来無い事と似ている。
確か養老孟司「バカの壁」にこんな感じの内容があった、その本では壁の向こうに行くと別人になる、学問とはそう言うもので、それは必ずしも都合の良い別人になる訳では無い、確かそんな内容だったと思う。
分かってしまう、出来る様に成ると出来なかった自分が分からなくなってしまう。少し経つと何故これが分からなかったのだろう?こんな感じになってしまう。
そのせいで悩みが深く広くなってしまう時もある、でもそれはしょうが無い、ずっと同じ場所にいるのはもっと苦痛だ。「そう、その向こう側夢に見たから」
この文章は「あ〜るの〜と」「デザイアシューティング」と最後の「そう、その向こう側夢に見たから」を捩じ込みたくて無理矢理膨らませ、なんとか繋ぎました。
それにしても趣味丸出しの恥ずかしい文章を書いて、やったぜ!酒持って来い!!グヘ、グヘ、グヘヘヘェーッ!!!
本当は「霍青蛾」の様に仙人になりたかったのですが、当然成れませんでした。これ等のアニソン的な歌を聞き思ったのは、「等身大」のままでは作れない歌詞だと言う事、等身大の歌詞ってどうなんでしょう?余り好みではありません。
壁を壊す登る表現の違和感
オリンピック選手が壁を登る歌詞の歌を、ラジオ出演時に選曲する事が多くそこに不満を持っていました、と言うより気に食わなかった、世の中的にはオリンピック選手が正しいのかも知れないけど、自分は違うと思っています。
高校生の頃から三国志、中国古典に興味を持ったので、「壁」といったら、中国の巨大で分厚い城壁しか頭に浮かばず、壁を登ると上から火矢、岩、木材、熱した油、糞尿をかけられるイメージしか湧きません。
まぁオリンピック選手だったらそんな壁でも登れるか。五輪は見ない上にラジオからは、聞きたく無い言葉を貰っているので、皮肉ぐらいは言わせて下さい。
皮肉言ってやったぜ、ぐへ、ぐへ、ぐへへへぇ〜♪これ大丈夫ですか!?爆仙娘々ファンの皆様本当にスミマセンでした。ユニコーン♫