【小説風日記】片付かなかった洗濯と私
小説風日記についての目的
私は現在、発達障害について勉強中です。今は主にYouTubeの動画を見ています。
その中で、自分の1日を細かく日記に書くと、自己理解と説明がうまくなるよという動画を見ました。
動画を見ていると、参考にしたほうが良さそうなのはビジネス書ですが、私は小説のように書いたらいいかと思ったんですよね。
たぶん、本が好きだから、誰にでもわかりやすい説明の文章として小説を思い浮かべたのでしょう。
そのうちまた、記事で日記をつけようと考えています。前と同じままにするか、小説風にするか考え中です。
3月12日
片付かなかった洗濯と私
玄関の呼び鈴が鳴ったのは、私が石鹸をすり下ろしているときだった。石鹸は手洗い洗濯に使うもの。汚れ落ちはいいけれど、その分しつこい合成洗剤が私は苦手だった。だから、素手で触れる手洗いは適当な石鹸を買ってきて、水に溶かしやすいようすり下ろしているのだ。手間はかかるけど、苦手な合成洗剤を使うよりはマシである。日曜日、今日は朝から隣の部屋のテレビ音が聞こえていた。
部屋中に突如響いた電子音。私は慌ててマスクをつける。セリアのオシャレ緑なルームスリッパから、無印良品の何処にでもあるような黒いサンダルに裸足を突っ込んだ。ガチャガチャとロックチェーンを外し、小さな出入り口を遮断する白塗りの重たいドアを開けたとき、驚いた私の心臓はいつもより激しく動いていた。
向こう側から、爽やかな挨拶を体現したような青いお兄さんがこちらを見ていた。年齢はわからない。というより私が興味ない。浅黒い肌に、緩んだ目元と上がった口角、と愛想のいい笑顔を浮かべている。時間は太陽が一番高く上った頃。晴れ渡った空の下、1日の中で最も明るい世界で、背後から差し込む陽光がまるで後光のように照らしていた。
腕に抱えられた大きな箱を視界に入れたとき、私は真っ先に大きいなと思った。それはウォッシュボーイという小型洗濯機が入った箱だ。周りには商品の写真が、説明ととも入っていて一目でわかる。よく見かける主張の激しいパッケージだった。
配達のお兄さんが、不在票は処分しておいてくださいと言いながら荷物を渡す。今日は2回目だったらしい。
片手では持てないサイコロのような箱を両手で受け取った私は、お礼を口にして、扉が勝手にふさいでいくままに、そっと外界を閉ざす。遠ざかっていく足音をBGM に再びロックチェーンを扉へ繋いだ。
半畳ほどの狭い玄関はクルリと振り向けばすぐ部屋に上がれる。しかし、私はサンダルを脱がずに大きな箱だけを下ろすと、再度振り向いてしゃがみ込み扉についたポストを開けた。
錆びついた金属が音を立てて、中から3通の紙が現れた。ひとつは言われた通りの不在票。もう二つは利用しているガスの振り込みとパンフレットだった。そういえば、1週間前に玄関から音がした覚えがある。そのとき確認しようと考えたのを忘れていた。そうか、ガスも私に放置されていたのか。紙束越しに玄関の黒い床を見ながら、やっちゃったと思った。思っただけで反省はしない。今はそこまで考える余裕がないのだ。
部屋へ戻る過程で、サンダルから、フローリングに転がるルームスリッパと交換する。キッチンと居間の境目にある机へ、パタパタと手紙を置いて新顔の箱へ近づき、いざ開封というところでやっと自分の姿に気づいた。
腰からずり下がり、裾を三つ折りした黒いズボン。薄らと汗の臭いがする白シャツ。朝から全く着替えていない。寝巻きのままだった。着替えようと思ったはずなのに。
こういうとき、私には教えてくれる「お母さん」が必要かもしれないと感じる。心や思考があちこちに飛んで、忘れては中途半端になりがちなのだ。自分の仕事は自分のものなので、代わりにやっといてほしいとは思わない。しかし、一緒に暮らして、口頭で教えてくれる人がいたら便利だとは常々思う。私のお母さんはいつも忙しそうだったので、イメージの「お母さん」ではあるけれど。
服の上から羽織った茶色い毛布のストールは、この冬購入したばかりの電気のヤツだ。まだ電気は使っていないけど、毛布だけで十分暖かかった。外見の良し悪しは気にならない。外に出るなら身だしなみは整えるが、今は部屋で過ごしている。宅配だけのために整えるのも面倒だ。
でも、臭いはちょっと申し訳なかったかもしれない。いや、荷物の受け渡しだけで、すぐ離れたし、今回は大丈夫だということにしておこう。不運な配達員さんもドンマイ。それよりも今、私が気になるのはウォッシュボーイだ。やっと、中身を取り出しにかかる。受け取りから5分くらい後のことだった。
カッターはご注意くださいなどと書かれていたがなんのその。道具を準備するほうがもどかしいので、固く閉じるテープを素手で引き剥がし、箱を開けていく。場所は箱を最初に置いた玄関前だ。この小さな部屋は、水仕事をするキッチンが出入り口の正面にあるので移動しない。
新しいものが来たときって、ただそれだけでワクワクする。誕生日プレゼントをもらった子どものように心がはしゃいでしまう。なぜ今まで洗濯機を買わなかったのかなんて理由も忘れて、洗濯に時間をとられなくなる良い未来だけが浮かび期待が高まっていく。
