本格的に体調を崩してしまったので、今日は予定を全部キャンセルしてゆっくり過ごしていました。
一方で心はとても忙しいです。私の中の私が「バカ」「アホ」と責め立て、違う私が落ち込み中です。落ち込む私を慰める私もいれば、動じずダラダラする私もいました。
心の人格
人間の心には複数の私がいるそうです。でもだいたいは天使と悪魔の私くらいなんですよね。
物語の中だと、よく内面に人格を持たせて自分会議みたいなものを見るので、最初は普通だと思っていました。
異常なのか、というとわかりません。自分の心はのぞけても、人の心を見たことはないです。でも、自分がちょっとおかしいかもと、気づいたのは統合失調症について調べてから数年後でした。
統合失調症について調べようと思ったのは、20代前半に引きこもっていたときです。目の前にあるパソコンを見て、今なら昔よりもいろんな情報が得られると気づきます。
私は思春期のころ、なんらかの精神障害にかかっていた可能性があります。というのも、当時の私はご飯が食べられなくなったことに始まり、夜眠れなかったり、記憶が飛んで困ったりしていました。
当時はネットが普及して、一家に一台パソコンがあると言われていましたが、私の家には父が仕事で使っているもののみです。
子どもの私ではとてもネットで調べものなんてできませんでした。そのため、主要な情報源は学校と町の小さな図書館です。
明らかにおかしい自分の状態に、私は毎日のように本を漁っていました。その中に精神疾患をまとめた本を見つけます。
ひとつひとつ読んでいくと、幻聴が聞こえる、自分を観察するもうひとりの私など、多重人格障害(今は解離性同一障害というらしいです)の手前が、最も私の状況と当てはまりました。
治し方はどこに載っているんだろうと、読み進めますが、本の中には、専門家に受診して治療するようにとしか書かれていません。
当然ですよね。病気なんですから、素人の浅知恵で余計なことをしてはいけないんです。
しかし、精神疾患がまだ誤解が多かった当時、片田舎の子どもでしかない私が自ら専門家を探すことはほぼ不可能な状態でした。
それから数年後、家にパソコンが置かれるようになった今なら、本よりさらにいろんな情報が得られるのではないかと思ったのです。
当時は環境が変わったことで改善しましたが、今苦しんでいる私の手がかりにならないかと考えました。
たぶん、きっかけはTwitterの投稿だったと思います。統合失調症は自己否定による人格乖離だという内容を見つけました。
具体的には、天使の私だけを優遇して、悪魔の私を否定しつづけると人格が乖離していくそうです。
他にも、優秀な私と未熟な私とか、自分の一部だけを認めるということが問題らしいです。
そこで、私は自己否定をやめて、自分を多面的に受け入れたらいいのかと考えました。
実際にやってみると、心の中にはたくさん私が潜んでいたことに気づきます。驚きました。
でも、普通は、一個性を持つまではならないそうです。あくまでも、自分という多面体のひとつでしかあませんでした。
意図的に作ったわけでもないのに、それぞれの私に個性があるというのは、もしかしたら私が障害を持っていたという証なのかもしれません。
そして、当時の私は環境が変わったことにより症状が落ち着いていただけで、本当は何も治ってはいなかったんだと自覚したのでした。
私の心たち
全て私
多いですよね。いつも区別しているだけで数えたことはなかったんですけど、まとめていて自分にビックリしました。
そして多い道徳破綻者たち。さすが私ですね。ストッパーな私が意外にも活躍していますが、合理的な私が特に善悪を嫌っています。
正義が実は個人のものであるということは多いです。一方的に押し付けられちゃうと、それは私の正義ではないって合理的な私がそれはもう烈火のごとく怒るんですよ。
ひとつの体の中で複数の私がワチャワチャしているなんて、改めて考えると不思議です。それが面白かったりもしますが、性格検査だけで人間を捉えられないよなと納得してしまいました。
現在、精神科に受診していますが、今のところ相談する予定はありません。今はうつの症状以外で日常に影響が出て困っていることはないからです。
数年かかりましたが、自己否定をやめて、全部受け入れたおかげか、どの私もそれなりにコントロールできるようになりました。
どれも全部が私の一部です。ついでに人格を意図的に作れたらいいのにと思ったりもします。成功したことがないので、作れる人が羨ましいです。
ロールモデルで考えたり、行動できたりしたら、意図的に行動の幅と選択を増やすことができますから。
LGBTQ+によって、性に対する関心が強くなりましたが、私は男か女かと限定されるのが嫌いです。
それぞれを見るとわかるんですが、女の私だけではないし、男の私だけでもないんですよね。時と場合によって、女性の人格を持つ私が出てきたり、男性の人格を持つ私が出てきたりします。
それぞれの個性は流動的なのか、不定期に変化したりします。たとえば、悪魔な私は、以前怒った時にしか出てきませんでした。
その後、自分で自分を労るようになったとき、何故か、彼女の一部になっていたんですよね。それから、彼女が怒ることはだんだんと減っていきました。
他にも、デンジャーな私や直感の私のように、いきなり知らない私が出てきたりすることもあります。
もしかしたら、私の持つそれぞれの個性が今後ひとつにまとまって、人格はなくなるのかもしれません。
個性が変化していくだけで、それぞれ私の中の私は変わらずにい続けるのかもしれません。
でも、結局のところ、私は私でしかなく、私以外にはなれないんです。これは、多くの人に通じるのではないでしょうか。