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解像度を上げるには?
比喩としての解像度
ビジネス書を読んでいると「解像度が高い」とか「解像度を上げる」という言葉が頻繁に出てくる。SNSでもたびたび目にする。Podcastを聴いてもたびたび耳にする。
これは比喩として使われている言葉で、「課題についての解像度を上げたほうが良いです」とか「情報の解像度が低すぎです」というような使われ方をする。要は、解像度が低いとは、「あまりわかってない」ことを意味することが多い(※1)。解像度を上げると、「めっちゃわかってる」の意味になる。
解像度はさらに「言語化」という言葉と結びつき、「解像度が高い」とはすなわち「言語化力も高い」という意味になったりもする。
どうすれば度は上がるのか?
ここ20年くらい、パソコンやスマホがどんどん身近になり、ディスプレイがどんどん鮮明になってきた過程を知っている人が多いため、「解像度が上がる」という表現も身近に感じられるのだろう。
解像度が高いという言葉は、「めっちゃわかってる」「クリアにわかってる」という言葉で言い換えられるが、そう言われた人が疑問に思う「どうすれば解像度を上げられるのか?」に対する回答はイメージしにくい。
「それは…よく考えることだ」とか、「もっとちゃんと調べよう…」とか適当に、それぞれが思いつきのアドバイスをすることになる。
旧式の携帯電話を持っている人に、「やっぱ画面の解像度低いね。解像度あげれば?」と言ったとしても、「いや画面の解像度の上げ方なんか知らんで
すよ」と返されるだろう。同じように、比喩として「解像度を上げよ」と言われても、言われたほうは「解像度の上げ方なんか知らんです」となる。
ストライクの解像度を上げてみる
ぼやきはこの辺にして、比喩として、「解像度を上げる」=めっちゃわかるにはどうすれば良いかを考えていく。
ここでは野球の「ストライク」を例にする。
まず、ストライクの解像度が低い場合はこんな感じになる。
四角の内側がストライク、外側がボールだ。
解像度が低いので、ストライクとボールしか見分けることができない。
![](https://assets.st-note.com/img/1739624804-ONIwxFA612PaBYtefsbDjMi3.jpg?width=1200)
野球はその歴史も長いため、「ストライク」の解像度を上げる方法がすでに編み出されている。それはストライクゾーンを9つに分割する方法だ。
![](https://assets.st-note.com/img/1739624972-SUNwyezLmr0qIn9ED5bOsZ2k.jpg?width=1200)
ちなみに、低い・高いは常に相対的な尺度だから、「これはまだ低いだろう」というツッコミは今はナシです。あくまで、先ほどのぼんやりストライクの解像度をどう上げるかの話。
こうやって9つに分割するだけで、「ぼんやりしたストライク」は「内角高めのストライク」、「外角低めのストライク」に変わる。なんだそんなことか、と言われるかもしれないが、解像度、というか、何かをわかろうとするときの第一歩は、分けることであり、「そんなこと」なのである。
枠組み・骨組み・フレームワーク
人間は見落としを防ぐためにフレームワーク(思考の枠組み・骨組み)というものを編み出した。型みたいなもので、以前、別のnoteでも書いた「5W1H」も見落としをなくすためのフレームワークだ(※2)。
ビジネスではいろいろフレームワークが思考のために用意されているけど、分けるとなんかわかる気がしてくるから不思議だ。
だからなんなのか
ストライクの解像度を上げると、内角低めと内角高めのストライクを分けて考えることができる。
それはピッチャーからすれば大きなことで、「ストライクを投げよう」ではなく、「内角低めにストライクを投げよう」という意識を作り出すことができる。そうやって投球を組み立ていけると、たぶん強い。
でも、ストライクを9つに分けたところで、野球に詳しい人なら、球種や打者に対して何球目か?ピッチャーとして何球目?スピードは何km?などの疑問がわき、ストライクについて抜け落ちていることがあると気づくだろう。ストライクを9つに分けたにもかかわらず、抜けが生じている。
解像度を上げたのに
「解像度を上げる」という言葉が意味しているのは、「自分にはすべて見えている」というおごりだ。「すでにぼんやりでも見えている」という意識だから「解像度を上げる」という発想になるのだと思う。でも実際は、見えていないことが大量にある。
「すでに知るべきことは見えている。だが解像度が足りないだけだ」と思っていると、自分の視野の外にある広い世界のことを忘れる。
※1)実際は解像度が低いことが良いときもある。解像度が高い情報は人によってはわかりにくいので、誰に説明するかによって、解像度は上げたり下げたりすることになる。そうなると、「解像度が高い=めっちゃわかってる」という定義も実は間違っている。高くないと下げられないけど、高いだけで下げられないなら、それは「わかっている」ことにはならない。
小泉悠『情報分析力』(祥伝社)には、解像度を下げることについて書かれている。
※2)前に書いたnoteというのはこれ。
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池袋コミュニティカレッジで社会科講師の伊藤賀一先生と「フリーランス」に関するトークイベントが開催されます。
伊藤賀一先生はスタディサプリの社会科講師で、ぼくはただスタサプを見ていただけの生徒だったのですが、いつの間にかこんなイベントに呼んでいただくことになり、驚くばかりです。
日時:3月16日(日)14時〜15時半
場所:池袋コミュニティカレッジ
まだまだ募集してます。ぜひ来てください〜!
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