今回、ウォッシュボーイを買うことにしたのは、不調のたびにたまる洗濯物にウンザリしたからだ。とくに精神科から処方された薬が合わなかったときは長期化しやすい。長期化した分、洗濯も滞った。いや、一人暮らしを始める前から洗濯は自分でしていたので、たまること自体は問題ない。でも、今は自動洗濯機で一気に洗えない。小さなキッチンで、洗濯物を小分けにして、少しずつしか片付けられないのだ。やたらと時間をとられる。それがもどかしい。
今の部屋は私が入居する前からベランダに繋がれていた古い洗濯機が、故障したまま鎮座している。新しい洗濯機を買わなければいけないのだけど、まずは廃品回収に頼んで、この古い洗濯機をお疲れ様と見送らねばならないのだ。私の部屋は引っ越し時の荷物が未だに散らばっている。もうすでに1年が経つのだけど、まだまだ片付いていない。必要だとはいえ、こんな、洗濯機を移動させる道も作れない部屋に人を呼ぶなんてできなかった。老体に鞭打つようだが、まだ待ってくれ。
途中で、私はマスクをつけっぱなしだったことに気づき慌てて外す。説明書を取り出し、ウォッシュボーイを包む発泡スチロールもビニールテープも全て取り払った。
改めて見た全体像に、再び大きいなと思う。いつも洗濯をするキッチンの流し台に置いた。銀色に、落ち着いた白と明るい灰色が浮かび上がる。上は首くらいだろうか。流し台は腰の辺りなので、私の上半身くらい大きい。
ウォッシュボーイは洗い専用の洗濯機なので、給水や排水の機能がない。水と洗濯物を入れるバケツと、上にバケツを載せる機体の部分がある。水は機体からバケツを取り、自分で入れて出すのだ。10リットルたっぷりの水で洗う。その分給水も多いのだが、バケツが流しに対して大きすぎる。蛇口から直接の給水はもちろんできない。洗面器などで給水するにしても高さゆえに大変そうだ。排水では、バケツのフタの部分に穴がある。バケツを傾けて排水するのだが、10リットルの重さを傾けるのも一苦労だろう。
購入前、YouTube の動画で大きさを確認したのだけど予想より大きかった。今回はメジャーで寸法を測ったりはしていない。違うお買い物でやったら、数字だけではイマイチ大きさを掴めなかった。そのときも、届いた品物を見て大きいなと思ったので、もしかしたら大きさを掴むこと自体が苦手な可能性もあるけど。
私は、うーんと唸りつつ、まずはやってみようと機体の底から尻尾のように伸びた黒いコンセントを差し込んだ。流し台の側には、プラグが2口あって何かと便利だった。バケツに洗剤と水を入れる。たっぷりの水で洗うのが売りなので、洗面器に何度もためて、軽く背伸びをしなからいっぱいまで入れた。機体の正面にある2つのツマミを、水流は標準に、時間は1分に設定する。洗剤を混ぜたら、次いで今ある洗濯物を入れた。汚れ落ちがわかりやすい白物だけ。シャツと肌着とタオルをそれぞれひとつずつ。時間は最大の15分にした。それから私は、洗濯機から一番遠くなるベランダ側へ避難したのだった。
大きい。音が大きい。といっても特別大きいというわけではない。たぶん掃除機くらいだ。でも、私にはそれが辛い。キッチンとベランダの窓をクルクル行き来して、やっぱり耐えられなくて、15分に設定していたはずのタイマーを0へ戻す。5分も無理だった。動いていたメモリは、だいたい3分ほどくらいだっただろうか。
私は大きな音が苦手だ。掃除機が使えないからいつもクイックルワイパーで床掃除しているし、ドライヤーも冬の寒いとき以外は使わず髪を自然乾燥させている。清潔だの健康だのより、大きい音が苦痛だ。洗濯機も、この部屋に来てからはずっと手動式を利用していた。本当は、洗濯機を最初に購入しようとしたとき、始めからウォッシュボーイは候補に入っていたんだ。機械は音が大きそうだから控えたのだけど。
しかし、ベランダで洗濯機が鳴る分には気にならない。隣人の洗濯機が動いている音もよく聞こえるけど平気。実家暮らししていたときも大丈夫だった。私は音のこもる部屋の中で、同じ空間に音源があるのがダメなのだ。
落ち込んだ。音から解放された安堵感そのまま、心が期待の分だけ深くなった沼へズブズブと沈み込んでいく。体が重くなって、疲労感が染み込んできた。慌てて、バタバタした鼓動がうるさい。
失敗の言葉が心を埋め尽くす。この買い物は失敗だった。違う。わかってる。ウォッシュボーイは何も悪くない。これは想定内だった。それでも、たまった洗濯物のために数日つぶれちゃうのが嫌だったんだよ。ダメなときは、ベランダで使えばいいとも最初から決めていた。その時のために、ちゃんとした洗濯機ではなく、狭いベランダでも場所をとらないウォッシュボーイを選んだのだ。
私は停止した小型洗濯機から離れる。居間を遮るキッチンを避けてフラフラ移動し、壁を囲む荷物たちの中、六畳の中央を陣取るベッドへ倒れるように腰を下ろした。そして、スリッパから引き抜いた足を持ち上げて、フワフワした布団の深い青へと潜る。
隣の部屋のテレビ音が大きくなっていた。小型でもウォッシュボーイは洗濯機だったんだ。ちょっとやそっとの音じゃ巻き込まれてしまう。音量を上げるしかなかったんだよね。納得はするけど不快感はない。
頭上に置かれていたスマホを操作して、本のアプリを立ち上げた。日が翳り、薄暗くなっていく部屋の中で、弱った私は画面一杯に広がった文字の世界へ逃げ込んだのだ。
すり下ろしていた石鹸は、ついぞ思い出されることもなく、中途半端に作業が止まった姿のままずっと机の上にあった。