葬式って大事だなと思った話
5月に祖父が亡くなり、昨日、納骨をしてきました。
今日までにいろいろと思う事があり、自分の為にこれを書きます。
祖父が亡くなる。
突然の事故や病気ではなく、数年程前からだんだんと身体の調子が悪くなっておりました。
何回か手術をしていたこともあったので多少の覚悟はしていましたが、それでも病院から連絡があった時は驚きを隠せませんでした。
祖父は東京ではなく、関西に住んでおりました。
母方の祖父なので、親戚から母に連絡が有り、その次に母が私に
「お父さん(祖父)はもう長くないそうだから、明日、病院に行ってくるね」
と連絡をくれました。
コロナの影響で5月は出掛ける予定が無かったので、私も一緒に駆け付けたかったのですが、病院側の感染防止策として面会の人数は限られており、尚且つ東京から菌を運んでしまったら取り返しがつかないということで、私は我慢しました。
そしてそのまま祖父は息を引き取りました。
葬式も、私のせいで親戚に万が一の事があったら、と思い自粛しました。
本当は行きたかった。
大好きだったから。
納骨は8月に決まり、少しずつ準備をしました。
母は私が幼い頃から
「お父さんはすごく優しい」
と言っていました。
いくつか母が話してくれたエピソードもあり、それを聞いて私も驚いてしまう程に相手を思いやる気持ちに溢れた人でした。
母は、私や家族を思いやるような行動をした時、感謝の言葉に対して
「私が優しいのはね、お父さんが優しかったから!」
と言います。
あれは恐らく6月頃、祖父の死から1ヶ月程経った時
私はある人に「優しいね」と言われ、
いつもはそんな事を言ったことがないのに何故か
「私が優しいのはね、お母さんが優しくて、おじいちゃんが優しいからだよ
ってこれ、よくお母さんが言ってる(笑)」
と返事をしていました。
自然と口に出たことに、私自身が驚きました。
そして、自分が「おじいちゃんが優しいから」と言ったこと、
「優しかった」と言わなかったことに気付きました。
ああ、私の中で、まだおじいちゃんは死んでないんだ
と思い、涙が出そうでした。
コロコロと話が変わってすみません。
次はそこから更に1ヶ月が経過し、7月のある日の事です。
夜、ふと祖父の事を思いました。
最後に会ったのは2年前、あの時の事が鮮明に思い出せます。
またねと言って、元気でねと言って別れたあの日。
遠くに住んでいると、会っていない方が当たり前になってしまいます。
でも、会いに行けば、会えるんです。
何故だか、今でも祖父が住んでいたあの家に行けば、また会えるようなそんな気がしてきてしまい、でもそんな訳ないという気持ちとぶつかって、布団の中で大泣きしてしました。
死に際に会えず、葬式に行けなかったという事もあり、「祖父の死」という事が私の中でまだ整理がついていない事が、その時わかりました。
そして昨日、納骨式に参加してきました。
粛々とした式、数年振りに会う親戚との会話。
今日まであんなに泣いていたのに、涙は出ませんでした。
何故でしょう。
この非日常を迎える事で、やっと私の中で一つの区切りを迎える事が出来たと思います。
その証拠に、今、祖父のことを過去形で話す事に対して違和感がなくなっています。
例え規模が小さくでも良いから、自分の為にも、区切りを求めている周りの人間の為にも、葬式とか結婚式とか、ちゃんとやっていこうと思いました。
「じゃあ次は一周忌に!」
そう言って親戚達と別れました。
来年、私はどんな気持ちでその日を迎えているんでしょうか。
今はまだわかりません。
でも、きっとまた時々思い出して泣いて、当日は親戚との思い出話に花を咲かせて、笑顔で帰ることでしょう。
もう祖父は居ませんが、私や母の中に「思い遣りの気持ち」として、いつまでも生き続けることでしょう。
祖父を失わない為にも、相手を思い遣るひとであり続けようと思いました。
2020年8月24日
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?