対人支援をする上で大切なたった一つのこと
こんばんは。週末は久しぶりに
家族でお出かけをした数日。
京都にふらっと出かけて、
気になった神社やピンと来たところに
足を運び、家族でまったりのんびり
過ごす時間を愛おしく思いながら
とにかく「いま」を楽しみつくした。
ちょうど旅行中に覚心先生との
電話相談の時間があって、
はやめにホテルにチェックインを済ませ
ゆったり家族には過ごしててもらいながら
わたしは電話にてお話ししていたのだけど
その中で先生が
「意図を持ったコントロールが必要だよ」
と言うお話をしてくださった。
どういうことかというと、
特に対人支援業をしていると
相手はきっと今悩んでいることを
誰かに聞いてほしくて相談をする。
「こんなに大変なんです」
「こんなに辛いんです」
といった具合に。
そこで確かにそう感じている想いには
共感はするけれど、
事実は果たしてそうなのだろうか?
(大抵のことは、
その人が問題と認識しているから
悩みが漠然と大きく広がっているだけで、
そのこと自体が大変なのではない、ということ)
それを対人支援をする側が分からずに、
相手の言うままに聞き、頷き、
「大変でしたねえええ」なんて言っちゃったもんなら
もうまたさらに悩みが悩みとして大きくなる、と。
そうか〜大変でしたか!」
とあっさり受け止める。
そのあと
「それはよくある話だよ」
「解決できる話だよ」
と悩みの肥大化を相手に
しゃべらせないことが大事なんだって。
(喋るとどんどん肥大化するそう)
感情には共感するけれど
事実はそうでもないかもよ。と
事実そのものを悲観することに共感はしない。
それが私たち命式を読む人にとって
また、対人支援をする人にとって
とっても大切な心構えなんだそうです。
共感傾聴はNO!といったお声もある中、
私のこれまでの経歴上、傾聴と共感は
日々の呼吸のように当たり前にやり続けてて
そのNO!が思考では理解できても
感情的に落とし所がなかなか見つからなかったけど
ようやくその最適解を一つ見つけられた、
そんな霧が晴れたような気分でした。
な、なるほど。。
傾聴したり、共感したり、は
よくしていることだけれど、ついつい
相手の悩みに寄り添うために
こちらから聞きすぎてしまうシーンあったなぁと
自分の過去のセッションを思い返しては
耳が痛いなあ(ありがたいお言葉だなあ)と
スポンジのようにいただけるお言葉たちを
たくさん吸収しました。
命式を読むことから、
生き方、在り方について、
多くを語らないけれど
わたしの課題や悩みを吐露するたび
ぽろっと教えてくださる
お言葉や思想がドンピシャで、
私もまだまだ精進しようと
改めて感じたのでした。
最後に
「順調ですか?」と聞かれたので
「体調はバッチリです、鑑定や命式読みは…
先先の足の爪の垢にもまだ及びません」と答えたら
「簡単に及んでもらったら困ります、
半世紀かけてやってきてますから。」と☺️
起業してあれやこれややる中で、
たかだか数回挑戦しただけで、
ちょっとくじけそうになったり心折れたりなんて、
早すぎてまだ何もスタートしてないレベルだなあと。
先生のように半生をかけて学びも人間修行も
続けていこう〜と改めて決意を固めた一日でした。
こんな時間が楽しくてついつい
旅行に来てても予定を変更しない
我が道をいくママ。
それでもパパは「電話?いいよ〜!」と
にっこり快諾して様子も見守ってくれて
(なんなら途中睡魔きて10分くらい寝てたと笑)
汗かきながら娘をあやしてくれてたりで、
本当に感謝がとまりませんでした🥹
これまで30年間、ずっと
家族というわたしのカテゴリーで
劣等感を感じ続けてきてたから
それが今ようやく報われた想いで
何をしててもしていなくても本当に幸せだと
心の底から思えている。
そう言う意味ではもう今世大満足で
いつ命を落としてしまったとしても
そんな大きな後悔はないなって思えるほど☺️
こうして幸せな家庭を築けているのは、
まちがいなくパパとだからだったし、
わたしたちのあいだに
娘が娘として生まれてきてくれたからで。
当たり前なことはないとはわかってても、
つい日頃感謝を伝え損ねたり、
当たり前な態度で接する自分がいる。(大反省)
改めて感謝を言葉や行動に出していこうと、
家族を大事にしていこうと思った京都旅でした〜。
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