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年表を眺めながら#3「突き放す笑い」

2003

現在のぼくを知っている人にはことごとく驚かれる話だが、ぼくは20代だった2003年から1年ちょっとの間、お笑いをやっていた時期があった。きっかけは本屋で見つけた雑誌『Cut』だ。松本人志の「ひとりごっつ」が特集だった。後半のモノクロページを眺めていると、そこにお笑い学校一期生の広告が出ていた。学校はなんでも一期生が1番良い。ダウンタウンが吉本NSCの一期生だということからそんな考えを持っていたぼくは、いつにない行動力でこれに申し込んだ。

1995

『ダウンタウンのごっつええ感じ』の放送が始まったのは、1991年のこと。
最初から観ていたわけではないが、いつの間にかダウンタウンや板尾創路はみんなの憧れの対象になっていた。最も印象に残っているのは1995年。Mr.BATERやキャシィ塚本、こづれ狼の時代だ。松本人志や板尾創路に象徴されるような、無表情でボケることがぼくの中で面白さの頂点にあった。笑いはあとからついてくる。わかる奴がわかれば良いのだ、という時代だったかもしれない。

2018

実のところ、ぼくの妻は松本人志があまり好きではない。『ごっつええ感じ』をリアルタイムで体感していないからだろう、とつい思ってしまう。『ごっつ』のあと、松本人志は自分が笑いを取るよりも、若手芸人を活かす側にまわっていく。『すべらない話』で宮川大輔が一番目立っていたのがその象徴だ。
しかしそれ以前に、『ごっつ』のような不条理な笑いは、いま求められていないのだと感じる。求められているのは、「いま笑ってOK」という安心だ。だからツッコミが司会者として求められるし、テレビはテロップや効果音で着実に笑いを取っていく。ボケの少しあとに間を空けて、短くチャイムを入れると、すべっていても笑いになる。
1995年のあのとき「ごっつ」で観たコントはツッコミも少なめ、効果音もテロップもなく、笑うポイントは明示されていなかった。演者が思わず吹き出す瞬間が、唯一ハッキリとわかる面白ポイントだ。あとは自由だった。

注1)人物はすべて敬称略。あまりにも遠い存在なので。
注2)なんか面白いこと言って、と言われても言いませんしネタもやらないのであらかじめご了承ください…

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ヤギワタル
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